五章
本当の結末
第一話 夢は跡形もなく燃え尽きてしまった
目を覚ました時に見えたのは、とても懐かしい天井だった。視界は水の膜が張ったようにぼやけていたが、それでも見間違うことはない。
ここは、私の部屋だ。借りたものではなく、子供の頃から過ごした、正真正銘の私の部屋。
「ネモフィラ!? 目を覚ましたのね、わたくしが誰かわかる?」
「……お母、さま」
「そうよ、あなたの母よ! よかった……本当に、無事でよかった……」
ベッドの脇で、泣き崩れる女性。私と同じ金髪は少し乱れており、いつも綺麗に化粧をしている目元に隈が見える。一瞬別人かと思ったが、彼女は私のお母様であるカトレアだ。
何が、あったんだっけ。ぼんやりとする意識で記憶を探っていると、今度はお父様が歩み寄ってきた。
「おお、ネモフィラ……! 具合はどうだ、気持ち悪くないか?」
「お父様……あの、私は」
「大丈夫だ、もう安心していい。イグニスがお前を助けたのだ」
そう言って、お父様が私の髪を撫でる。大きくて、温かい手は心地がいい。
でも、イグニスくんが私を助けたって?
「しかし、魔王の元へ到達するまでに半年以上もの時間がかかってしまいました。己の未熟が、姫にどれだけの苦痛を与えてしまったか」
「お前に落ち度はなかったぞ、イグニス。本当によくやってくれた。ありがとう、お前は勇者として相応しい行いをしたのだ」
「そんな……もったいないお言葉です」
お父様が、入り口の近くで控えているイグニスくんを褒め称えている。イグニスくん、本当に勇者になれたんだ。子供の頃からの夢を叶えられたことを、私もお祝いしないと。
でも、何だろう。胸がざわざわして、落ち着かない。
「医者は大事ないと言っていたが……ヴァルナルよ、お前から見てどうだ? 姫になにか、悪しき魔法などはかけられていないか?」
「ふむ……わたしが見たところ、姫の手首にはめられたブレスレット以外に魔法の痕跡は見られません」
ヴァルナル……年老いた賢者は、久しぶりに会ったにも関わらず特に変わった様子は見られない。知っている顔ばかりが見えて、安堵を覚える。
でも、それも束の間で。
「しかし、魔王ジェラルドの力は侮れません。わしですら見破れないような、巧みな魔法を仕込んでいるかもしれません」
「ジェラルド……ジェラ!?」
その名前が聞こえた瞬間、私の意識が完全に覚醒する。全部思い出した。どうして、こんな大事なことを忘れていたのだろう。
跳ねるように上体を起こして、私を見る顔ぶれを見回す。でも、何度見ても、あいつが居ない。
当然だ。ここは人族領なのだから。
でも、それならジェラは?
「どうしたのです、ネモフィラ? 急に起き上がったら危ないですよ」
「私のことなんてどうでもいいわ! それよりもジェラは? ジェラはどこなの!?」
「お、落ち着くのだネモフィラ。魔王のことは心配しないでいい」
「ほ……本当に?」
お父様が私を落ち着かせるように、私の背中をさする。不思議なことに、それだけで本当に落ち着くことが出来て、希望さえ見えた。
しかし、希望は呆気なく砕け散った。
「うむ。魔王ジェラルドは、イグニスの手によって滅ぼされたのだ。もう二度と、お前の前に現れることはない。全ては終わったのだ、ヤツの死によって」
「……え?」
何の話をしているのか、理解出来なかった。
ジェラが、死んだ?
「あの時、姫が魔王を外へ連れ出してくれて助かりました。怖かったでしょうに、姫の勇敢な行いには流石の魔王でも油断していたようです」
「ち、違う! 私は、そんなつもりじゃ……」
まるで、カナヅチで頭を殴られたかのような衝撃だった。そうだ、私は青空劇場で嫌な気配を感じていた。でも、気のせいだと思って誰にも話さなかった。
ジェラを空き地へ誘ったのも、私だ。でも、それは気分転換がしたかっただけで、危害を加えたかったわけじゃない。ガタガタと震える手に視線を落とすと、私は自分が何かをずっと抱きしめていたことにやっと気がついた。
真っ白な表紙の本。ジェラから貰った、この世にたった一冊だけのトゥルーエンド。全部、夢ではない。
――真実だ。
「あ……あ、ああ」
「ネモフィラ? 大丈夫よ、もう怖がらなくていいの。だって――」
「違う、違う! 私は、ジェラに死んで欲しいなんて思っていない!!」
私の頬を撫でようとしたお母様の手を、私は思いきり払った。怒りでも悲しみでもない、それでいて抑えようのない激情。
あまりにも姫らしくない言動に、お父様やイグニスくんだけではなく、普段は仏頂面のヴァルナルまでもが信じられないものを見るような目で私を見つめていた。
「皆は間違ってる! ジェラはッ、魔王ジェラルドは皆が思っているような人じゃない! 魔族だけじゃなく、敵である人族の平和のことも考えてくれていた。世界を平和にしたいと言ってくれた人なの!!」
「姫、落ち着いてください」
「イグニスくんはひどい!! どうしてジェラを刺したの? あいつが何か悪いことをした!?」
目からぼろぼろと涙が溢れてくる。ジェラは何も悪くない。何より、世界を平和にするためには彼が必要だった。
それなのに、居なくなってしまった。
「な、何を言っているのですか。姫、魔王はあなたをさらったのですよ!?」
「でも、私は何もされてないわ! むしろ、私はジェラに感謝してる。あいつは私の夢を叶えてくれたから!」
