第七話 別離

「こ、これ……何これ、どういうこと?」

「それは俺が一番最初に作った見本だ。ちゃんと違いに気がつけたようだな」


 そう、それはよく見れば別物だった。装丁は同じだが、内容が違う。クライマックスが違う。

 魔族領に売り出されたものは、魔王が勝つという結末だった筈。でも、これはそうじゃない。


「俺は最初、結末はその形で売るつもりだったんだ。だが、ハトリたちに反対されてな。。我々は見た目は違えど、手を取り合い共存出来るのだと示したかった」


 私が書いた、三つ目の結末エンド。幸福ではなく、かといって不幸とも違う。それは全ての謎を解き明かし、あらゆる問題を解決した末に手にする真実トゥルー


「そう……そう、そうよ! これ、これなの! 私が書きたかった物語はこれなの! これこそが、この物語に相応しい真の結末、トゥルーエンドなのよ!!」

「とぅるーえんど……それが、この物語の名前か?」

「違うわよ、トゥルーエンドっていうのは……ううん、そうね。この物語は、トゥルーエンドと名付けましょう!」


 そうか、やっとわかった。私がどうしてもこの物語に名前をつけられなかった理由。それは、物語の形に納得出来なかったからだ。

 でも、やっと完成した。この物語は、この形でないと駄目なのだ。


「あのね、ジェラ。物語の結末には大きく分けて三種類あるのよ。幸福、不幸、そして真実。私は真実……つまり、本当の形で終わる物語が一番好きなの」

「本当の形?」

「そう。だって、真実が残っているのにそれを幸福で隠したり、不幸で目眩ましする物語は偽物だもの。そりゃあ、真実は必ずしも幸福であるとは限らないから、知らない方がいいかもしれない」


 でも。私は手元の本を見つめ、大事に抱えた。今の私にとって、ジェラが作ってくれたこの本は、黄金や宝石なんかよりも価値のある宝物だ。


「トゥルーエンドは、作者がその物語で一番表現したかった本当の形だから。私は自分の物語に相応しい結末を突き詰めたいし、どんな悲惨な真実でも携わった物語のトゥルーエンドは知りたいの」

「ふっ、なるほどな。ネモと過ごしてきたこの半年で少しはわかったつもりだったが、俺はまだ理解が浅かったようだ。ならば、改めて詫びなければならないな。お前の物語を、トゥルーエンドを世界に出せなかったこと、悪かった」


 そして。ジェラが私をまっすぐに見る。


「ネモ、トゥルーエンドを世界中に広める気はないか。魔族領はもちろん、人族領にもだ」

「え、トゥルーエンドを? でも、反対されたって言ってたじゃない」

「そうだ、今はまだ厳しい。そもそも物語自体が浸透し始めたばかりだから、まずは識字率を上げないといけない。物語とは自由なものと知って貰わなければならない。そんなところから始めないといけないのだから、実行出来るのは何年先になるかわからん。それでも、俺はこの物語を両種族の和解へのきっかけにしたい」


 ジェラの言葉に、私はもう一度手元の本を見下ろす。私の物語が、両種族の和解させる。何も知らない人が聞けば、馬鹿なことを言うなと嘲笑うだろう。

 でも、私の心は決まっていた。


「……私は作家だから、政治に関してはジェラに任せるわ。その代わり、物語のことなら任せて。万が一、このトゥルーエンドが駄目でも、お父様や人族の皆に私たちの思いが届くまで何百作でも書いてやるわよ」

