三章

魔王の過去

第一話 姫と魔王のぶらり旅

 意外にも、ライカに乗って飛んでいるということへの恐怖はすぐに消え失せた。


「あはははー、久しぶりのお空はいいね。楽しいね! 姫も楽しいよね?」

「え、ええ、楽しいわ……とっても」

「やったあ! じゃあ、もっと速く飛んであげるよ。ボクの全速力は流れ星よりも速いんだぁ! ここから人族領まで行くのだって一瞬さ!」


 無邪気に笑うライカはとにかくかわいい。広がる景色は綺麗だし、風も気持ちいい。魔族領は汚くておぞましいところだ、なんて話を聞いていたが、あれは嘘だった。

 なんて優雅な空のお散歩。ただ、問題が一つだけある。


「ライカ。今日は装備をつけていないし、姫も一緒なんだ。これ以上張り切るな」

「えー、つまんなーい。ぶーぶー」

「こら、身体を揺らすな。大丈夫か、姫?」

「う、うん……揺れは大丈夫、なんだけど……近い」


 通常、ライカに乗る時は鞍や鐙などの装備が必要である。さらに、ライカに乗ることが出来るのは魔王だけ。魔王以外の人を乗せて飛ぶのは稀なのだとか。

 だから、なのか。後ろに居る魔王が、私が落ちないようにお腹に右手を回して支えてくれている。確かに私はライカに乗りなれてないし、ライカの背中はつるつるで捕まるところもないし、スカートを押さえるのにわりと必死なので助かってはいるんだけど。


「むう、やはり邪魔だなこの王笏は。腰に差すのが無理なら、背中に担げるようにするか……」


 左手で王笏を持て余しながら、魔王がうんざりと言った。いや、王笏を腰に差そうが背中に担ごうかどうでもいいんだけど。

 魔王が、近い。細身なのかと思いきや、お腹に回された腕はがっしりと逞しく背中に感じる胸板も結構分厚い。

 ……今まで全然意識してなかったけど。いや、ほんのちょこっとは意識してたけど。男らしい要素をこんな逃げ場のないタイミングで思い知らせてこないでほしい。


「ねーねージェラルド。ボクねー、城下町のたまごサンドが食べたいなぁ」

「なに? いや、それは流石に無理だ。一応、俺たちは今日は城から出るなと言われていたんだ」


 忘れてた! 魔王が外出しようとしたら、キナコちゃんに大声出してでも止めろって言われてたんだった。


「えー? いいじゃん、ちょっとくらい。食べたい食べたい!」

「たまごサンドなら、城の料理長に作って貰えばいいだろう」

「いやっ! ボクは城下の安っぽい味が好きなのっ」

「ジャンクフードの中毒性はたまらないわよね、わかるわ」

「わかっていいのか、姫よ」

「それに、今までだって護衛なんかなしでジェラルドと二人でよく城下に遊びに行ってたじゃん!」

「え、そうなの?」

「う……」


 振り向かなくとも、魔王が気まずそうな顔をしているのが伝わってきた。

 なんと、彼らは城を抜け出す常習犯らしい。手慣れているのはそういうわけか。


「わ、わかった。たまごサンドだな? ならば、『新市街区』に行こう。食べたらすぐに帰るからな?」

「やったぁ、ジェラルド大好き! じゃあ、いつもの西公園に行こう! ハウエルのたまごサンドが一番美味しいんだよねぇ」

「ええ……魔王、いいの? 本当にいいの? キナコちゃんとかハトリさんに怒られない?」


 すっかり行く気満々。というか、もはや緩やかに下降し始めたライカに思わず魔王の方を振り向いた。

 仕方がない、と魔王が力無く頷く。


「ライカはまだ子供だ。本来であれば、親と共に毎日外を飛び回って色々と学んでいく時期なのだ。それをこちらの都合で三日間も放っておいてしまったんだ。甘えたくて仕方がないんだろう」

