第六話 まさに映画の世界に入り込んだかのようだった!

「……ねえ、キナコちゃん。いいの? 城内であっても、魔王が護衛もつけずに勝手に歩き回るなんて」


 仕方がないので、お庭のベンチに二人で腰を下ろして魔王を待つことにする。花壇には見慣れないお花が色鮮やかに咲いており、桃のような甘い香りが漂っている。


「うーん……いいか悪いかで言ったら、悪いけど。陛下の言い分も間違いじゃないから」

「言い分って?」

「このお城だけではなく、魔族領全体で見ても陛下が一番強いってこと。だからこそ、王竜は陛下を今代の魔王に選んだのだから」


 はっ、と腑に落ちる。確かに、人族領の王と魔族領の王では事情が異なる。私のお父様は殴り合いの喧嘩すらしたことがないような人だが、魔王は違う。荒ぶる魔族達を力で統治する者なのだ。

 そして王竜は、力がある者にしか権利を与えない。勇者には聖剣を、魔王には王笏を。だから、魔王の王笏を持つ彼は、王竜お墨付きの実力者というわけだ。

 ……全然そんな風には見えないけど。


「でも、陛下がどんなに強くても護衛なしで外出はダメよ。もし陛下が外に行こうとしたらちゃんと止めてね。大声出してもいいから」

「う、うん。わかった」


 うぅ、責任重大だなぁ……。


「それにしても、陛下って妙にお姫ちゃんに構うわよね。やっぱり陛下ってば、お姫ちゃんのこと好きなのかしら?」

「は、はあ!? ななな、何を! 何を急に!?」

「いやーん、お姫ちゃんってば罪な女だわ。陛下を狙う女は数え切れないくらい居るのに、横からかっさらって独り占めするなんて。暗い場所には気をつけてねぇ」

「縁起でもないこと言わないでえぇ!」


 静かなお庭に、私の悲鳴が響き渡る。恥ずかしさで顔から湯気が出てる気がする。

 違う、絶対に違う。独り占めなんかしてない。って、問題はそこじゃない。魔王が私のことを好きだなんて、そんなわけない。嫌われてはないようだけど、そういうのじゃない。絶対違う。

 ……でも、もしも。万が一の確率で、魔王が私のことをそんな風に思ってたら。

 私、一体どうすれば――


「待たせたな。さっきの奇声は姫か? 俺の部屋にまで聞こえていたぞ」

「ぴぎゃああああぁ!!」

「な、何だ? マンドラゴラでも引き抜いたのか?」


 最悪のタイミングで戻ってきた魔王が、私のことを怪訝そうに見てくる。王笏を携えているところを見るに、ちゃんと自分の部屋まで行ってきたらしい。

 私のことを好き云々の話は聞かれていないのはよかったが、これではただ私が奇声を上げただけになってしまったような。


「どうだキナコ、ちゃんと王笏を持ってきたぞ。これでいいのだろう?」

「はい、結構です。それじゃあお姫ちゃん、そろそろアタシも会議に行かないとだから。陛下のこと、よろしくね」


 任せたわよー、とキナコちゃんが急ぎ足で立ち去ってしまった。王笏で肩をコンコンと叩きながら、魔王が首を傾げる。


「むう……? キナコは変わっている。普通は俺に姫のことをよろしく、ではないのか?」

「さ、さあねー」

「……姫よ、俺に何か隠していないか?」

「え、えーと……あ、それが魔王の王笏ね!? せっかくだから、ちょっと見てもいい?」

「これを? 別に構わんが、物好きだな」


 話題を逸らすべく、咄嗟に私は視界に入った王笏を指差した。

 王笏、と仰々しい呼び名に相応しい杖だ。長さは彼の胸元くらいまであり、細身だが金属で出来ているようだ。杖の上部は拳大の黒い魔石を中心に、数え切れないくらいに大量の魔石で飾られている。

 豪奢でありながらも、これは飾って楽しむ芸術品ではない。戦うための武器だ。

 ……夢の中の彼が、血溜まりの中から拾い上げた杖はこれだったのか。頭に過ぎったの光景を振り払うように軽く頭を振ると、不意に目の前の王笏に違和感を覚えた。


「ねえ、魔王。この王笏の先端にも、もう一つ魔石があったんじゃない?」


 私は思わず、王笏の先端に触れる。そういう装飾なのかと思ったが、どうやらそれは魔石を抱く台座のようだ。


「ほう? よくわかったな。確かに、昔はこの王笏にもう一つ魔石がついていた。色々あって、失くしてしまったがな」

「失くした!? それって、大丈夫なの?」


 たとえ魔石一つだとしても、この王笏は勇者の聖剣と対を成す唯一の武器。言い換えれば、勇者に対抗出来る唯一の手段なのだ。

 だから王笏が不完全な状態では、魔王が勇者に負ける可能性は跳ね上がる。それなのに、当の本人は王笏を持ち上げ軽く振った。


「よくはないが……まあ、特に問題はない。ここにあった魔石は特別でな、一生に一度使うかどうかわからん代物なのだ。この王笏は、次代の魔王に引き継ぐ時までに何とかすればよい。お前が気にする必要はないぞ」

「そ、そうなんだ」


 どうやら、戦いや魔王の職務に必要な魔石ではないらしい。持ち主がそう言うなら、私からはこれ以上何も言えないが。

 ……って、なんで魔王のことなんか気にしてるの私!