「ふはは! 頼もしいではないか、俺も負けていられんな」


 二人でしばらく笑い合う。最高な気分。今なら何でも出来る気がする。

 いや、出来る。ジェラと二人なら、どんな不可能なことでもやれる。支えてくれる仲間たちだって居る。


 それなのに、幸せな時間は唐突に終わりを告げた。


「ネモ、そろそろ戻ろう。ハトリにバレたらうるさいしな」

「そうね。こんな素敵な日にお説教なんて嫌だわ」


 ベンチから立ち上がって、二人で劇場へと戻る。そして皆を労いながらお城に帰って、また明日から執筆を頑張る。そんな日常を過ごせると思っていた。

 それなのに、


「ッ、ネモ!!」

「え? きゃっ!?」


 突然、ジェラが私を突き飛ばした。不意打ちだったのと、あまりにも強い衝撃に私はよろけてしまい、そのまま尻もちをついてしまった。

 地面が柔らかい芝生だったのは運がよかった。お尻が痛いが、怪我とかはしないで済んだ。


「いたた……もう、何よ急に――」

「ぐっ、あぁ」

「ジェラ……ジェラ!?」


 夢だと思った。それも、とびきりの悪夢だ。たった今まで感じていた幸せが凍りつき、バラバラに砕け散ってしまった。

 信じられなかった。いや、何が起きたのか理解出来なかった。


 どうして、ジェラのお腹を一振りの剣が貫いているのか。それが何を意味しているのか、わからなかった。


「魔王ジェラルド。背後から襲われる屈辱はどうだ、この卑怯者め」


 分厚いローブを着込んだ男が、地を這うような低い声色でジェラを呼ぶ。今までに感じたことのない、冷たい殺意。一際強い風が男のフードを取り去ったことで、彼の時間を素顔が露わになった。


「イグニス、くん……?」

 

 イグニス・ロッソ。先代勇者が残した一人息子で、私の幼馴染。そして彼がここに居る意味を、彼が何をしたのかを、やっと理解した。


「貴様……勇者、か。は、どおりで気配を感じなかったわけだ」


 勇者。そうだ、イグニスくんが持つ剣は、普通の剣ではない。この世界にたった一振りだけ存在する、魔王を倒すことが出来る唯一の剣。

 勇者の聖剣が、背中からジェラの腹部を貫いていた。


「イグニスくん!? やめて、ジェラに何をしたの!」

「何を? 制裁、いや……復讐ですよ、ネモフィラ姫」


 イグニスくんが忌々しげに吐き捨てるように言って、ジェラから剣を抜いた。夜闇の下であるにも関わらず、虹色に輝く剣は神聖で見惚れるほど美しい。

 でも、刃を濡らす血はジェラのもの。その場に崩れるジェラに、私は反射的に駆け寄った。


「ジェラ、ジェラ! 大丈夫!? しっかりして」

「ゴホッ、ゲホ……ネ、モ」


 傷口から夥しい量の血が流れ出している。彼が落とした王笏が、血溜まりの中に沈む光景には恐怖さえ覚えた。

 このままでは、ジェラが死んでしまう! 私は練習した通りに、ブレスレットを掲げてたすけを呼ぼうとした。

 でも、その手は呆気なく掴まれてしまう。


「僕の復讐は達成されました。これで僕は復讐者ではなく、やっと勇者としての使命を果たせる。行きましょう、ネモフィラ姫」

「は、離して! このままだと、ジェラが死んじゃう」

「何を言っているのです? その男は先代勇者を背後から襲撃し、さらに姫をさらった愚か者。同情の余地はありません、卑怯者はここで野垂れ死ぬのがお似合いだ」


 イグニスくんに手を掴まれたまま、私は無理矢理立たされる。なんとか彼の腕を振り解こうとするも、勇者となった彼に力でかなうはずがない。


「いや、いやあ!! ジェラ、ジェラぁ!」

「落ち着いてください、姫! もう大丈夫ですから、これからは僕があなたを守りますから」

「離して、お願いだから離して! イグニスくんは誤解してる、ジェラはそんなひどい人じゃない!」


 誰か! 誰でもいいから、ジェラを助けて! 私は喉が裂けるほどに叫ぶ。口の中に血の味が滲んだが、構わなかった。

 ジェラを助けられるなら、私は――


「くっ、仕方がない。失礼、ネモフィラ姫」

「ジェラっ……!」


 視界をイグニスくんの手で塞がれた瞬間、急に意識が遠くなる。イグニスくんが私を魔法で眠らせたのだとわかった時には、もう指先すら動かせなくなっていた。


「ネモ……行く、な」

「ふん、無様だな魔王。そこで自分の行いを省みて、後悔しながら死ね」


 私は抵抗出来ないまま、イグニスくんに抱えられる。必死に抗おうとするも、意識は朦朧とし始めた。

 そして、完全に意識を手放してしまう直前。ジェラの声が、聞こえたような気がした。


「殺される……あの男に、お前まで……だから、行くな……ネモ……」

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