第32話 色仕掛けなんて簡単、なわけがなかった

 そしてサラとの密会により、様々な秘策を仕込まれたエリーゼは、意気揚々と婚約後初めてのハインツとのデートに挑むことになった。


 後日、改めて両家がそろって婚約の同意書を教会に申請するのでまだ正式ではないけれど、すでにほぼ婚約者だ。そう思うと緊張するが、サラがあれだけ押してくれた背中もあるのだ。情けない結果はだせない、と自分を奮い立たせた。


「おはようございます、ハインツ様」

「おはよう、エリーゼ。元気だったか?」

「う、うん……」

「なんだ、随分今日はかしこまるな」

「て、照れくさくて」


 馬車を降りる際の、ちょっとしたエスコートでさえ照れてしまう。まだ作戦実行前なのに、こんなことでは自分を見失ってしまう。

 エリーゼはぎゅっと、肩から掛けている荷物の紐をにぎる、中身はハインツからもらった弓が入っている。


今日はあの大規模な王族の婚約式の前から約束していた、野外活動だ。今までの狩りとは趣をかえて、いろんな種類の罠に挑戦してみよう、と言うものだ。

 ハインツも始めたころは色々と思考錯誤したりして楽しんでいたらしく、エリックと同一人物だとわかったので今まで以上に実践させてくれるらしく、とても楽しみだ。


 そしてついでに練習の成果も見てもらおうと弓を一応持ってきている。

 そんな楽しみもありつつ、ハインツにはエリーゼを意識してもらうための作戦も遂行しなければならない。エリーゼは気合をいれて、ステップをおりた。


「弓はまだしばらくは使わせないから、預けておけよ」

「いえ、これは大事な物だから。自分で持つわ」


 弓筒などは預けているけど、弓本体だけは渡す気はない。剣に比べればそれほど重いわけでもないし、エリーゼにとっては持ちたい、と言う気持ちが優先だ。

 ハインツにもらった大事な弓なので、できるだけ自分で持っていたい。


「そうか。ならいいが、動きにくかったりしたら無理するなよ。休憩はなしで大丈夫か? さっそく罠をつくっていくぞ」

「うん!」


 とりあえず、サラからの指示はあれど罠をつくる際はそれだけに集中しないと危ない。なのでいったん置いておいて、全力でそれだけを楽しむことにした。


 罠として今回試すのは、トラバサミ、落とし穴、くくり罠だ。生活をするための狩りならば、囲い罠など他にも種類があるらしいが、この辺りはあくまで趣味として狩りをするための狩猟地だ。管理者以外は大物を積極的に狩ろうとすることも許可されていない。

 なのでやはり基本的に獲物は主に野鳥、簡単な罠にかかるなら野ウサギあたりになるらしい。


 とはいえ、トラバサミを使えば猪くらいはかかっている可能性があると言うことで、とてもわくわくである。


「ま、この間も話したが重要なのは仕掛ける場所だ。より獣がいそうな、人の匂いが付いていない場所が好ましい」

「うん」


 トラバサミはとげとげしい金属で、いかにも重そうで血の跡がこびりついている。これは危ないと言われたし、さすがにあまり触りたいものではないので遠慮した。

 罠の設置に携われるよう、厚手のしっかりした手袋を身についているとはいえ、そこは気持ちの問題だ。


 落とし穴は本当に穴を掘るので、しっかり手伝ったが、これは普通に疲れる。今日は動きやすいズボン装とはいえ、普段と違う筋肉を使っているようで、大して深くはないはずだがそこそこ時間はかかった。

