第四話 最初の読者は魔王でした。猫耳ではなく角らしいです。

「はあー……さっぱりした。お風呂っていいわよねぇ」

「そのセリフを口に出来る度胸が凄いわ。これからはちゃんと毎日入りなさいよね?」

「はーい、わかりましたぁ」


 恥ずかしい思いをしたものの、お風呂はいいものだ。特にいつも使わせて貰ってる使用人用の大浴場は、日替わりで様々なハーブや薬草が湯船にあしらわれていて凄く気持ちがいい。

 人族領では、ハーブや薬草は薬や料理に使うことがほとんどなのに。お風呂事情は魔族の勝ちだ。

 指先までほかほか、髪もさらさら。ご機嫌に鼻歌混じりで歩いていると、キナコちゃんが急に声を上げて立ち止まった。


「あ、やば!」

「どうしたの、キナコちゃん?」

「鍵を脱衣所に忘れてきちゃった。牢屋は鍵を開けたままにしてあるから、お姫ちゃんは先に戻ってて!」


 そう言うなり、キナコちゃんは脱衣所まで走って行ってしまった。

 ちなみに、ハトリさんは私を大浴場の前まで運んだ後で「陛下に探されていたみたいなので失礼しますね」と言ってさっさと行ってしまっていた。

 つまり、今の私は一人。

 自分が本当にさらわれた人質なのか、不安になってくる。人質なのかどうかの不安とは、一体。


「ま、まあ。逃げられる自信ないから、大人しく従いますけどねー……」


 そう、か弱い姫である私が魔族に太刀打ちできるわけがない。これは仕方なく従っているだけ。決して満喫しているわけではない。そう自分に言い聞かせながら、牢屋へと向かう。

 物語を一つ書き上げた達成感と疲労感で、いい感じに眠くなってきた。今日はこのまま寝てしまおう。

 ……と、思っていたのだが。


「あれ?」


 おかしい。誰か居る。暗くてよく見えないが、見知らぬ男性がなぜか私の牢屋に居る。

 一体何をしているのだろうか、微動だにしない様子が不気味だ。キナコちゃんを待った方がいいのかな。


「あ、あのー……入る牢屋、間違ってませんか? ここ、私の牢屋なので……私の牢屋ってなんか嫌な字面だわ」

「む? 何か言ったか?」


 暗闇の中でもよく通る、若い男性の声。


「え、あ……あなた、は」


 顔を上げて、こっちを見てくれたおかげでようやく姿が見える。彼の姿に、私は思わず口元を手で押さえた。

 ウルフカットの黒髪に、褐色の肌。端正な顔立ちに、満月を思わせる金の瞳。


 ――思い出した!


「猫ちゃん!!」

「は? ね、猫? どこに猫が居るというのだ」

「はわぁ、かわいい……! あなた、私が助けた猫ちゃんにそっくり! 耳だけ白いのも、黒くてモフモフした毛並みも、大きなお目々も――」

「って、その猫はまさか俺のことか? この無礼者め、俺のどこが猫だというのだ!」


 喚き叫びながら牢屋から飛び出す姿は、檻から逃げ出す猫にしか見えない。今まで狐や犬、熊などの獣人には会ったけれど。猫系の獣人には中々会えなかったのだ。

 そう、私には大好きなものが三つある。物語、チョコレートケーキ、そして猫。

 彼は、私が前世で命の代わりに助けた猫にそっくりなのだ。


「え、でも……猫耳あるよ?」


 私よりも頭一つ高い位置にある、三角の白い猫耳が特に似ている。いや、よく見ると白ではなく銀色だ。


「猫耳ではない! よく見よ、これは『角』だ」

「角? でも、ふわふわしてるわよ?」


 言われてみれば確かに、彼のそれは猫耳ではないようだ。よく見たら髪に隠れてはいるが、ちゃんと私と同じ位置に人の耳がある。

 でも、角にも見えない。黒髪の中で左右それぞれ一掴み分だけ銀髪で、それが猫耳のような形になっている。

 どれだけ目を擦っても、硬い角には見えない。


「……まあ、知らんのも無理はないか。俺のような『魔角まかく族』は、滅多に本気を見せたりはせぬからな。特別に見せてやってもいいが……いや、止めておこう。安売りはよくない」

「は、はあ。そうですか」

「ん? しかし、ここには『我はあと三回変身出来るのだ!』とちゃんと書いてあるではないか。これは俺に対する尊敬の念で書いたのだろう? しかし俺はあと一回しか変身出来んからな、この記述は直しておくべきだぞ。ふははは!」

