第七話 失われた証拠
※
夜、私は魔王の部屋に突撃した。
「魔王居る!? 居るわね! 入るわよ!」
「人族の姫は、返事も待たずに他人の部屋に入ってくるのか」
文句を言われるも、その声に覇気はなく弱々しい。玉座ではなくソファに力なく腰を下ろす姿も相まって、昼間とは別人のような彼に怖気づきそうになるも、私はありったけの勇気を掻き集めて彼の部屋に入った。
でも、すぐに何か硬いものがこつんと私の爪先に当たる。それが何か、見てすぐにわかった。
「ちょ、ちょっと。大事な王笏を床に転がして置かないでよ。危ないじゃない!」
「…………」
「えっと……あ、あんた晩ごはん食べてないんだって? キナコちゃんがマフィンを作ってくれたから、持ってきてあげたわよ。凄いのよ、キナコちゃん。これ野菜が入ってるんだって。ほうれん草とにんじん、色も綺麗で美味しそうよね!」
拒まれる前に、魔王の前にあるローテーブルの上に山盛りのマフィンが入ったバスケットを置いた。焼き立てのマフィンはまだ温かく、ふわりといい匂いが柔らかく香る。
それからどうしようか迷ったが、放置しておくのも気が引けるので、床に転がっている王笏を両手で持ち上げた。
いや、持ち上げようとした。
「お、重い……」
想像していたよりも、魔王の王笏はずっと重かった。ずっしりと床に張り付いたかのようなそれを、力を入れ直してなんとか持ち上げる。前世、スーパーで買ったお米一袋よりも重い。
これまでの戦いで犠牲になった人たちの命と、悲しみ、そして魔王に課せられた責任の重さだ。
「はい、あんたの王笏。大事なものなんだから、床に置いたりしちゃ駄目よ」
「…………」
王笏を引きずらないようになんとか運んで、魔王に差し出す。でも彼は視線は向けてくるものの、王笏を受け取ろうとはしなかった。
……そんなものいらない。そう口に出して、投げ捨ててしまえればきっと彼もラクなのだろう。
でも、彼はそうしない。
「……ごめん。私、聞いちゃった。あんたの家族のこと、過去のこと」
魔王城に帰ってきてから、皆に聞いて回った。中途半端に知っているくらいなら、全部教えて貰った方がいいと思ったからだ。
結果として、ナタンの言う通りだった。しかし、一つだけ大きく違う点がある。
「ハトリさんが教えてくれた。あんたは逃げたわけじゃない。ハトリさんが守るために隠されてたんでしょ」
「……それが父の命令だったらしいな」
ふっ、と息を吐くように彼が笑った。そう、彼は逃げたわけではなかった。
エドガルドに命じられたハトリさんが、眠っていた幼い彼を抱え物置に隠したのだ。あの時は生きた心地がしなかった、とハトリさんが胸を押さえながら話してくれた。
「ナタンは昔、無敗のナタンと呼ばれていたくらいに強い戦士だった。そして同時に、父に忠誠を誓っていた。あの夜、あいつは遠征に行っていて不在だった。勇者と戦うことすら出来なかったのだ。だから人一倍悔しい思いをしたのだろうし、父を殺した勇者と、戦わずして生き延びた俺のことを恨んでいるのだろうな」
ぽつりぽつりと、魔王が話し始める。確かにそう言われれば、ナタンの無念もわかる。
でも、子供だった彼に何が出来たと言うのだろう。どうして弱虫呼ばわりされなければいけないのだろう。
悔しい。こんなに悔しい思いをしたことが、今まであっただろうか。
「ねえ、あんたは勇者や人族のことを恨んでないの?」
仄暗い思いを押さえ込みながら、私は一番気になっていたことを聞いた。だって、あまりにも不自然だ。
家族を殺された彼が、勇者や人族に良い印象を抱く筈がない。それなのに、彼は私に争いではなく協力したいと言った。
あの時の彼に、嘘や誤魔化しはなかった。ということは、
「魔王ジェラルド。あんた……何か、隠してない?」