 ウサギ相手だとすると意外と深く感じるが、逃げ出せないことを考えるとこのくらいは必要らしい。


「さっき俺がした、獣道の見分け方はわかるか?」

「えーっと……あ、ここそうじゃない?」

「合ってるが、どこで判断したんだ? 草木の具合か?」

「え、なんとなく……におい?」

「お前そういうとこあるよな」


 しまった。女性らしさアピールどころか獣アピールしてしまった。あえてアピールするタイミングではないとはいえ、わかりやすくマイナスにする必要はなかった。

 ハインツは苦笑したように笑ってくれたので、とりあえず今回はセーフと言うことにして気を取り直す。


 他にも周辺の地形や自然のものを利用したものから、最新の素材で作られたと言うものまで、あちこちに設置をして回る。


「これで全部ね。さすがに、少し疲れたわ」

「そうだな。ちょっと張り切りすぎた感は否めん。昼にするか」

「うん、そうね」


 と頷いてから、エリーゼははっと思い出す。サラの一つ目の提案。お茶をエリーゼの手でいれる、だ。

 お茶は基本的には侍女がいれるものだが、プライベートな私室でゆっくりしている時までいちいち呼ぶのは面倒なものだ。

 そんなときは女性側がお茶をいれてあげるとよいらしい、とサラが読んだ本にはあったそうだ。


 確かにハインツにお茶をいれてもらったところで、本当においしいのか正直勘ぐってしまうが、サラなら安心だ。つまりそう言うことだろう。

 ほどよい場所でテーブルなどを広げて用意をすすめてもらいながら、さり気なくお茶道具を手に取り置かれたテーブルに移動させる。お湯はすでに沸かしだしているので、沸いたらそれも持ってきて、ポットにお茶葉をいれて煮出すだけだろう。簡単だ。


「ん? おい、何やってるんだ、エリーゼ」

「え、何が?」

「茶葉をそのまま入れたら、カップにも入るだろうが。この茶こしをいれて、そこに茶葉をいれるんだ。注ぐときに使う方法もあるが、形状から中にいれるものだろう?」


 ポットに茶葉をいれただけなのに、目ざといハインツが気が付いた。そしてそんなことを言いながらエリーゼの手から茶器を奪い取り、ぱぱっと正しいであろう手付きで茶葉を入れなおす。

 そして沸騰したお湯を取ってくると、何故かカップに入れて、薬缶は何故かすぐにポットに入れずに、いったん火のない場所に置いている。


「どうしてすぐに注がないのですか?」


 理屈はよくわかっていないが、確かに部屋で用意してもらう時も、カップに白湯が入った状態で持ってきて、そのお湯を捨ててからポットから注いでいたので意味があるのだろう。

 だけどせっかくのお湯が冷めてしまうのは謎だ。尋ねるエリーゼに、ハインツは少し呆れたように眉尻を下げた。


「お前、やり方わからないでやろうとしていたのか? 仮にもお湯なんだから、せめてわかっててくれよ、ほら、危ないから手を出さない。座れ」

「う。はーい」


 カップに手をのばそうとしたところ、しっし、とばかりに払われた。失礼なやつめ。と睨みつつも、しかし慣れているハインツにしてみれば危なっかしく感じるのだろう。大人しく席に着く。


 ハインツは湯の温度がさがったのを見てからポットに注いだ。そして蓋をしている間に、テーブルの準備をすすめさせながら、カップの中のお湯を捨てた。

 その捨て方は普通に地面に投げ捨てるもので、いくら野外とは言え豪快だな。と少し呆れた。


 そしてポットをまわしてからゆっくりと、複数回に分けてそそがれていく。その見た目に寄らない几帳面な姿に、ハインツらしさを見てなんだかにやにやしてしまう。


「ほら、熱いからゆっくりな」

「ありがとう」


 渡されたカップを慎重に受け取り、言われたようにゆっくり口に運んだ。

 エリーゼの家が用意しているので、慣れ親しんだいつもの味だ。普通に美味しい。


「ん。美味しい。熱いけど、疲れた体に染み渡るわね。ありがとう、ハインツ。お茶もいれられるなんて思わなかった。手際もいいし、格好いいね」

「ん。ま、まあな。いちいち人を呼ぶのも面倒だから、茶くらいならさっさと湯だけもらってやってしまうからな」


 対面に座って自分もお茶を飲みながら応えるハインツ。カップを回して冷ましながらその様子を見る。

 カップが熱いからと、片手でつまむように持っている。さっきは冗談で、てきぱきお茶入れてかーこいい! とノリで言えたエリーゼだったが、何だか普通に格好良く見えてしまって、逆にそんなこと言えなくなってしまう。

