第ニ話 人質生活、とても快適です


 拝啓、親愛なるお父様、お母様。いかがお過ごしでしょうか。

 私は今、魔族領で残酷な、それはそれはむごたらしい拷問を受けています。


「さあ、お姫さま。さっさと情報を吐いてちょうだい」

「うう、なんてひどい……私が何をしたっていうの……しくしく」

「しくしくって、泣きマネ下手くそね!」


 くすん、とこれみよがしに鼻を鳴らしてみるもすぐに嘘だと見破られてしまった。恨めしげに相手を見つめみるも、ふふんと不敵に微笑されるだけ。

 緩い三つ編みに纏められたクリーム色の髪に、つり目気味の黒い瞳。ふさふさとした尻尾に、ぴょこぴょこと揺れる三角の狐耳。

 和服が似合いそうな美女だが、着ているのはメイド服。人族領のメイドさんは機能性重視のシンプルなデザインだが、彼女の装いはレースやフリル多めで袖が着物のように広がっている。

 まさに大正ロマン風のメイドさんだ。メイド喫茶のような安っぽさはなく、可愛らしくも上品。センスが好きすぎる。

 これが魔王の趣味だとしたら、握手したい。


「ちょっと、聞いてるのお姫ちゃん?」

「ごめん、ロマンが止まらなくて聞いてなかった」

「もうっ! いいわ、このキナコ・ダイフクさまが直々に作った自信作のチョコレートケーキは自分で食べちゃうことにするわ」

「あー! それだけは待ってキナコちゃん! チョコレートケーキだけは、チョコレートケーキの命だけは!!」

「必死すぎじゃない⁉」

「だって、人族領で食べ損ねちゃったんだもの! チョコレートケーキ大好きなのにっ」


 目の前で取り上げられるチョコレートケーキに、必死に手を伸ばす。しっとりと、それでいてふわふわのスポンジに滑らかなクリーム。飾りにちょこんと乗っているいちご。完璧、完璧である。

 そんな愛しのケーキのためならば、私が知っている情報なんて惜しくはない!


「そうだ、キナコちゃん。半身浴って知ってる? ダイエットにもなるし、美容にもいいんだよー?」

「え、なになに? 知らない、教えて!」


 卑劣な拷問に屈して、私は情報を売った。彼女はキナコ・ダイフク。チョコレートケーキに負けず劣らず美味しそうな名前だが、彼女はスイーツじゃない。

 そもそも、この世界に大福は存在しない。


「ふーん? それは確かに美容によさそうね。合格よ。ではお姫ちゃん、褒美をくれてやろう」

「ははー。ありがたき幸せ!」


 無事に戻ってきたチョコレートケーキと、いい香りの湯気を立てるお茶。思わず両手を合わせて拝む。

 キナコちゃんにお世話をして貰うようになって三日程経つが、メイドさんとしての技量とお菓子作りの腕前は文句のつけようがない。モフモフな狐耳と尻尾はいつか触らせ貰う予定である。

 そうです。私、魔族領での牢屋生活を満喫しちゃってます。


「それから、これ。頼まれてた本、また適当に持ってきたから」

「やった! 本だ!」

「本なんかで喜ぶ女の子、初めて見たわ。じゃ、アタシはベッドのシーツ替えてるから、大人しくしてなさいね」


 机の脇に積まれた本。完全にケーキとお茶付きの読書タイムが完成した。素晴らしい。

 相変わらず牢屋生活だが、なぜだか私は人質兼お客様のように扱われている。お風呂とトイレは普通に行けるし、お菓子も食べられるし本も読める。

 最初こそは人族領の情報を吐かされるのかと身構えていたが、そんなことは全くなく。先程の茶番は、私のわがままを融通して貰うためにキナコちゃんに情報を渡しているだけ。それも美容命な彼女が喜ぶ情報なので、人族の秘密でも何でもない。

 外出だけはハトリさんが許可した時に、中庭を少し歩けるくらいだが。元々インドア派なので、外に出られないことがそこまで苦痛じゃない。

 最初こそハトリさんや他の魔族の外見に圧倒されてしまったが、この三日間でかなり慣れた。

 むしろ、毎晩見回りをしているガイコツ兵士達が、


「しー! お姫さまが怖がるから、出来るだけ静かに歩くんだぞ」

「あいさー!」


 と、足音を忍ばせているのを見れば、不気味さよりも愛くるしさが勝るというものだ。

 魔王のことは、今のところ何もわからない。話すどころか、未だに姿も見ていないし。

 でも危害を加えてこないから、実はいい人なのかも?


