第五話 美少女メイドと野獣騎士


「ああ、どうしてかしら。最初は恐ろしかったのに、今は騎士さまの姿をお見かけするのが楽しみで仕方がないのです」


 色鮮やかな草花が咲き誇る庭で、一人のメイドが歌い、くるくると踊る。その姿は雪上に咲く一輪の花のように儚く、迷い込んだ蝶のように可憐。


「キナコのやつ、まさかあそこまで演技の才能があるとはな。ただのメイドにしておくのは惜しいな」

「ね! 凄いよね、キナコちゃん。お客さんの皆、キナコちゃんに釘付けよ」


 私の隣で、ジェラが何度もキナコちゃんを褒め称える。ステージの上に立ち、千人分の視線を集めながらも堂々と役を演じるキナコちゃんに、なんだか私まで誇らしくなった。


「ははー、おみそれしました。キナコたちが青空劇場の記念すべき最初の舞台を演じると聞いた時は、あの子たちにそんな大役が務まるのかと心配でしたが」


 ジェラの後ろの席で、ハトリさんも楽しそうに笑っている。全席自由席なのだが、流石にジェラをその中に置くことは出来ないということで、私たちの周りの席は空席となるよう手配されていた。

 公演中のお喋りはルール違反なのだが、他のお客さんと距離があるので、こうして抱えきれない思いをひそひそと話しているのである。


「皆忙しい中、練習を頑張ってくれたからな。その中でもネモ、お前は台本だけではなく、衣装や演出を考えたのだろう? 本当に凄いな」

「私は考えただけよ。形にしてくれた皆にはお礼を言わないと。もちろん、報酬はちゃんと支払うわ」

「仕事が増えれば、お金が回る。ネモフィラ姫のおかげで、魔族領はどんどん豊かになっていくでしょうね」

「そう。そしてゆくゆくは、この旧市街区は物語いっぱいの町に生まれ変わるのよ!」


 歓喜のあまり、突き上げそうになる拳をなんとか押さえる。夢物語などではなく、魔族領はこの半年でどんどん変化していた。

 物語が普及し、識字率が向上した。本を作る紙やインクの職人たちが潤い、城下町に活気が出てきた。ローデンヴァルト伯爵のような貴族が、私以外の作家を生み出そうと学校を作った。

 そうやって、魔族領は着々と豊かになり始めているのだ。感慨深さに浸っていると、ステージの上から緊迫した声が聞こえてきた。


「死なないでください、騎士様! わたくしはここに居ります、あなたと共に暮らすために戻ってきたのです!」


 いつの間にか、舞台はクライマックスに差し掛かっていた。私たちは口を噤み、ステージへと向き直る。

 キナコちゃん演じる美少女メイドが、倒れる醜い野獣の姿をした騎士の傍で膝をつき、必死な形相で肩を揺すっている。キナコちゃんはいつもの大正ロマンな装いと違い、クラシックなメイド衣装。彼女が動くたびにひらひらと揺れるエプロンスカートが観客の目を引く。