キナコちゃんやハトリさん、リュシオンにシェレグ、そしてライカ。この部屋に来るまでの間に、魔王と近しい者たちに話を聞いたものの、魔王が隠していることに心当たりがある人は居なかった。
だから、もう本人に直接聞くしかない。
「何か、か……実は、お前をさらう時に城内の者をすでに皆殺しにしていたのだ」
「そういう嘘はいいから」
「嘘って……俺は魔王だぞ。お前たちにとっては邪悪な存在だ」
「あんたにそんな度胸ないでしょ」
「ぐう……!」
悔しそうに唸る魔王。その可能性は私も考えたが、今までの彼を見ていればありえないことだと断言出来る。
はあ、と重々しいため息を吐いた魔王が、私に自分の隣へ座るよう促した。
「わかった、お前には話す。長くなりそうだから、座るといい」
「う、うん」
王笏をテーブルにぶつけないように気をつけながら、私は魔王の隣に腰を下ろした。すると、部屋の景色がよく見える。
城内と同じように、いや、城内以上に飾り気がない部屋。ソファやテーブルもそうだが、全体的にシンプルである。
でもシンプルさに拘っているというよりは、とりあえず使えそうな調度品を必要最低限な分だけ揃えた、という印象だ。
ふと、窓際にウサギのぬいぐるみが飾ってあるのが見えた。しかも耳に赤いリボンが飾られている。
ギュッと、心臓が痛む。
「いいか、姫。これから話すことは、他の誰にも話さないと約束してくれ」
「う、うん」
「まず、俺が人族を恨んでいるかどうかだが……もちろん、恨んでいるとも」
思わず、ぬいぐるみから目を離して魔王を見る。
でも、彼の声色は静かなままだった。
「だが、勘違いするな。俺が恨んでいるのは、一人だけだ。お前や、お前の家族をどうこうしようとは思わん」
「一人だけ?」
「そう。おそらく、勇者は最初から卑怯な手で父に勝とうと思っていたわけではない。勇者をたぶらかし、あのような愚行を犯させた者が別に居るのだ」
魔王の言葉に、王笏から手を離してしまいそうになった。頭をハンマーで殴られたかのような衝撃だ。
そうか、どうしてその可能性を考えなかったのだろう。
「誰? 一体誰が、勇者にそんなことを!?」
「それは……悪いが、言えない」
「何で!」
「証拠がない。十年前の俺が見たと言ったところで、誰が信じる。いや、ハトリたちは信じてくれるだろうが、人族は俺の訴えなど信じずに同胞を守るだろう?」
言葉に詰まる。確かにそうだ。この世界には、監視カメラのような便利なものはない。魔族が訴えたところで、証拠すらない状態では人族が聞き入れるわけがない。
「俺はあの者を恨んでいるが、殺してやりたいわけではない。あいつの罪を暴き、相応の罰を受けさせたいんだ」
「でも証拠がないなら、どうしようもないじゃない」
「ああ……でも、一つだけ方法がある」
そう言って、魔王が王笏を指さす。
「ナタンが言っていたことを覚えているか? この王笏から魔石が盗まれたと。その魔石は王竜の目であり、世界で起こった全ての出来事を記録している媒体だ。それさえ取り戻せれば、当時の記録を再生出来ると王竜はそう言っていた。それなら立派な証拠になる」
「もしかして、あんたが人族領に来たのは魔石を探すため?」
「そうだ。どこにあるかは目星が付いていたんだが……結局、見つからなかった。ふっ……考えてみれば、罪の証拠がいつまでも残っているわけがない。今頃は海の底か、山の中か」
俯き、頭を抱えながら。今にも消え入りそうな声は、こちらが苦しくなるような痛々しさだ。
「駄目だな、俺は。動くのが遅すぎた。自分の愚鈍さが嫌になる」
「そんなことない……皆、あんたのことを凄く慕っているじゃない」
「ああ、皆いいやつだ。だからこそ、考えてしまうのだ。生き残ったのが俺ではなく、アルフィオ兄様かミシェルだったら、と」
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