「そっか……うん、そうよね」

「それに、ここまで来たら連帯責任だ。姫、城に戻ったら二人で謝り倒すぞ」

「絆されかけた私が馬鹿だったわ!」


 くそう、スカートを履いているせいで殴れない。次があるかはわからないが、今度ライカに乗る時はズボンを履いてこよう。

 なんて考えている内に、いつの間にか高度がどんどん下がって行き。軽い浮遊感の後に、静かに地上へと着陸した。

 とりあえず墜落するような事態にはならず、ほっと一息つく。

 すると、ふわりと香しい匂いが鼻先を私の撫でた。


「はい、無事に到着ー。ハウエル、たまごサンドくださいっ!」

「はーい……おや、ライカじゃないか。ということは、陛下もご一緒かな」

「ああ。三日ぶりだな、ハウエル」


 ひらりとライカから降りる魔王を、誰かが呼んだ。聞き慣れない声につられて、私もそちらへ目を向ける。屋台だ。美味しそうな香りは、その屋台から漂ってきていたのだ。

 移動式の屋台らしく、サンドイッチやホットドッグ、飲み物なども売っているのが見える。

 店主、ハウエルさんは四十代前半くらいの、穏やかで優しそうな男性だ。一瞬人間かと思ったが、動く度に響く四つの蹄の音。ケンタウロスだ。

 ケンタウロスはファンタジーにおいて大体賢者、もしくは傲慢で横暴な性格で描かれることが多いけど。優しそうな笑顔に丸眼鏡、上半身はエプロン姿で下半身は馬という組み合わせもなかなかいい。


「姫、手を貸そう」

「ありがとう、助かるわ」


 魔王の手を借りて、私もライカから降りた。靴越しに感じる柔らかい芝生。ここが新市街区の西公園、というところなのか。

 遊具の類は少なく、自然公園に近いかもしれない。お昼寝出来たらとても気持ちが良さそう。


「ライカはいつも通り、ビッグサイズのマヨネーズ特盛でいいかな?」

「うん!」

「陛下のは野菜増し増しにしてあげよう。我々の上に立つ人なんだから、ちゃんと栄養とって貰わないとね」

「せめて選ばせて欲しいのだが……まあ、いいか。姫はどうする?」

「えっと……」


 正直なところ、お腹がペコペコでどうにかなりそうだった。さっきまでは食欲なかったのに、魔王に連れ回されている間にすっかり元気になってしまった。

 しかも、このいい匂い……期待大。でも、メニューがない。


「あのー、こちらのたまごサンドのたまごって、たまごサラダですか? それとも、たまご焼きですか?」

「やあ、きみが話題の物語を書いたお姫様かな? うちではお客さんの注文に合わせるんだ。ゆでたまごでも目玉焼きでもスクランブルエッグでも、大体のものは出来るよ」

「美味しそう! じゃあ、たまご焼きでお願いしてもいいですか? あ、私もお野菜多めで」


 いくら美味しいものでも、野菜は大事だ。栄養面でも、カロリー的にも。

 ……って、食べ物につられてスルーしちゃったけど。城下町にまで私のことが広まってるの? ていうか話題って何事!?

 魔王め……! どれだけ大袈裟な文句で売り出したのよ! 


「はい、お待たせ。お姫様が来てくれたから、温かいオニオンスープをサービスするよ」

「わあ! ありがとうございます」

「少々強引に連れ出してしまったからな、今日ばかりは俺の奢りだ」


 そう言って、魔王が全員分の支払いを済ませる。王笏は置いて行こうとしたのに、お財布は持ち歩いてるのか、魔王のくせに変わってる。

 ま、奢ってくれたのだから、ひとまず話題にしやがったことへの文句は後にしておこう。近くのテーブル席に腰を下ろして、早速たまごサンドに齧りつく。

 瞬く間に、口の中が幸せでいっぱいになった。


「美味しい! 美味しいです、ハウエルさん!」

「そうかい? それはよかった」

「ハウエルは昔、王族直属の料理人だったんだ。今でも引退させてしまったのをもったいなく思っている」

「そうなの、だからこんなに美味しいのね!」

「あはは……陛下はもちろんだけど、お姫様にも褒めてもらえて嬉しいよ。今後ともご贔屓にしてくれると嬉しいな」


 屋台越しに、照れくさそうに頬を掻くハウエルさんに拍手を贈りたい。キナコちゃんのご飯はもちろん絶品だけど、このたまごサンドも間違いなく美味だ。もちもちのパンにふわふわのたまご焼きは最強タッグである。

 これはライカが喚くのもわかる。しばらくの間、私達はたまごサンドに夢中だった。



 



 

 

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