「そういえばお姫ちゃん。チョコレートケーキを食べ損なったって言ってたけど、人族のお姫さまがお預けなんて、何をやらかしたの?」

「違うよ! ただ、お父様とお母様にお茶会に呼ばれて、そこでチョコレートケーキが出たのに食べる前に気を失って……気がついたら、ここに居たの」


 前言撤回。チョコレートケーキを食べさせてくれない魔王なんて、絶対悪いやつだ。

 まあ接触してこないということは、私には用がないのだろう。

 特にやることもないのなら、私はお菓子を食べて読書を楽しむしかない。


「というわけで。物語もケーキもいっただきまーす!」


 甘いケーキを一口堪能してから、私は本を一冊手にとってページを開く。色褪せ、ずっしりと重い本にわくわくしてしまう。

 なにせ、これは魔族領の本なのだ。人族領に居たら絶対に読めない貴重な代物である。テンションが上がらないわけがない。


 ……そう、思っていたんだけど。


「違う、これじゃなーい!」

「び、びっくりした。なんなのよお姫ちゃん、急に大声出して」

「だってだって! 前に持ってきてもらった本も、この本も全部同じなんだもの! 全部勇者と魔王の戦いの歴史書なんだものー!!」


 これが喚かずにいられるか! キナコちゃんが持ってきてくれた本は、いわゆる人族と魔族の争いを綴った記録である。

 物語とは違うものの、これはこれで最初は楽しんで読むことが出来ていたのだが。どれだけ読んでも魔王が勝った、次は勇者が勝った、その繰り返しなのだ。

 多少の変動はあるものの、戦局は常に五分五分。淡々と記される歴史書は、貴重な記録ではあるが私の求める物語ではない。

 そうしている内に、私は悲しい事実を思い出してしまった。


 この世界には、ないのだ。


「そう言われても、物語なんてないんだもの。図書館に居る司書にも聞いたけど、他にあるのは図鑑とか辞書とか地図とか、そんなのばっかりよ?」

「そ、そんなぁ……」


 がっくりと項垂れる。チョコレートケーキが無かったらガチで泣いてた。でも悲しすぎるせいか、せっかくのケーキを味わうことなくバクバクと平らげてしまった。

 そう、この世界には物語が存在しない。魔族領に、ではない。人族領にもないのだ。


「そもそも、お姫ちゃんが言う物語がアタシの知ってる物語と違うのよね。魔王さまと勇者の戦いのことじゃないの?」


 不思議そうに首を傾げるキナコちゃん。彼女の反応こそが、この世界において物語が存在しないことを裏付けている。

 原因は恐らく、人族と魔族の争いが絶えず続いているせいだろう。両種族が自分達の優位性を保ち、誰が敵であるかを確固としたものにするために、戦争が生活の主体になってしまっているのだ


「違うよ! 例えば、人魚が人間の王子様に恋して人間になろうとするお話とか」

「人魚なんて、綺麗な歌と見た目で船乗りを魅了して船を沈没させるのが趣味な種族じゃない」

「じゃ、じゃあ。お城から追い出されたお姫さまが小人と一緒に森の中で暮らすお話とか」

「森の中なんて魔物の巣窟よ。歴戦の戦士ならまだしも、そんな場所で小人とお姫さまが住めるわけないじゃない」

「美女と野獣が恋に落ちるお話とか!」

「政略結婚の話なら、寝られなくなるくらいにおぞましい噂がいくらでも――」

「ちーがーうーのー!」


 最後の政略結婚の噂話はちょっと気になるけれど、今欲しいのはそういうのじゃない。

 物語。現実から切り離された幻想。時に笑えて、時に泣けるもの。どんなに辛いことがあっても、全部忘れて夢中になれる心の栄養剤。

 そういう物語が大好きなのに。いや、大好きなんてものじゃない。お酒や甘い物はなんとか我慢出来るけど、物語がないのは我慢出来ない。


 それでは、どうしようか。

 答えはすぐに出た。


「ねえ、キナコちゃん。今度は本じゃなくて、紙とペンが欲しいです!」 


 ないのなら、作ればいいのだ! 物語を!


「紙とペンって、手紙でも書くの? それとも日記?」

「ううん、そうじゃないの。そんな大層なものじゃないから、チラシとかでいいの。裏が白紙なら書けるから」

「チラシって……あのね、お姫ちゃん。アナタにあげるものは一応、全部ハトリさん経由で陛下に報告してるんだから。ちゃんと使用用途を教えてくれない?」

「それは……えっと」


 言いかけて、無意識に口籠る。自分で物語を書くのだ。そう言えばいいのに、言えない。自分で物語を書くとなると、どうしても小説家を目指していた昔の自分を思い出してしまう。

 何十作も書いておいて、そのほとんどが新人賞で一次選考落選。小説投稿サイトで公開しても見向きもされない。ランキングなんて載ったこともない。

 どれだけ努力しても、報われない。大好きなのに、裏切られ続けて。自分で物語を生み出したいという夢はいつしか変色し、変質し、鋭利な刃に変わった。

 前世の私の死因は事故だけど、そうじゃない。


 私は、どす黒く変質した夢に殺されたのだ。


 ……それなのに、私は物語を嫌いになれない。距離を置くことすら出来ないのだ。


「えっと、メモ……そう、メモ用に」

「メモねぇ……ま、それなら誰にも文句言われないでしょう」


 ちょっと待ってなさい。空になったお皿とカップ、洗濯物を持って牢屋からキナコちゃんが出て行く。

 そして五分くらい経った頃、紙束と羽根ペンとインク壷を手に戻ってきた。


「はい、これでいい? 全部使用人が使っているものの余りだから、安物だけど」

「うん! ありがとう、キナコちゃん!」

「この借りは、とっておきの美容情報で返してもらうからね? 夕食までに用意しておきなさい」


 いたずらっぽく笑いながらそう言い残して、キナコちゃんは牢屋を出て行った。

 離れて行く足音。この牢屋は一番奥にある上に、近くの牢屋には誰も居ないので、私一人だけになると凄く静かになる。

 キナコちゃんの足音が完全に聞こえなくなるのを待ってから、私は貰った道具をゆっくり机に置いた。

 

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