 対して、倒れる野獣。これが難しかった。


「うう……メイドよ、わたしはもう、だ……駄目だ。もう、死ぬ……」


 美少女メイドに負けず劣らずの名演技。練習の時は目も当てられない状態だったのに、本番に強いタイプだったのかしら。


「大丈夫ですかね、リュシオンは。練習中はずっと爆笑して、キナコに蹴られてましたけど」

「そもそも、野獣役はシェレグじゃなかったか? 俺が見た台本ではそうなっていた筈だが」

「そ、そうなんだけど……カルチャーショックというか」


 そう。最初の段階では野獣役はシェレグに任せるつもりだった。シェレグは寡黙だし、真面目で黙っていると迫力もある。一番もふもふで、これぞ獣って感じだし。

 あの名作をオマージュした手前、登場するキャラクターもイメージは固まっていたのだが。


「シェレグって、格好いいんですよね?」

「そうですね。我々他種族では体格と毛並みがいいなってことくらいしかわかりませんが、人狼族の中ではかなり人気なんですよ、彼」

「それだと駄目なんです。この物語は、メイドと騎士が見た目に囚われず真実の愛を育むお話なので!」

「確かに。その設定をシェレグにあてれば、人狼族から怒りを買うだろうな」


 魔族領はとにかく種族が多種多様だ。下手に私のイメージを押し付ければ、それだけで争いの火種が出来てしまう。

 なので、野獣は着ぐるみにした。そして着ぐるみのサイズを考慮して、野獣役はリュシオンに変更となったのだ。

 正直、あの軽薄な性格のせいで演技に関してはかなり難航したのだが。結果的に着ぐるみで包んでしまえば、どうにかなった。美貌で名高いエルフの彼ならば魔法が解けて、本来の姿を見せればさまになるし。

 なんて……気楽に考えていたのだが。


「そんな、死ぬだなんて言わないでくださいませ!」

「いや、マジでこれ無理……頭が、朦朧としてきた……」

「わたくしはあなたを愛しています! あなたの見た目なんて関係ないのです、どうか目を覚まして!」


 場内がはっと息を詰める。野獣を救うのは、メイドからの真実の愛。ここで野獣が本来の美しい姿を取り戻して、二人は幸せに暮らしましたっていうハッピーエンドになる筈なんだけど。 

 

