第9話音楽

壮大なオーケストラの音が頭の中で鳴り響く

そして、交響曲はクライマックスへ

最後は大合唱の中、音楽はフィナーレを迎える

とある男、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」が好きである

通勤電車でも、勤務時間も、家の中でも常に頭の中にこの曲が響く

合唱がクライマックスを迎える時などは目に涙を浮かべる

ちなみに今は自宅で晩酌をしながら、ステレオのスピーカーを通して

第九を聞いている。全く飽きないのが不思議だ

いつも、いつも頭の中はその曲が鳴り響いている

日本酒片手にスピーカーから流れる曲を鼻歌交じりになぞる

最高の瞬間である。仕事の疲れなど、どこへいったのか

曲をひとしきり聴き終えると、スピーカーの音を消した

無音である。ここは閑静な住宅街のマンションだ

夜はただただ静寂があたりを支配する

だが、彼の頭の中では第4楽章の音楽が静かに語り始めた

彼の世界は無限ループである。飽くことを知らない

その時、何気なくテレビをつけた。最近はやりのアイドルが歌っている

その歌声と、彼の頭の中の交響曲がシンクロして、奇妙な世界を形作った

アイドルの歌声が、第九の崇高なメロディーとして浮かび上がった

アイドルの奏でる楽曲は、交響曲の古典と入れ替わり、壮大な世界を広げた

男は感動した。世界が男を祝福するために、この瞬間を用意したのだと思った

男はその音楽を聴き終えたその瞬間から、音楽を聴くことを止めた

第九を聴くことを止めたのである

なぜかといえば、最高の瞬間を永遠に脳裏に刻んだからだ

彼は無限ループから脱して、彼自身の世界は動き出した

そう、彼はひとり、歩みだしたのである

彼自身の彼自身によるテーマ曲を形作るために





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る