第五話 勇者と世界を見守る者


 クィンライム大神殿。人族領最南端に位置する神殿であり、歴史上もっとも古い建造物だと言われている。

 ストラーダ王城で育った僕でさえも、圧倒される。広大で、荘厳。しかし、さらに驚いたのは神殿だけではない。

 最奥の庭園に佇む神の御使い――王竜の姿に、思わず呼吸さえ忘れた。


「少年よ、名はなんという?」

「……イグニス。イグニス・ロッソ、です」


 声が、震えてしまう。見上げる程に巨大な体躯に、春の陽光を思わせる金色の鱗。優しくも鋭い空色の双眸に、厳格でありながら穏やかな声。

 竜は総じて人を遥かに凌ぐ力を持ち、人語を操る個体も少なくない。それでも、目の前に居る王竜は別格だと言葉を交わすだけで思い知らされた。

 世界を創造した神の御使いであり、人族と魔族を見護る者。それが王竜だ。普段は人里から離れた聖域に住んでおり、新たな勇者が旅立つ際には人族領最南端のクィンライム神殿に、新たな魔王が即位する際には魔族領最北端のクィンレイン神殿に降り立つのだそう。


「ロッソ……ゲルハルトの子だな。なるほど、その赤銅色の髪と顔立ちはゲルハルトに瓜二つだな。青の目は、母のリディア譲りか」

「母をご存知なのですか?」

「我は全てを見て、全てを知っている。赤子だったお主は覚えていないだろうが、病弱でありながらも気高い母であった。汝は父だけではなく、母からも愛されていた」


 ふっと小さく微笑む気配。そうだ、王竜は全部わかっている。わざわざ僕が名乗るまでもない。

 それでも名乗らせたのは、僕を見定めているのか。真意はわからない。


「イグニスよ。何故勇者の力を望む?」

「……世界を、平和にするため」


 王竜の問いかけに、あらかじめ用意していた答えを口にした。

 でも、王竜は否定するように首を横に振る。


「我に建前など無意味。汝の本心を答えよ」

「わざわざ言葉にしなくても、あなたは知っているのでしょう?」

「うむ。だが、汝の言葉で教えて欲しい。これは試練だ。答えよ」


 穏やかな口調でありながら、残酷な問いかけである。心の中をかき乱され、自分の中で一番醜いものを掴まれ、見せつけられるかのよう。

 ならば、構わない。たとえこれで勇者になれなくとも、僕がやるべきことは変わらない。


「……復讐です。力を欲するのは、父の仇をとるため。魔王ジェラルドを、あの卑怯者をこの手で葬るために、僕は勇者になりたいのです」


 今でも鮮明に思い出される、あの日の記憶。凍えるような冷たい雨に打たれながら、瀕死の状態で帰ってきた父。

 彼の身体には無数の傷があったが、致命傷となったのは背中の大部分を占めていた火傷だ。火傷は魔術によるもので、手当てを施す間もなく彼はその場で力尽きた。

 その火傷が腹部であったなら、まだ納得出来た。でも、背中に負っていたということは、父は背後から襲われたのだ。戦士アキムと聖女ユーリヤも同じように火傷を負っていた。

 そんなことが出来るのは、現魔王であるジェラルドに決まっている。前魔王エドガルドとの死闘で疲弊していた父と仲間の隙を突き、背後から襲撃したのだろう。

 なんて卑怯な男だ。考えるだけで、怒りで我を見失ってしまいそうだ。


「たとえ勇者と認められなくとも、僕は魔族領に行きます。そして刺し違えてでも、ジェラルドはこの手で始末します」

「そうか……今の汝には、そう見えているのか。よかろう、聖剣を高く掲げよ」


 言われるがままに、鞘から剣を抜いた。父、ゲルハルトから受け継いだ勇者の聖剣。

 だが、この剣は王竜から勇者と認められた者でしか扱えない。受け継いだとはいえ、今この手に持つ聖剣は封印状態であり、石のようにくすんでしまっている。訓練用の木剣の方がマシだと思う程のナマクラだ。

