第三話 旧市街区の泥棒

「ま……待って、それ私の!」

「お、おい待て」


 姫! 魔王が呼び止めるも無視して、私は店を出て泥棒を追いかけた。通りを歩く人は多いけど、こんな天気のいい日にフードを被っているから相手は結構目立つ。

 お守り……元々は拾いものだけど、子供の頃からずっと大切にしていた。ただのガラス玉でも、お父さんを亡くして泣いていたイグニスくんを笑顔に出来た、凄いお守りなのだ。

 あんな泥棒なんかに、渡すわけにはいかない!


「姫! ちょっ、待てと言っているだろうに――」

「陛下!? どうして城下に居るのですか!」

「げ、しまった」


 魔王が後方で何者かに捕まったようだ。尊い犠牲だった。しかし私は振り返ることなく、泥棒を追いかける。

 一体どこへ向かっているのか、徐々に人通りが少なくなっていく。泥棒もスタミナが切れてきたのか、ちょっとした段差でも足を取られることが増えてきた。

 対して私、実は運動には自信がある。前世は完全インドア派だったが、今世はお姫様として恥ずかしくない教養を身につけるべく、ダンスやら乗馬やら色々な運動をしている。魔族領に来てからは再びインドア生活だが、そこは若さでカバーだ。

 これなら追いつける! キナコちゃんから借りた靴が運動靴でよかった。


「そこの泥棒、観念しなさい。御用改めであるー!」

「う、うわぁ!?」


 道端に転がっているレンガに躓いた隙を突いて、私は思いっきり相手の肩を両手で掴みかかる。でも勢いがよすぎたのか、そのまま二人で転がるようにして倒れ込んでしまった。

 うう、痛い。でも泥棒を捕まえられたからいいか。でも、ほっとしたのも束の間で、


 顔を上げたら、景色が一変していた。

 

「いたた……あれ、ここ……どこ?」


 身体を起こして、辺りを見回す。昼間であるにも関わらず、太陽が遠く薄暗い。空気まで冷たく感じる。

 新市街区とは全然違う。来た方向から考えて、もしかしたらここが旧市街区なのだろうか。

 うーん、魔王と約束したのに……一時間も保たなかったなぁ。


「おい、離せよ!! 何なんだよテメェ!」


 感慨深く思っていると、下敷きにしていた泥棒がジタバタと暴れ始めた。力が結構強くて流石に押さえきれない。咄嗟に相手の腕を掴んだものの、すぐに振り解かれてしまう。

 でも押さえないと逃げられちゃう!

 すったもんだしている内に、相手のフードが外れた。チョコレート色の茶髪に、同じ色の瞳。ついでに頭には可愛らしい垂れ耳と、フッサフサの尻尾。犬の獣人だ。年齢は十五歳くらいだろうか。

 モフりたい、けど我慢。


「それはこっちのセリフよ! 盗んだものを返しなさい。魔族領には、他人のものを勝手に盗んでいいだなんて法律があるわけ?」


 出来るだけ鋭く睨みつけながらも、思う。もしかして、魔族領では盗みは合法だったりするのだろうか。だって、魔王も私の小説を奪ったし。

 でも、どうやら違うらしい。


「お、おれは落ちているものを拾っただけだし! 盗んでなんかねぇよ!」

「嘘! だって、私と目が合ってから逃げたじゃない。あれは私のだって気づいてから逃げたでしょ。明らかに確信犯ね」

「ぐっ……あ、ああそうだよ!! キラキラしてキレイだから、さぞ高価な魔石だと思ったんだ。でも、よく見たら違った。キレイなだけのガラクタだった。だから返すよ、返せばいいんだろ?」


 ほらよ、と乱暴に投げ渡されるお守りを両手でなんとか受け止める。落としても割れるどころか、傷すらついていないお守りがなんだか頼もしくて、よしよしと撫でてからポケットへとしまう。

 よかった、素直に返してくれて。それから、魔族領でも盗みは悪いことであってくれて。

 ……それなら、魔王が小説を盗んだのは本当に何だったのよ。


「……なあ、あんた人族だろ」

「ええ、そうよ」

「じゃあ、あんたが……えーっと、モノガタリ? を作ったっていうお姫さま?」

「ま、まあ……そう、だけど」


 恥ずかしい! 何これ、凄く恥ずかしいわ! 自分の作品を知っている人に会うのって、こんなにいたたまれない気分に追い込まれるのね!

