第四話 教育とは誰のためのものか
驚いた。魔王が泥棒の名前を知っているだけではなく、まるで友達にそうするかのように声をかけるだなんて。人族領では考えられない
……いや、もうこいつが誰にでもフレンドリーに接していることに関しては何とも思わなくなってきたけど。でも、今度の相手は貧相な身なりの泥棒なのよ?
しかも名前を知っている上に、相手の方も久しぶりに会ったかのような反応。混乱していると、魔王が当然と言わんばかりに頷いた。
「うむ、ロニーは俺の友人だぞ」
「……はあ、なんであんたはそうやって何でもかんでも」
「ふうん、そうなんだ。魔王ってば本当に顔が広いわねぇ。たまごサンドの店長さんの次は、泥棒なんて」
「そうだ、忘れるところだった! ロニー、もう盗みはやらないと言っていなかったか? あれは俺の聞き間違いだったのか?」
どうなんだ? 魔王が王笏で泥棒……ロニーを突っつきながら問い詰め始めた。叱責というよりはじゃれて遊ぶようなものだが、くすぐったいのかロニーがぎゃあと声を上げて逃げる。
「悪かったってば! 目の前に転がってきたから、つい出来心で! 癖が出ただけだ!!」
「なるほど癖か。ならば、その癖が治るまで両手を縄で縛ってやろうか?」
「や、やめろ! そんなことしたら、誰がチビ達の面倒を――」
「あ! 魔王さまだぁー!」
二人の騒いでいる声が聞こえたのだろう。声の方を振り向くと、今にも崩れそうな建物からひょこっと覗いてくる子供が居た。
それも、一人じゃない。一人二人、三人四人とわらわら出てきた。気がつくと十人近くの子供たちに囲まれてしまった。
「なんだ、皆居たのか。元気だったか?」
「うん、げんきー!」
「魔王さまぁ、このお姉さんだれー?」
「え、ええっと」
もう何が何やら。私は考えることを止めて、とりあえず子供たちが何者なのかを把握することにした。
見ると、子供たちは皆、薄汚れた身なりをしている。年齢は三歳から十歳くらいまでとバラバラだ。
「彼女はネモフィラ姫だ。お前たちが好きなあの物語を作った、人族の姫だぞ」
「ちょっ、何を言って――」
「えっ、ほんとに!?」
「物語って、魔王さまがくれたあの本だよね?」
三人の子供たちが一旦建物に走って行き、すぐに戻ってきた。そして、それぞれの手で大事そうに抱えられている本に、気絶するかと思った。
「あんた……こんな場所にまで配ってやがったのね」
「ああ。姫の物語は面白いし、教材にしようと思ってな」
「魔王さまー、ロニーおにいちゃん、またご本読んでほしいの! あたしたち、はやく文字を覚えたいの」
本を掲げるように持って、読んで読んでとせがんでくる子供たち。困り顔の魔王がロニーを見て、そして二人が私を見た。
「いいだろう。今日は姫も居ることだ、彼女にも手伝ってもらおう」
「え、待って。それまさか、自分の物語を子供たちに読み聞かせしろってこと?」
「いいじゃんそれ、さんせー」
「わあい! やったー!」
あれよあれよと言う間に、広場の方へと引っ張られてしまい。枯れた噴水の縁をベンチ代わりに座らせられ、周りに三人の女の子が集まってきた。
子供のキラキラな目が苦しい。自分の作品を自分で読み聞かせるって、どういう羞恥プレイ? 自己主張エグくない?
「はい、お姫さま。おねがいします!」
「うう……わ、わかったわ。心を無にして読み上げるわ」
こうなったらどうにでもなれ、だ。私は本を受け取るとページを開いて、文字に視線を這わす。作者だからといって、一字一句覚えているわけじゃないからね。
「……こほん。ここはとある世界、とある国のお話で――」
「あ、待って待って。お姫さま、あたし達にも物語が見えるように持って」
「え、えっと、これでいいかな?」
膝の上に置いて開くと、子供たちが食い入るようにして覗き込んできた。うーん、これはこれで読み難い。
というか、この本自体は子供たちのものなのだから、どうしてそんなに覗き込む必要があるのだろう。
その理由は、すぐにわかった。
「お姫さま、この文字はどういう意味なの?」
「これは冒険……旅をするっていう意味よ」
「それじゃあ、この文字は?」
「これは数字の三よ。ここでは兵士が三人って書いてあるの」
「そっか、数字だったのね! あたし、この文字が読めなくてずっと気になっていたの!」
読み聞かせるというよりは、授業といった方がふさわしい。私の説明を、子供たちは一言も聞き漏らすまいと真剣な顔で聞いて、何度も繰り返して覚えようとしている。
そう、子供たちは文字を読むことが出来ない貧民であり、孤児なのだ。私は顔を上げて魔王を見る。彼もまた、私と同じように子供たちの質問に一つ一つ答えながら文字を教えていた。
「うーん……自分で言うのもなんだけど、この本は教材には向かないわね」
私は凝った肩を揉みほぐしながら、思わずそうこぼす。
この本の文字は、一般的な小説と同じくらいの大きさだ。読み聞かせたり、子供と一緒に読むには不向きだ。そもそも、文字数も多い。
それでも、子供たちは必死に文字を覚えようとしている。
「ねえ、私はまだ魔族領に来たばかりだから教えて欲しいのだけれど、魔族領には学校ってないの? ロニーは文字が読めるみたいだけど、読み書きはどうやって教わるの?」
「学校はねー、お貴族さまとかお金持ちが行く場所だよ」
「ロニーおにいちゃんは昔お貴族さまだったんだって。でも、おにいちゃんの家族がボツラク? っていうのをしたせいで、貧乏になっちゃったって言ってたよぉ」
代わる代わるに子供たちが話す。たどたどしい話し方だが、私は頭の中を整理しながら聞いていく。
人族領でも似たようなものだが、魔族領の教育事情はよくない。学校に行けるのは裕福な者だけなのだ。
さらに、ロニーは没落した元貴族らしい。どういう事情で没落したのかまではわからないが、彼が盗みに手を染めなければ生きていけない状況ということは、魔族領の経済状況は相当悪いと考えていいだろう。
「あたしねぇ、大きくなったらお城のメイドさんになりたいの。魔王さまのお洋服とかお部屋をキレイにして、魔王さまに恩返ししたいんだぁ」
下半身が蛇になっている少女が、照れ臭そうに言った。わたしもわたしも、と鳥獣人の女の子と単眼族の女の子が笑顔で続く。
「わたしはお医者さまになりたい。みんなが元気になれる魔法やお薬を作るのよ!」
「アタシはとにかくお金をたくさん稼ぎたいわ。そしてこの旧市街区を、金ピカで立派な街にするのよっ」
「素敵ね。皆の夢、きっと叶えられるわ」
「えへへ。魔王さまもそう言ってくれたの。でも、夢を叶えるためにはお勉強が必要だからって、お姫さまのご本をくれたのよ。そして三日に一回はここに来て、皆にお勉強を教えてくれるの」
彼女たちの笑顔は、まるで道端で満開に咲くたんぽぽのようだ。思わず本を握り締めて、私は奥歯を噛み締める。
恥ずかしかった。魔王が言っていたこと、私は完全に勘違いをしていた。
教育水準の底上げ。それは他でもない、子供たちのためだったのだ。彼らが自分の夢を叶え、輝かしい未来を繋ぐために。
魔王が時折城を抜け出していたのは、彼らに勉強を教えるためだったのだ。
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