第十話 未知の可能性
「そんな……敵討ちすら出来ないなんて、ぼくは……」
「……ジェラルド、さま」
「ハトリ!?」
ジェラが足をもつれさせながら、床に倒れる一人の仮面族に駆け寄る。今と全く同じのペストマスクに、息が詰まった。
そうか。ジェラを隠した後、ハトリさんはエドガルドたちを助けるためにここに来ていたのか。
「隠れているようにと、あれほど言ったのに……本当に、危なっかしいお方だ」
「ハトリ、すまない。説教は後でいくらでも聞く。だから、お前まで死なないでくれ!」
「……はあ、まったく」
まだ生きているようだが、傷は浅くない。仮面のせいで表情は見えないが、苦しんでいるのは明らかだ。
幸いにも、ハトリさんの傷は聖剣によるものではなかった。ジェラの魔法でみるみる内に傷が塞がり、やがて呼吸が穏やかなものに変わった。眠ってしまったのだろう。
「きみは、エドガルドの息子……なのか」
目の前の光景に、ゲルハルトが問いかける。
「……そうだ。ぼく……いや、俺は、ジェラルド・オウロ・ティアルーン。亡き家族に代わり、魔族領を預かる次代の魔王だ」
血溜まりに沈んでいた王笏を持ち上げて、引きずりながらもゲルハルトの前に立つジェラ。彼はかつて、魔王になりたくないと言っていた。
でも、彼はこの時に覚悟を決めていたのだ。父と兄の代わりに、居なくなった皆の分まで魔族の皆を護ると。
「さあ、どうする勇者よ。俺はティアルーンの血を引く最後の生き残りだ。俺を殺せば、魔王の血族は全滅する。だからこそ俺はすぐにでも王竜の元に行き、この王笏を継ぎ正式に魔王になる。我が行く手を阻むなら、相手をしてやるぞ」
「僕は……」
ゲルハルトが聖剣を見下ろし、次に目の前に立つジェラを見やる。王笏はすでに封印されたのか、輝きを失い石のようにくすんでしまっている。ジェラが持っていたところで、何の役にも立たない。
でも、ゲルハルトにはもう剣を振るう力は残っていない。戦意すらも失っていた。
「たとえ僕が無傷で、仲間たちも揃った万全の状態だったとしても……きみが相手では、歯が立たなかっただろうな。認めよう、僕の負けだ」
そう言って、ゲルハルトが聖剣から手を離し、両手を軽く上げた。
「僕は、外道なやり方できみの家族や配下の者たちを手にかけた。王竜に罰してもらうつもりだったが、きみが次の魔王になると言うのなら、この命はきみにくれてやる。見ての通り消えかけの命だが、好きにするといい」
「好きに……?」
「抵抗はしないよ。どんな拷問でもすればいい。人族の情報を漏らすつもりはないが、恨みを多少晴らすことくらいは出来る筈だ」
そこには、駆け引きなど存在しない。ゲルハルトは本気だ。本気で自分の罪を認め、罰を受けるつもりなのだ。
もしも、ジェラが立っている場所に居るのが私だったら。全く逆の立場で、家族を同じ方法で魔王に殺されていたら。きっと私は、魔王にありったけの憎悪をぶつけて、殺めてしまうことだろう。
でも、ジェラは違った。
「……勇者、お前は転移の魔法道具を持っているだろう?」
「え? あ、ああ。持っているよ」
「早く出せ。俺はまだ未熟だから、ヴァルナルのような転移の魔法は使えない。でも魔法道具があれば、俺の魔力でお前を人族領まで転移させてやることが出来る。ついでに、お前の仲間たちも一緒に連れて行くがいい。それくらいの補助は出来る」
ジェラの言葉に、ゲルハルトは今度こそ愕然としていた。私だって驚いている。
足元には、家族の亡骸があるというのに。それなのに、彼はゲルハルトを逃がすつもりなのだ。
「何を、言っているんだ。きみは、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「自分の力量はわかっている。お前の傷を癒すには魔力が足りん。だから、転移を優先させる」
「そうじゃない! きみは、自分の家族を殺した男を逃がすと言っているんだぞ⁉ 僕はもうすぐ死ぬ。きみが復讐するには、今しかないんだぞ!」
「違う。俺の家族を殺したのはヴァルナルだ。お前は……あいつの言いなりになっていた剣でしかない」
それに。ジェラがゲルハルトの手首を見やる。汚れてしまったが、そこにはイグニスくんが作ったお守りがあった。
「……お前には、子供が居るのだろう。その子供に、俺と同じ惨めな思いをさせる気か」
「どうして、それを」
「俺も……父上にお守りをあげていたんだ。意味をなさなかったようだが……魔族でも人族でも、子供がやることって同じなんだな」
それは、子供の笑顔というにはあまりにも痛々しいものだった。
「……はは。これは、末恐ろしいな。その年齢で、感情に囚われずに物事を見極められるのか。間違いない、きみは歴代の中でも類を見ないほどに優れた魔王になる。いや、魔族領の王という玉座すら、きみには小さいかもしれない」
ゲルハルトが差し出した魔法道具に、ジェラが魔力を注ぐ。そして、ユーリヤとアキムの亡骸も転移できるよう魔法で補助をした。
「エドガルドとアルフィオが命を差し出した理由がわかったよ。きっと、世界は大きく変わるだろう。ああ……少しだけ、死ぬのが惜しくなってしまったな」
そう言い残して、ゲルハルトは姿を消した。もうすぐ朝が来るのだろう、真っ暗だった空に光が差し始めている。
「ジェラルド様……」
意識を取り戻したハトリさんが起き上がり、ジェラを呼ぶ。見ていなくとも、ジェラが選んだ選択は伝わったのだろう。
「……ハトリ。皆を頼む。俺は、クィンレイン大神殿に行く」
「お待ちください」
「時間がないんだ。このことが魔族に知れ渡る前に――」
「ジェラルド様。一度、王笏を置いてください。それは魔王が持つべきもの。それを持っていては、あなたのことをもう子供扱いすることが出来ません」
今では邪魔くさそうに扱っているくせに、ハトリさんが促しても、ジェラは王笏を離さなかった。
そんな彼に、ハトリさんは誇らしくも寂しそうだ。
「……そうですか。あなたはもう、覚悟を決めたのですね」
「そうだ。俺は、魔王になるのだ」
「わかりましたよ、陛下。このハトリ、あなたに助けてもらった分まであなたに尽くしましょう」
この時、ジェラは魔王になった。王竜に認められる前で、王笏も封印されていたが、彼は間違いなく民と領土を預かる者となったのだ。
家族を失い、泣くことも止めた。ならばあの夜、私に見せた涙はこの日からずっと溜め込んでいたものだったのか。
私は咄嗟に手を伸ばすも、ジェラには届かなかった。名前を呼んでも、彼は振り向いてくれない。
そうして、視界は再び暗転する――
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