 だから誤魔化すように唇を尖らせた。


「いいなー。私もできるようになりたい」

「そんなにおかしいことじゃないし、すぐできるだろ。ただ、お湯の熱さは気を付けないといけないけどな」

「そのくらいわかってるつもりだから、何度も言わないでよ。じゃあ、次回は私が見事、お茶をいれてみせるわ。期待していてね」

「おう。世界一美味いお茶を期待しておく」

「そ、そこまで期待されると、ちょっと困るのだけど」


 悪戯っぽく笑うハインツだけど、さすがにここで軽くのってしまうと、次回真面目に大失敗だったら恥ずかしいので姑息にも予防線をはっておくエリーゼだった。

 そんな日和ったエリーゼにハインツは声を出して笑い出し、今度は誤魔化しなしで唇を尖らせるエリーゼだった。



 そしてお昼をとってから、エリーゼはハインツがトイレに行っている隙に、再度サラの作戦を見直すことにする。

 一つ目の、お茶をいれて家庭内でみせるようなさりげない気遣いを見せて同じ部屋で過ごしたくなるような女性らしさをアピールするのは失敗した。

 むしろエリーゼの方が快適に過ごしてしまいそうだ。


 では次案だ。男性と女性との違いと言えば、安直だが肉体の差は大きいだろう。つまり、手と手を触れて華奢アピールだ。

 正直、効果は薄いとは思うエリーゼだ。何故ならエリックの時に散々素手で触っていて何も気づかせなかったのだから、手袋をつけたエリーゼで、あ、女性っぽい、とはならないだろう。

 しかし一回やってみてから、と言われたし、やって損をするわけでもない。言われたとおりにしてみる事にする。


 もちろんいきなりエリーゼから理由もなく手を繋ぐなんてのははしたないからできない。ここは理由付けが大事なのだ。


「待たせたな」

「おかえりー」


 戻ってくるハインツを立ち上がりながら迎え、はっと思いついたのでそのまま前まで近寄って声をかける。


「ちゃんと手は洗った?」

「はん? なに聞いてんだ。洗ったに決まっているだろう?」

「ホントかしら? 見せて見せて」

「は? いいけど……」


 めちゃくちゃ戸惑いながらも両手を差し出してくれたハインツ。実に素直な反応に、うんうん、と偉そうに頷きながらエリーゼはそっとその手を取った。


「あ、冷たい。ちゃんと洗ったみたいね」


 これで理由付けはばっちりである。実に自然な触り方である。

 と自画自賛しながら、手のひらを上に広げられたハインツの手に乗せた両手をそっと握る。


 濡れたことで一度冷えた指先をついでに温めるように。それにしても、いつも起き上がるのに手を借りる時だったり、物の受け渡しだったりで何気なく触れていたと言うのに、こうして改めて触れると、やはり気恥ずかしい。

 エスコート程かしこまったり女性扱いされている訳でもない、ただ触れているだけだ。


「あっ」


 ぎゅっと、ハインツがエリーゼの手を握り返した。照れてくる。エリーゼから触れる分には勢いで当たり前みたいに、エリックみたいに自然に触れたのに。

 ハインツから動かれると、それだけで違うように感じてしまう。かたいハインツの指先や、その力強さ、冷たい皮膚がじんわり温まり奥からの熱を伝えてくる。握られたまま、時折ぴくぴくと動く脈動を、ハインツの存在そのものを感じて、急に体が緊張してきて手を動かせなくなってしまう。


「は、ハインツ様っ、その、て、手……」

「じ、自分から握っておいて、なんだよその反応は」

「だ、だって……」


 言葉が出ないだけではない。自分の感情がわからない。熱が上がって訳が分からなくなってしまいそう。


 そんな固まるエリーゼは俯いてしまって、ハインツの顔を見ることすらできなかった。


 そんなエリーゼを気遣ってくれたのか、しばらくしてからゆっくりとハインツは手を離し、何もなかったかのように話題を変えてくれた。


 二つ目の策も失敗だ。手を握ることはできたが、ハインツに意識させられたのか、全くわからない。


 他にもまだ案はあったのだけど、だけどその後も仕掛けようとする度にハインツの手を意識してしまって、結局何もできないまま、むしろ忘れるかのように弓の練習を見てもらったり夢中で罠の回収とかかった獲物の処理をしたりした。

 こうして婚約後初回のデートは収穫のないまま終わるのだった。

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