第三話 美人は三日で飽きるけど、物語は一生飽きない

「チラシ裏にペンで小説を書くなんて、小学生以来だわ。ふふっ。また、ここからかぁ」


 机に向かうと袖を捲り、『タマゴ大安売り!』とデカデカ書かれたチラシを裏返して、私はペンを走らせる。日本語しか書けなかったらどうしようと思ったが、自然とこの世界の文字に変換された。

 前世では見向きもされなかった私の物語。この世界でもきっと、誰にも必要とされていない。

 それでも、いや、だからこそ私は物語を綴る。


 他の誰でもない、私のための物語を。


「ふむ……改めて考えると魔王にさらわれるお姫さまって、ドがつくくらいテンプレートよね。だとすると……やっぱり、勇者が助けに来てくれるっていうのが王道展開かな」


 ガリガリと、物語の骨組みであるプロットを組み立てる。作家によってプロットの形は様々だが、私の場合は思いついたネタや単語をぐちゃぐちゃと書き散らして線で繋げていくだけ。

 別に誰かに見せるわけでもないし。こうやってぐちゃぐちゃにしてると、意外な展開が生まれたりして面白いのだ。


「でも、ただ助けを待ってるお姫さまって退屈よね……今はヒロインが戦う時代よ。魔王が悪役ってのもなんかダサいな。いっそ逆に勇者が倒されちゃうとか。うーん……今の私にとって勇者はイグニスくんなんだけど、彼が負けるっていうのも想像できないなぁ」


 どうしよう、凄く楽しい。考えているだけでわくわくする。こんなに執筆を楽しめるのは久しぶりだ。

 時間はたっぷりある。ポイントや順位、字数制限も締め切りさえも気にしなくていい。

 読者の視線も、選考員の評価もない。


「これは私の、私だけが楽しむだけの物語なんだから!」



 そうして、執筆に没頭すること早五日。

 他にすることもないので、ほとんどの時間を執筆に費やした。その結果、約五万字の中編小説が出来上がった。

 出来上がったとは言っても、手書きなので文章は書き間違いだらけで付け加えまくりの不格好。そもそもチラシ裏なので紙自体もくしゃくしゃ。さらにはどうしても一つに決められなくて、結局三通りの結末エンドを書いてしまった。


 一つめは、勇者が魔王を倒し、お姫さまを救い幸せに結ばれるありきたりなハッピーエンド。

 二つめは、逆に魔王が勇者を倒し、世界の全てを掌握するよくあるバッドエンド。


 そして三つめは、読者ウケなんて完全に無視した、この物語に相応しい本当の――


「いい加減にしなさいよ、お姫ちゃん」

「……へ?」


 背中に感じる冷気。冷蔵庫かな? と思わせる程の冷たい怒りに、私は油が切れかけた人形のようにぎこちない動きで後ろを振り返った。

 相手は……言うまでもない。


「あ、あらー……どうしたのキナコちゃん、可愛いお顔が超怖いよ?」

「ええ、知ってるわ。一体誰のせいで、アタシの美貌が台無しになっちゃったのかしらね? お姫ちゃん、あなた何日お風呂に入ってないのかしら?」

「あー……でも、あんまり汗かいてないし。三日くらいお風呂に入らなくても死なないよ、えへへ」

「えへへじゃない!」

「大人しく観念した方がいいですよ、姫。キナコは怒るとこの城で一番怖いですから」


 声のする方を見ると、牢屋の外にハトリさんが居た。今日も相変わらずペストマスク姿である。

 そうそう、これは牢屋生活で思い出したのだが。彼のような種族は『仮面族』と呼ばれていて、お風呂だろうが寝る時だろうが仮面を外さないのだそう。


「現実逃避しない!」

「ごめんなさい!!」

「今日という今日はもう許さないわ! 陛下からあなたのお世話を命じられているっていうこともあるけど。それよりもアタシは、最低限の身だしなみも整えられないようなだらしない女が許せないのよっ。ハトリさん、この汚姫おひめさまを運ぶのを手伝ってください。水責めの刑に処すわ!」

「はいはい、大浴場ですね。入口までお付き合いしますよ」

「え? え?」


 私が混乱している隙にキナコちゃんに羽交い締めにされて、両足首をハトリさんに掴まれて持ち上げられる。

 うーん、スーパーとかで駄々をこねまくった挙げ句、両親に連れ返される子供みたいだね。


「って、何この状況!? 下ろしてー! お風呂場まで歩くからー!!」

「お黙り! そう言って何日お風呂をすっぽかしたと思ってるの!? 髪の毛ベタベタだし、手だって真っ黒じゃないの!」

「あ、待ってくださいキナコ。机からチラシが落ちてしまいました」

「後で片付けるので、今はこのままお風呂場へ直行しましょう!」

「いやあああ!! お姫さまとしての尊厳がああ!」


 ジタバタともがくも、身体能力で人族に勝る魔族二人に勝てる筈もなく。牢屋から運び出され、そのまま荷物のようにお風呂場まで運搬されることになった。

 確かに、筆が乗っている最中は適当な理由をつけてお風呂を拒否したけど! 前世からお風呂は面倒臭いって思うタイプなんだけども! これは流石に恥ずかしい!!

 騒ぎを聞きつけ、何事かと寄ってきた兵士達の視線が突き刺さる。

 恥ずかしい! 顔が沸騰するくらい赤くなっているのがわかるのに、顔を覆うことすら許されないなんて。

 そして、さらに悪いことは続く。


「離してー! せめて自分の足で歩かせてえぇ!! 恥ずかしいー!」

「いい気味だわ、自分の怠惰を反省しなさい!」

「うーん、とても人族のお姫さまには見えない」

「む、ハトリ。こんな場所に居たのか……って、何をしている?」

「おや、陛下。見ての通りお姫さまの運搬で忙しいので、用事なら後にしてください。後でお部屋に伺いますので」

「ごーめーんーなーさーいぃ! もう二度としませんからっ、毎日お風呂に入りますからぁあ!!」


 ある意味では拷問同然の仕打ちに、私は二度とキナコちゃんの前で無精をしないと心に固く誓った。

 ああ、恥ずかしい。後になって思い出しても、悶え苦しんで床を転がりたくなるくらいなのだが。


 私はこの時、前世から続く物書き人生で最大の過ちをしてしまったのだ。


「えぇ……不敬すぎないか、あいつ。魔王なのに……キナコと姫に至っては俺に挨拶すらしなかったぞ。気が付かなかったのか? 全く、せっかく姫に会いに来たというのに……ん?」


 まず、大騒ぎしていたせいで、この魔族領の最高権力者であると同時に、私を牢屋にぶちこみやがった張本人の存在に気がつかなかったこと。

 そして、私が騒いだせいで机から落ちたチラシが廊下にまで散らばってしまったこと。


「なんだ、このチラシは。まさか、あの姫が散らかしたのか? 全く……騒がしさといい、散らかしようといい、ミシェルが生きていた頃を思い出すな」


 トドメに、この男はその辺に居る使用人を呼ばず、自ら床に膝をついて散らばった紙を丁寧に集めるような性格で、


「このチラシ……裏に何か書いてあるな。手紙……ではないようだが……なんだ、これは」


 その場に座り込んで、書き殴られた文章を熟読するような物好きであったことを。私はこの時、知ろうともしなかったのだ。



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