 そんな状態の聖剣を、言われるがままに両手で頭よりも高く掲げる。それを見た王竜が頷き、剣に向かってふっと息を吹きかけた。


「ッ――」


 声さえ出ない程に、美しい光景だった。眩い虹色の光が降り注ぎ、封印を溶かしていく。

 十年前と同じ、いや、それ以上の輝きを帯びたこの剣はまさに聖剣と呼ぶに相応しい。


「汝の思いは伝わった。イグニス、汝を勇者と認めよう」

「……よろしいのですか?」


 とてつもない力が漲るのを感じる。単純な体力や腕力ではなく、内に宿る力の源と表現すべきだろう。眩しくて、優しくて暖かい。それでいて強い力だ。

 でも……僕はこの力を、復讐のために使おうとしている。


「汝はゲルハルトにとてもよく似ている。父と同じように、正しく力を使い戦うがよい」

「……似てませんよ。父は、とても立派な人だった」


 本来の姿を取り戻した聖剣の握り締め、歯を食いしばり涙を堪える。世界を平和にすると言って、旅立った父。

 憧れていた大きな背中に手を伸ばすことを止めて、十年が経った。僕は父とは違う。ただ復讐のためにしか動けない。


「イグニスよ。人は迷い、あやまちを犯す生き物だ。だからこそ、面白い」

「お、面白い……ですか?」

「うむ、面白い。そして、今代は特に面白くなりそうだ。汝に、ジェラルド。そして……いや、今はまだ黙っておこう。ふふ、くくく」


 急に笑い出した王竜に、思わず視線を手元に落とす。何はともあれ、聖剣の封印を解いて勇者だと認められたのだ。

 ほっと、安堵する。しかしふと、聖剣の柄で輝く石に目が止まった。


 ……この石は、見覚えがある。


「あの、王竜。この剣にはまっている、この石は何ですか?」

「それは我が作った魔石だ。魔石、という代物は知っているだろう?」


 王竜の問いかけに頷く。魔石とは、魔力を秘めた石のことである。人族の大半は魔力が乏しいが、魔石があれば魔術を操ったり魔術道具を扱うことが出来る。実際に見たこと何度もある。

 だが、賢者ヴァルナルの杖にはまっている魔石でさえ、こんなにも透き通り、中に光の粒が弾けるような凄まじい代物ではなかった。


「その魔石は、人族領と魔族領に対として存在する唯一無二のもの。そうか、人族の間では存在を忘れられてしまっているのか」

「この魔石は、どういう力を持つのですか?」

「ただ、汝が望むものに導くものだと覚えておくがよい」


 正直、理解出来ない。どうやら戦いに関係するものではないらしい。


 ただ……似たような石を、どこかで見たような気がする。


『イグニスくん見てー! これ、お城の大扉の近くで拾ったんだよ。キレイだよねぇ、わたしのお守りにするんだぁ』


 そうだ、彼女だ。思い出した、幼い日の記憶。父を失い、絶望の中に居た僕にとって無邪気に笑ってくれる彼女、ネモフィラ姫は唯一の光。

 レンガとチョコレートケーキを間違えたり、道端で綺麗な石を拾って大切にポケットに入れていたりと奇行が少々目立つが、僕にとっては誰よりも大切な人なのだ。

 そんな彼女が、魔王にさらわれた。城から駆け付けてきた兵士から聞いた時には、身体中の血が沸騰する程の怒りを覚えた。


「王竜よ、最後に一つだけ教えてください。姫は、ネモフィラ姫は無事なのですか!?」

「無事だとも」

「そうですか……よかった」


 とりあえず、姫が無事であることだけはわかった。

 しかし安心したのも束の間で。


「魔王ジェラルドは意外と賢しい男だな。彼女の本質を見抜き、利用するつもりのようだぞ。いや、言い方が悪いな。彼女の才能を引き出し開花させる、と言うべきか」

「なっ!? それは、どういう――」

「くくく、これは面白くなりそうだ。彼女の言葉を借りるなら、我はバッドエンドは好かぬ。かと言って、ありふれたハッピーエンドも飽いた」

「はっぴー……? あの、王竜。あなたは一体何を言っているのですか?」

「我は全てを見て、全てを知っている。だが、それは過去と今のみ。汝たちが綴る未来はいかなる展開を見せてくれるのか、楽しみにしているぞ」

「ま、待って!」


 引き止めようとする手は虚しく宙を切る。翼を広げ、空へと飛び立つ王竜を茫然と見送る。

 彼の言葉の真意は何なのか、何を望んでいるのか。今はまだわからない。


 ただ、一つだけ明らかになったことがある。


「魔王ジェラルド……絶対に許さん。必ず、この剣で滅ぼしてやる……!」


 輝きを取り戻した聖剣を携え、僕は踵を返して神殿を後にする。


 そして、僕の勇者としての旅が、ようやく始まったのだ――

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