「あつ……い、息が……」

「あ、あれ? 騎士さまー、起きて―、わたくしはあなたのことを愛していますよー」

「息が、できな……い」


 キナコちゃんが顔面を引きつらせながら、何度も着ぐるみを揺すっている。リュシオンは演技が超下手なので、彼には二つのことだけやるよう言ってある。

 一つは、着ぐるみを着ている間は出来るだけ淡々と喋るようにする。

 もう一つは、キナコちゃんが「愛している」と言ったら魔法で着ぐるみを燃やして正体を明かす。

 魔族は魔法でいくらでも演出が出来るから、楽だし映えるなー、なんて思っていたけど。


「あの着ぐるみ、かなり分厚そうですけど大丈夫ですか? リュシオンのようなエルフは寒冷地出身なので、暑さにとても弱いのですよ」

「へ?」

「そういえば、そうだったな。姫は聞いていないのか? まあ、リュシオンは変なところで意地っ張りだから、己の弱点を自分から話したりはしないだろうが」


 あっけらかんと言うハトリさんとジェラ。どうやら、キナコちゃんもリュシオンの異変に気が付いたらしい。


「や、やば……リュシオンさん、大丈夫ですか?」

「ああ……だめ、だ……視界が、ぐわんぐわんする」

「きゃー!! ど、どどどうしよう!」


 もはや、演技も何もなかった。キナコちゃんが慌ててリュシオンから着ぐるみを脱がせようとするも、結構頑丈に作ったせいか彼女の力ではどうにもならないようだ。

 異変を感じ取った観客たちもざわつき始める。舞台袖も混乱しているのか、劇はそこで完全に止まってしまった。

 私も思わず立ち上がって、頭を抱える。


「ど、どうしよう! 照明を落とす? 幕を下ろす? どっちも出来ないわ、だって屋外劇場だもの!」

「落ち着いてください、姫。今はリュシオンの無事を優先しましょう。陛下、ステージ上に雨でも雪でもいいので降らせてください」

「う、うむ。多少は観客を巻き込むが、仕方ないな」


 困惑しながらジェラも立ち上がって、王笏を振るう。紫色に煌めく光の粒が流れ星のようにステージの上まで飛んでいき、雲となって水晶のような雨を降らせた。

 一瞬で下がる気温に、おお! と観客が歓声を上げる。どうやら演出の一つだと思われたらしい。


「リュシオン、大丈夫か!」

「シェレグさん⁉」


 舞台袖からシェレグが飛び出してきた。彼もリュシオンの異変と弱点に気が付いたのだろう。着ぐるみを抱きかかえると、自慢の剛腕で着ぐるみを引き裂いた。

 リュシオンは目蓋を閉じたまま、ぐったりと気を失っている。観客席から見えるのは、それくらいだ。

 ていうか、着ぐるみの下がいつもと同じ騎士の装いなのだから、それは暑いよね。リュシオンじゃなくても気絶しちゃうかも。


「リュシオン、しっかりしろ! 騎士の身でありながら、こんなところで死ぬ気か。死ぬのならば戦場で。我々が騎士になる時、そう陛下に誓っただろう? それなのに、一人で勝手に逝くな馬鹿者め」

「シェレグ、自分がいる場所がステージの上だってことを完全に忘れていますね」


 ハトリさんが呆れている。確かに、役名じゃなくて本名で呼んじゃってるし。いや、気持ちがわからないこともないんだけどね。

 リュシオンとシェレグって同僚だし、仕事以外の時間でも何かと一緒につるんでるのをよく見るし。ライバルであると同時に、親友でもあるのよね。

 うん、リュシオンが心配なのはわかるんだけどね。メイドをほったらかして、リュシオンを抱きかかえるシェレグっていう絵面が、なんかね。あれよね。


「なんか……嫌な予感がするんだけど」

「うむ、確かにな。念のために、癒しの魔法も飛ばしておくか」


 ジェラがもう一度王笏を振って、今度は癒しの魔法をステージ上のリュシオンに向かって放った。いつかの時と同じ風の魔法だ。

 花の香りを纏う春風が、観客を撫でるように吹き抜け、最後にリュシオンを癒す。


「……うぅ、気持ちわる」

「リュシオン⁉」

「あれ、シェレグ……オレ、どうなって――ぐえぇっ!!」

「よかった、本当に……一人で残されたら、どうしようかと」


 目を覚ましたリュシオンを、感極まったシェレグが抱き締める。風は雨雲を払い除け、夕暮れの光がベールのように差し込む景色はまるで天からの祝福のよう。

 で、そんな光景を見せられた観客はというと。


「す、素晴らしい……! まるで物語の世界に自分も入り込んでしまったかのようでした。これが演劇、なんて素晴らしい!!」

「こんな美しい光景は、生まれて初めて見ました!」


 まさかの大歓声。しかも、次々と席から立ち上がり涙を流しながら拍手し、それが波のように広がっていく。教えてもないのに、スタンディングオベーションである。

 さらに、


「きゃああ!! シェレグ様、格好いいですー!」

「リュシオン様かわいい! 護ってさしあげたい!」

「はわわわ……シェレグ様とリュシオン様、まさか見目麗しい殿方のお二人が、あのような関係だったなんて。なんて、尊い」

「どうなっちゃうんですか、騎士のお二人はどうなっちゃうんですか⁉ このお話、続編がありますのよね? 言い値で買いますわ!」


 と、主に女性からの黄色い声援が凄い。ちょっと、いや、半分くらいあれなのも聞こえるけど。

 うん……雨で髪や顎先から雫を滴らせながら、人狼とエルフの美男子二人が抱き合っていたら、そりゃあ……ちょっとね。


「ふう、一時はどうなることかと思ったが。どうにかなったな」

「そうね、どうにかなっちゃったわね」

「姫、この場合は小説の方を書き直した方がよろしいのでは?」


 ジェラは満足そうにステージを眺め、ハトリさんは心配そうに私を見る。その件については不思議なことに、全く何にも考えられず、私は客席に静かに腰を下ろした。思考放棄というやつである。

 そして、


「あ……アタシも頑張ったんですけどおぉー⁉」


 一番の名女優だったのに、ほとんど注目されないままのキナコちゃんが、ステージの上で悔しそうに喚いていた。


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