第10話 怒られるエリーゼ

 弓矢を出した時点から怒ってはいたハインツだったが、その場で注意することで慌てて落としたりしたらその方が危ない。と言うことでいったん冷静に渡させ、予定通りにしたので改めて怒ったらしい。

 その丁寧な気づかいは痛み入るが、できるなら怒るのもほどほどにしてほしい。


 あれこれ好き放題しているエリーゼだが、これでご令嬢モードの時は母にお小言をもらう以上に怒られたことはない。まして父にはただただ甘やかされてきたのだ。つまり、男性に怒られるのに耐性がない。

 怒鳴られるわけでもなく、淡々と注意されているだけだが、まあまあ心にきた。ベールなので見えないが、割と涙目になっていた。


「わかりましたか?」

「……はい」

「……え、泣いてます? え、そんなに強く言ってないでしょう? 普通に注意しただけですよね? それに間違ったこと何も言ってませんよね?」

「泣いてないでず」

「え、絶対……はい、えっと……気をつけてくれればいいんです。なので、その、あとで、弓について教えてあげますから。元気出してください」

「! うん! あ、えっと、その、全然大丈夫です。反省はしましたから、続けましょう」


 貴族の仮面を外して慌てだしたハインツは、ずずっと鼻をすすってしたエリーゼの強がりを明らかにわかっていたようだが、言葉を濁して元気づけた。

 それにまんまと乗っかる形で、ついいつも通りにハインツに返事をしてしまってから、エリーゼも慌てて貴族令嬢として返事を返した。

 そんなエリーゼを不審に思わなかったようで、ハインツはほっとしたようにうなずいた。


「はい。たくさん狩りますから、料理はお願いしますね」

「ん。お任せください!」


 エリーゼは最後に一度鼻をすすってからそう宣言した。そして同時に、思った以上にハインツがちょろくて全然気づかなさそうなので、これは余裕だな、と確信した。

 これは声音さえ気を付ければ素をだしたところで気付かれないし、そうしていればご令嬢としてはほどほどに変わり者になるのでまさか結婚にはならないだろうし、完璧である。


「さあハインツ様! もっとたくさん狩ってくださいよ! みんなにも食べてもらうんですから」

「え、みんなって、もしかして使用人のことを言ってます? 何人いると思ってるんですか」

「あれー、もしかして、自信がないんですか?」


 使用人は護衛を含めて20人弱だ。パンなどは持ってきているし、小さいとはいえ鳥一羽で二人前は優にあることと罠のことも考えると10羽もいればいかに大柄ないかにも食べそうな護衛達の分を考えても十分だろう。

 と思ってエリーゼは提案したのだが、今うまく鳥が狩れたのは幸運であって、実際にはそううまく何羽も連続して見つけてあまつさえ仕留められるものではない。


 が、ハインツは仕方なさそうにため息一つしたが、否定も言い訳もせずに頷いた。


「わかりました。可能な限り、尽力しましょう」

「頼もしいですね! お願いします!」

「はい。ですがまず先に、この鳥をさばいておきましょうか」

「はい! ご教授お願いします!」


 やる気満々で、ついてきてくれている使用人の一人であり信頼できる付き人のアンナが言葉もなくさり気なく用意した刃物を手に持つ。

 ぎらり、と光るその刃にを確認してエリーゼはごくりと唾を飲み込む。エリーゼは食事の際に使うケーキを切る用のナイフしか持ったことはない。剣術は全て木剣か刃をつぶしたものだ。もちろんそれだって当たればただでは済まないものだが、こうして触れるだけで切れるものは考えてみれば初めてだ。

 緊張しながら構えるエリーゼに、ハインツはそっと鳥を地面に置いて両手を肩まで上げながら声をかける。


「落ち着いて手をおろしてください。いいですか? まだ刃物はつかいませんし、なにより、そんな武器のように両手で向かい側に向かって構えません」

「……はい、すみません」


 気持ちが先走りすぎていた、と反省しながらエリーゼは侍女に返し、言われるまま羽をぬいていった。すでにハインツ側で指示済みだったようで沸かされているお湯にくぐらせたりして綺麗にむけたところで、ハインツに従い慎重に刃を滑らせた。


「はい、いいですよ。あとは川で血を流してもらいましょう。その間に我々は別の獲物を狙う。いいですね?」

「はい」

「では手をしっかり洗ってください。血の匂いを獣は敏感に察知します」

「はい!」


 川まで移動し血だらけになった手を洗い流し、獲物は慣れているらしいハインツの付き人に渡した。

 ハインツの言われるまま慎重に刃をいれたので、場所は問題なかった。しかし肉屋などで血にぬれた鳥を見たことがあって余裕ぶっていたエリーゼだが、実際に自分の手で鳥の臓物を書き出した感触は何とも言えず気持ち悪く、だがあれだけ大見得を切ってから泣き言を言えないので大丈夫と自分に言い聞かせながらなんとかやり終えたので半ば放心していた。


「しかし驚きました。本当にさばいてしまうとは。いくらエリーゼ様が気持ちの強い方でも、実際に血を見れば気分を悪くされると思っておりました。見くびったつもりはなかったのですが、申し訳ありません」