「それはお決まりというか、王道展開というか……え、ちょっと待って。なんでそのセリフ知ってるの?」


 嫌な予感に鳥肌が立つ。

 そういえばこの人、何もない牢屋で私が声をかけるまで何を見ていたのだろう。

 何で、チラシの束を持っているのだろう。


 理解する前に、身体が動いた。


「そ、それ返して!」


 両手を伸ばし、チラシ束を奪い取ろうとした。だが悔しいことに、運動能力と反射神経は相手の方が上だった。

 突進する私を、ひらりと踊るように身を翻して避ける。


「おっと危ない、急にどうした姫よ。顔が真っ赤だぞ、熱でもあるのか?」

「恥ずかしいからに決まってるじゃない!! 読むなバカ! 返してっ、そして今すぐ忘れて!」


 何度手を伸ばしても届かない。相手の方が背が高いから当然なのだろうが、ひらりひらりと何度も躱されてしまって指先が掠めることすら出来ない。


「バカとまで言うか!? 不敬にも程があるぞ! だが、今日の俺は機嫌がいいので特別に許してやろう。歓喜に噎び泣いてもいいぞ」

「羞恥で泣き叫んじゃいそうよ! そもそも、どうしてあんたが私の小説を読んじゃってるのよ!」

「どうして? 面白いからに決まっているだろう」


 面白い、と断言する彼。不覚にも、バンザイの状態でぴたりと固まってしまう。


「……お、面白い? その物語が?」

「うむ。気がついたら全部読んで、お前に声をかけられるまで読み返していたくらいだ。そうか、これは物語だったのか。俺が知っている物語とは毛色が違うな、これは空想の話だろう」


 あまりの衝撃に一歩も動けなくなった私を尻目に、彼は手元のチラシをペラペラと捲った。


「まず、この勇者一行が面白い。真面目な勇者に、世間知らずな聖女。そして小賢しい魔法使いと熱血漢の戦士。最初は全く噛み合わないのに、旅が進むにつれ少しずつ息があっていく。勇者は最初から勇者だと思っていたが、こんな風に成長していくとは考えたことがなかった」

「そ、そう」

「それから、ダンジョンに迷い込んだ魔族の子供を助けたことで、魔王と戦うことに戸惑いを覚える勇者とは突飛な発想だな。俺としたことが不覚にもうるっときたぞ」


 あとここ、それからこの部分も。どうやら本当に最後まで全て読み込んだのだろう。

 一々ページを探して、楽しそうに指で示しながら感想を述べてくる相手の姿は、まるでお気に入りの絵本を見せてくる子供のよう。


 ああ、そうだ。私が前世で欲しかった……いや、今でも欲しいものが、これなのだ。私の物語を読んでくれた人の、『面白い』という感想だ。


 どうしよう、嬉しい。私の目もうるっとしてしまう。


「というわけでネモフィラ姫、この物語はしばらく預かっていくぞ」

「……へ? なにゆえ?」

「お前が書いたものを俺が回収して何が悪い? これを目にした魔族にどんな影響が出てくるか、詳細に検証せねばならんしな」


 滲み始めた視界が、一瞬で干からびる。何でそうなる、と言いかけるも声は出なかった。

 私よりも先に、あの二人が彼を呼んだからだ。


「あら、陛下。こんな場所で何をしているんですか? ……まさか、お姫ちゃんを夜這いしに来たとか?」

「探しましたよ陛下。まったくもう、お部屋に行くって言ったのに。何故こんな場所で油を売ってるんですか」


 途中で合流したのだろう、ジロジロと疑惑の目で私たちを見比べてくるキナコちゃんと、くたびれたと不満たらたらなハトリさん。 

 いや、それよりも。そんなことよりも。


「二人が陛下と呼ぶということは……わかったわ! さては、あなたが魔王ジェラルドね!?」

「今更か!? 知ってて喋っていたのではないのか!」

「知らないわよ! この世界、SNSどころか写真もないんだもの!」


 衝撃の事実である。人族領で常に噂され、恐れられている魔王にして私をさらった張本人。

 ジェラルド・オウロ・ティアルーン。十年前、十歳という若さで先代の勇者を倒してみせた、強大な力と天性の才を持つ魔族の王。

 人族領ではその名前を聞けば、大人でも震え上がる程の脅威。

 そんなおっかない人がまさか、こんな猫ちゃんモドキだったとは。


「おい姫、お前また俺を猫だと思っただろう」

「イイエ、ゼンゼン」

「……まあ、よい。とにかくこの物語は没収だ。今後も大人しくしていれば、悪いようにはしない。行くぞ、ハトリ」

「わ、わかりました」


 足早に立ち去る魔王と、慌てて追いかけるハトリさん。二人が居なくなると、牢屋には元の静けさが戻ってきた。

 静けさは戻ってきた……けれども。


「わ、私の物語……返しなさいよぉー!!」


 結局、チラシ束は奪われてしまい。けれども気に入って貰えたようなので、嬉しいやら恥ずかしいやら。

 ぐちゃぐちゃになった感情は抱えきれず、私に出来ることは不貞寝をキメるだけだった。


 名前もつけていなかった拙い物語が、私だけではなく、世界の運命を大きく変えることを。この時の私は、考えもしなかった――

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