「王笏があると片手が塞がるのが煩わしい。もう少し短ければ、剣のように腰にさすことも出来るんだがな。いっそのこと切ってしまおうか。ポケットに入るくらいの長さならば、持ち運びしやすいだろう」

「そんな短い杖じゃあ、見てくれが悪すぎると思うんだけど……」


 ぶんぶん振り回す魔王に、ため息を吐く。いや、別に魔王が王笏をどうしようが私には関係ないが、それを託される次の魔王が可愛そうだ。

 ……でも、その失くなった魔石とやらが妙に気になってしまう。なんていうか、そこにぴったり嵌まるサイズの石を、どこかで見た覚えがあるのよね。しかも、つい最近。


「では早速行くか。ついて来い、姫」

「わ、わかったわよ」


 歩き出した魔王の後を追う。魔族しか居ない場所へ改めて足を踏み入れることに、緊張や気まずさでどうにかなりそうだった。

 でも、それも最初だけ。


「わあ! 見たことのないものばかり! あ、待って魔王。あの天井に居るてんとう虫みたいなの、あれは何?」

「あれは天井を掃除する魔法道具だ。細かいところは無理だが、あれで大体綺麗になる」

「凄い、とんでもなく便利ね! じゃあ、あれは? うさぎの獣人さんが運んでる、ダチョウとタコが合体したみたいな生物!」

「あれは魔族領の海に居る魔物だ。結構美味いぞ。というか、お前の昨日の夕食のシチューにも入っていた筈だが、気づかなかったのか?」

「そうなんだ! それは食欲のためにも知らない方がよかったわね!」


 彼が連れ出してくれた場所は、私にとっては未知で楽しいところだった。初めて見る魔法道具。見たことのない生き物。

 そして何より、


「おや、陛下。お散歩ですか?」

「うむ。今日はネモフィラ姫に我が城を案内しているのだ」

「それはそれは。はじめまして、ネモフィラ姫。わたしは食堂の料理長をしておる者です。先程ベリーパイを作りましてね、よければ寄って行ってください」

「あ、噂のお姫様だ! 物語読みましたよ、とっても面白かったですぅ!」

「ええ!? あ、ありがとう……ございます」

「うおお陛下、ちょうどいいところに! 通信の魔法道具が壊れてしまったみたいで、直せます?」

「へーいーかー。ヒマですー。なにか面白いこと考えてくださーい」

「ぬあー!! お前たち、自由すぎるぞ!」


 魔王が姿を見せるなり、すぐに囲まれて私ごともみくちゃにされる。王に対して不敬極まりないが、私は彼らの様子が新鮮だった。

 私が知ってる王はこうじゃない。民はもちろん、同じ城で暮らす臣下達にとっても遠い存在だった。何か粗相をすれば罰せられる、行く先を塞いで自分の欲求を訴えるなんてもってのほかだ。

 でも、それが王として正しいか。私は、違うと思う。


「まったく……これくらいならばドワーフの工房に持って行けばいいだろうに」

「そう思ったのですが、ちょうどよく陛下が通りかかったので。つい」

「ついって……まあいい。ほら、直ったぞ」

「うおっ、さっすが陛下! ありがとうございます! では、仕事に戻ります!」


 無事に修理された魔法道具を大事そうに持って、走り去る魔族を見送った。ようやく一段落ついたのか、軽く息を吐きながら魔王が私の方を見る。


「まったく、騒がしいやつらだ……悪いな姫、足止めをくらってしまった」

「気にしないでいいわ。このお城、とっても活気があるわね。私のお城とは全然違う。皆、あんたのことを慕っているのが見ていてわかるもの」


 王は民に慕われてこそ、存在意義がある。私が臣下でも、仕えるならばお父様よりも彼の方がいいとさえ思い始めていた。

 だって、こっちの方が楽しいもの。


「む? そ、そうなのか……いいように使われているようにしか思えないが」

「あー、そうとも言えるわね」

「見限られるよりはいい。だが、これ以上絡まれては日が暮れそうだ。姫、一旦外に出よう」


 こっちだ。再び先を行く魔王の後を、私が追いかける。今度は何を見せてくれるのか、楽しみで仕方がなかった。

 だから、私は忘れてしまっていた。あの血生臭い悪夢のことを――

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