「い、いえ。私も思ったよりあれだったので」

「そうですが、悲鳴一つあげられずになしとげたのですから。男性でもできない人は多い中、よく頑張られましたね」

「ん。ま、まあ私にかかれば、こんなものですよ」


 正直吐き気さえあったが、そんなに素直に感心されては弱いところは見せられないし、普通に褒められて気分がいい。エリーゼは気持ちが前向きになり姿勢も正しく戻した。

 そんなエリーゼにハインツはうん、と頷いて、洗い終えたところでまだびしょびしょなエリーゼの手をとった。


「随分冷えてしまいましたね、大丈夫ですか?」

「んっ、だ、大丈夫ですからっ」


 エリックの際に散々手を取られたりしている。男の手を覚えているとは思わないが、そもそもご令嬢バージョンで男性に触れるとか普通に恥ずかしいエリーゼは、手を払う様にして離してもらう。

 それに解体中はそれ専用の手袋をつけたが、手を洗う際には普通に外していて素手だ。手を洗うのに素手なのは当たり前なので何も思わなかったが、冷静に考えると男性の前で素手になってしまったのは少々気恥ずかしい。


 平静を装って手をぬぐい、何事もなかったかのようにハインツに向き直り手袋を装着してから手を出す。


「さあ、次の獲物を見つけに行きましょう。早くしないと、お腹が減ってしまいますわ」

「……はい、そうしましょうか」


 ハインツから苦笑したまま矢筒を渡され、エリーゼは笑顔で受け取った。

 もちろん表情はみえないが、ハインツも笑って応えてくれた。


 そうして二人はお昼の時間をやや過ぎたものの、十分な数の獲物をしとめることができた。

 それを解体するエリーゼの腕はお世辞にも手際のいいものではなかったので、結局三羽だけだったが、ハインツが丁寧に細やかに教えてくれたので、もう指示がなくても解体できると思えるくらいにはなった。他はハインツの付き人が全てやってくれた。

 またそれで疲れたのもあり、三羽目の解体中からもう調理をはじめてもらい、結局エリーゼがハインツに振る舞ったのは料理ではなく解体中にとんだ血液くらいなのだが、楽しかったので良いことにした。


「自分で狩ったと思うと、また美味しさも格別ですね」

「そうですね。食事が終わったら、先ほどお約束した弓について少しお教えしますね」

「本当ですか? 嬉しいです」

「ええ。思っていた以上にエリーゼ様は根、もとい、やる気がありましたし、なにより解体をきちんとされましたからね」

「そうでしょう。頑張りました」


 三度目には吐き気もなくなり、我ながらてきぱきしていた、と自画自賛するエリーゼは胸をはってうんうんと頷く。

 そうしながらパクパクと器用にベールをつけたまま食事をするエリーゼを見ながら、ハインツもやや感情を出した柔らかな微笑みを浮かべた。


「正直に申し上げて解体を、まさか本当に刃を持ってされると思っておりませんでした。いくらエリーゼ様が希望されたところで、とめられるだろうと思っていました。普段から調理をされているわけではないのでしょう?」

「そうですけど、そこは私、家の者から信頼されておりますからね」

「そうですか」


 あれ、今のそうですかは思ったより冷たい返事だった。とエリーゼは料理から視線をあげてハインツを見る。ベールで見えないのをいいことに顔の向きだけ気を付けて料理に釘付けだったのだ。

 ハインツはにこりと、特におかしなことのない作り笑いを浮かべている。


 今回のお出かけでエリーゼとして顔をあわせるのも三回目だ。そろそろエリーゼとしても距離が近づいてきている気もするのだが、ハインツの心の距離はそうでもないようだ。

 ハインツからしたらエリーゼがエリックの名残でなれなれしい態度だったりするのかもしれない。気を付けてはいるが、ハインツなのでまあこのくらいでいいだろう。と言う気持ちがないとは言えない。


 まあ、いいか。とそこまで考えてからエリーゼは思考を放り投げた。最終的にはバレないうちに別れるのだから、好かれすぎても困る。もちろん女性として好かれるタイプではないことは自覚しているが、人として好かれて別れにくいと思われても困る。


「で、弓なのですけど、あ、私ちゃんと引く練習はしておきましたので、まず形を見ていただけますか?」

「え? 練習って、誰かに師事されたと言うことですか? 信じられませんが、しかし専門の方に習われたなら私が教えるようなことはないと思いますが」

「あ、えと、教わったわけではないのですけど、そう、教えられているところを見てまた聞きならぬまた教えのようなもので」


 親の許可を取って正式に習っていると思われたようなので適当に訂正する。そうなれば当然教える意味ないとなっても困るし、母は知っているが暗黙の了解であって、帰宅時に正式な客の立場のハインツから話をされたら絶対知らない勝手にしたと言われるに決まっている。余計ないざこざは好きではない。

 とエリーゼなりに問題にならないよう訂正したのだが、それを聞いたハインツは鬼のような顔になった。


「また聞き? あれほど危ないと言ったのに、きちんとして教えも受けずに勝手に練習したのですか?」

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