そうだ、最初はあいつが勝手にやったとはいえ、私はずっと作家になりたかった。物語に埋もれて生きたかった。その夢を叶えられたのは、他でもないジェラのおかげだ。
もしもジェラが私をさらわなかったら、私は前世を思い出すこともなく、小説を書くこともなかった。お姫様として、すべきことを成し遂げただろう。
人族だけの幸福を願うだけの、世間知らずなお姫様。平和を当たり前に享受して、むしろ退屈だとさえ考えていたかもしれない。
でも、私は変わった。
「イグニスくん、これを読んで」
「これは……何ですか?」
「私が書いた物語。そして、魔王ジェラルドが望んだ夢、トゥルーエンドよ」
私はずっと抱き締めていた本を、イグニスくんに向けて差し出した。お父様でもお母様でもなく、勇者であるイグニスくんに。
彼にこそ、読んでほしかった。でも、
「……物語。それは、姫が魔王に書かされていた読み物ですよね?」
イグニスくんは、受け取ることを躊躇っているようだ。どうやら、ジェラに書くことを強制されていたと思われたらしい。
「か、書かされていたんじゃない。私が自分の意思で書いたの!」
「い、イグニスや。物語とは、一体何なのだ」
「僕も詳しくはないのですが、魔族領で流行っていた娯楽品です。魔王は姫の才能に目をつけ、利用していたのです。娯楽品ではありますが、物語をきっかけに本を読んだり、文字を書くことへ魔族たちは意欲的になっておりました」
「ふうむ、ただの本かと思っていたがそういう代物か。あるいは……」
イグニスくんに拒まれた本を、ヴァルナルが代わりに手にとった。そしてパラパラとページを捲っていく。
賢者である彼はかなりの読書家で、どんなに難解で古めかしい古書でもあっという間に読破してしまう。
「なるほど、これを姫が書いたのですか。確かに、見事なものです」
「そ、そう」
ページを捲り、文字の上に視線を滑らせながらヴァルナルが呟くように言った。感心してくれているようだが、常に得体のしれない仄暗さを纏うヴァルナルが、私は昔から苦手だった。
だから本を、トゥルーエンドを取り返そうと手を伸ばそうとするも、遅かった。
「陛下。姫様がここまで魔王に入れ込んでいる様子から見て、やはり何かしらの洗脳を受けているものと思われます」
「な、なんでそうなるのよ! 洗脳だなんて、ジェラにそんな大それたことする度胸なんてないわ」
「落ち着くのだネモフィラ、何としてでもお前は助ける。してヴァルナルよ、どうすればネモフィラは助かるのだ」
「そうですね……」
私の訴えには聞く耳すら持ってもらえず。お父様がヴァルナルに縋るような目を向けた。ヴァルナルは自分の顎を指で擦りながらしばらく考え込む。
そして、不気味な微笑を浮かべて本を閉じ、私に見せつけるように左手で持ち直した。
「魔石や魔法の痕跡があるか否かに関わらず、魔王が与えたものは全て燃やす方がよろしいかと。このように」
「ま、待って!!」
私が慌てて止めようとするも、遅かった。ヴァルナルが右手に持っていた杖で本を軽くと、真っ黒な炎が表紙に灯る。
そしてどんどん、本が炎に飲み込まれていく。このままでは、紙片すら残さずに消えてしまう。
トゥルーエンドが、ジェラとの夢が燃えて失くなってしまう!
「やめて! お願い、燃やさないで!!」
「ネモフィラ!?」
「姫、危ない!」
お父様とお母様を突き飛ばすようにしてベッドから下りるも、ヴァルナルに掴みかかるよりも先にイグニスくんに止められてしまった。
後ろから抱き締めるような形で拘束されれば、身動きすらとれない。そうこうしている内に炎は全てを飲み込み、本は完全に燃え尽きてしまった。
欠片どころか、燃えカスすら残さずに。
「あ、ああ……そんな、トゥルーエンドが」
「姫⁉」
あまりにも残酷な光景に、身体中の血が凍ってしまったかのように感じた。失意でその場に崩れ落ちる私を、イグニスくんが支えてくれる。
そんな私を見下ろしながら、ヴァルナルがいやらしく口角をつり上げる。
「効果はあったようですね。あとは、そのブレスレットと……他にも何かお持ちでしたら、全て処分した方がよいでしょう」
「ヴァルナル殿、姫はかなり消耗なさっている。今日のところは、これ以上の負担を姫にかけるのは避けるべきだ」
私を庇ってくれるイグニスくん。ヴァルナルは呆れたようにため息を吐くと、判断を仰ぐようにお父様の方を見る。
お父様は私とイグニスくんを見比べ、しばし考えた後でヴァルナルに言った。
「そ、そうだな。今はとにかくネモフィラを休ませよう。洗脳を解くのは、ネモフィラの状態が安定してからでもよかろう」
どうやら今の私、相当顔色が悪いらしい。自分で立つことすら出来ない。イグニスくんやお母様の手を借りて、再びベッドに寝かせられる。
もう、何も考えられない。だから無意識にスカートのポケットの中を探ってしまう。空っぽのポケットの中を、何度も何度も探してしまう。
「ヴァルナル、それからイグニスよ。ネモフィラを休ませている間に、魔族の対策を考えねばならん」
「ええ、そうですね」
「……まあ、仕方ないですね」
何もかも、私を置いて進んでいく。もう、何かをする気力は湧かなかった。
私の心は、完全に折れてしまったのだ……。
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