 サイン会とか出来る売れっ子作家さんたち、尊敬するわ……。


「ふうん……そっか。だから魔王さまと一緒に居たのか。じゃあ、魔王さまに伝言してくれねぇ?」

「伝言? 魔王に? 泥棒のあんたが?」

「ああ。魔王さまには、魔王さまのやるべきことがあるだろ。軍備を整えて、勇者を迎え撃つとかさ。おれはバカだからよくわかんねぇけど。あの人には、おれたちみたいな『貧民』を構う暇なんかない筈だからな」

「え、え? それ、どういう意味?」

「どういう意味って……ああ、来ちゃったよ」


 何かを言いかけるも、泥棒はすぐに口をつぐんでため息を吐いた。よく見ると、泥棒の垂れ耳がひょこひょこっと動いている。

 一体何が来たのか。問いただす前に、「姫!」と私を呼ぶ声。


「姫! ああ、よかった。まったく、旧市街には来るなと言ったばかりなのに」

「あ、魔王。あんた、誰かに捕まってなかった?」

「見回りの騎士たちに声をかけられただけだ。早く城に戻れと叱られたが……それよりも、お前だ馬鹿者。ただでさえ護衛が居ないというのに、俺から離れてどうする。というか……なんで、そんなにボロボロなんだ」


 追いついた魔王が追いついてくるなり、ガミガミと小言を言い始めた。確かに勝手な行動をしてしまったが、馬鹿に馬鹿と言われることほど腹が立つこともない。

 でも、言われてみれば確かにボロボロだ。転んだせいでスカートは汚れて、膝からは血が滲んでいる。

 ううむ。こういうすり傷って、自覚すると妙に痛いし痕に残りやすいんだよねぇ。お父様が見たら卒倒するかも。


「はあ……反省しているのか? まあいい。とりあえず、怪我は治してやる」

「え、治すって」

「すぐに終わるから、動くんじゃないぞ。……風の精霊よ、ネモフィラ姫に癒やしの風を」


 魔王が王笏を片手でくるりと回すと、どこからともなく柔らかい風が吹き込んできた。

 甘く、爽やかな花の香りを纏う風。心地良く思ったのも一瞬で、あっという間に霧散してしまう。

 そして、さらに驚くことがもう一つ。


「わあ……! すごい、ほんとうに怪我が治ってる! これ、魔法? 魔法よね!?」


 跡形もなく消えてしまった足の傷。指でなぞってみるが、血がこびりついているだけで痛くもなんともない。

 まるで最初からケガなどしていなかったかのようにさえ感じてしまう。


「凄い! 魔王、あんたって凄いわね! 感動したわ!!」

「お、大袈裟だな。これくらいなら、人族でも出来るだろう?」

「魔法道具を使えばね。でも違うの! あんたの魔法、すっごく綺麗!」


 傷を癒やすくらいなら、魔法道具さえあれば私にも出来るだろう。でも、それはただの医療行為だ。私が感動したのは、傷を癒やしてくれたことだけではない。

 魔王の魔法。私はもちろん、おそらく彼以外の誰にも真似出来ない。そう思わせるほどに、彼の魔法は美しかった。


 押さえつけていた筈の創作意欲が、新たな餌を得て軽くカーニバル状態になってしまうほどに。


「はー、惜しいわ今の。スマホがあればなー。録画して永久保存したのになぁ」

「あー……も、もういい。姫、一旦口を閉じろ。ところで……」


 若干顔を赤らめながら、魔王が私の口を自分の手で塞いだ。

 そして、彼の目はそろりそろりと逃げ出そうとしていた泥棒に向けられる。


「さてロニー、今度は何を盗んだんだ? というか、俺が目の前に居るのによくもまあ許しも得ずに逃げようと考えられるな?」

「うげぇ、出たよ。はいはい魔王さま、今日もお元気そうで何よりですよ」

「え、もしかして知り合いなの?」


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