第五話 ぽいずん! 


「……ちゃん、お姫ちゃん。大丈夫?」

「う、うう……」


 キナコちゃんに肩を揺さぶられて、私は目を覚ました。窓から差し込む朝日が眩しい。すっかり朝のようだ。

 よかった、夢だった。


「ひっどい汗! それに顔も真っ青だし……お姫ちゃん大丈夫? 気持ち悪い?」

「え、ううん。ちょっと、変な夢見ちゃって」


 心配そうに見てくるキナコちゃんに、私はなんとか笑いながらパジャマの袖で額を拭った。凄い汗だ。それに、なんだか体中がだるい。

 ふと、自分の右手がお守りを握り締めていることに気が付いた。

 あれ……私、寝る前にお守りを机の上に置かなかったっけ?


「そう……その汗だと、お風呂に入った方がよさそうね。朝ごはんは食べられそう?」

「もちろん……って言いたいけど、ちょっと無理かも」


 いやでも思い出される酷い光景と、血の臭い。気持ち悪さに口を押さえると、キナコちゃんが労るように背中を擦ってくれた。


「そっか、じゃあお茶だけ淹れるわ。あと、果物も持ってくるから、食べられそうだったら食べてね」

「うん、わかった」

「それから、陛下ヘ面会予約したいって言ってたけど、どうする? 今日は一日お休みの日だから、少しなら時間作って頂けるように言えるけど」

「い、いや! 今日は、やめておく……」


 確かに、物語のことで言いたいことは山ほどある。でも、あんな夢を見た後であいつに会ったら、話すどころかまともに声すら出せないと思う。

 夢……そう、あれは夢だ。事実ではない筈。でも、とにかく今は会いたくない。


「……そう。ま、お姫ちゃんがそういうならいいけど。はいお茶、水分補給は大事よ」

「ありがとう」

「じゃあアタシ、お風呂の準備をしてくるわね」


 私にカップを渡すと、キナコちゃんは浴室へと向かった。柔らかく甘いお茶の香りに、混乱していた心が少しだけ落ち着いていくのを感じた。



 で、今日は魔王に会うつもりはなかったわけだが。


「おはようネモフィラ姫! 今日はいい天気だな、絶好の物語日和ではないか!」


 お風呂と着替えを済ませて、気分転換にキナコちゃんとお庭をお散歩していたところで、まさかのエンカウントである。

 あ、野生の魔王が飛び出してきた! みたいなノリでひょっこり出てくるんじゃないよ!


「あら陛下? 今日はお休みだと伺いましたが」


 キナコちゃんが驚きながらも、不思議そうに首を傾げて魔王に問いかける。魔王は頷いて、私の方を見て楽しそうに笑った。


「うむ、休みだ。休みだからこそ、すぐに姫に会いたかったのだ」

「え……」


 不覚にもちょっと、本当にちょっとだけ胸がキュンとした。いや、これは仕方がない。魔王は性格がアレだが、顔はいいのだ。顔は。

 そもそも、私は前世からずっと恋愛経験ゼロ。防御力ゼロならばどんな攻撃でも致命傷だ。今の「会いたかった」だけでも気を抜くと致命傷になる。

 なんて考えていたが、ときめきなんてものは儚いものだとすぐに思い知った。


「本来、魔王である俺は休日でも何かとやることは多いのだが、今日はまず姫の物語を読みに来たぞ。次の物語は出来たか? 出来ただろう? 遠慮せずに見せるがいい!」

「殴りたい……殴りたい、この笑顔」


 握り締めた拳に力がみなぎる。悪夢はしょせん幻、やはりあの惨劇は、私のたくましい想像力が生み出した幻覚だったようだ。


「む、まさか出来ていないのか? なぜだ、紙やペンは部屋に置いてあっただろう」

「あ、あんた! まさか、私のことを書くものさえあれば、いくらでも物語を書ける超人だと思ってるわけ⁉」

「超人って……そんな大げさなものか? 紙に文章を書くだけだぞ」

「出た、出たよこの勘違い野郎め!! まさか異世界にまでこんな創作を甘く見る輩が居るだなんて、殴らせろ、いや殴る!」

「お姫ちゃん落ち着いて、無礼とかいう以前に口が悪すぎるわ」


 キナコちゃんにどうどうと宥められるも、この憤りは治まらない。彼女を振り切り、つかつかと魔王の前に歩み寄る。

 言いたいことは色々あるが。とりあえず、わからせておかなければならない。


「あのね! 紙に文章を書くだけっていうけど、そういうあんたは物語が書けるわけ⁉」

「へ? い、いや。俺は報告書などは書けるが、物語なんて――」

「そう、物語は報告書とは違うのよ。フィクションであろうがノンフィクションであろうが、物語の舞台である世界観、登場人物、主人公の欠点や目的や成長要素、お話の展開とかたくさんのことを準備しなくちゃ駄目なの!」

「そ、そうか……ふぃくしょん? よくわからないが、そういう……ものなのか。物語を作るというのは、大変なのだな」


 たじたじと、私の勢いに押されて後退る魔王。少しは創作の大変さをわかってくれたらしい。

 ふう、と息を吐いて落ち着く。言いたいことがちょっと言えたから、少しだけスッキリした。


「そもそも私、この世界で使えそうなお話のネタが何もないわ」

「ネタ? ネタとは何だ?」

「何だって……えっと、お話の材料っていえばいいかしら。これで書きたいっていう材料がないのよ」


 魔王に最初の物語を奪われた後も、めげずに色々な物語を考えてはいた。でも、そのどれもを書こうとは思えなかった。

 というのも、私が思いつくのは前世の世界をベースにした現代ものや青春もの、ホラーやミステリーばかり。ずっと牢屋に引きこもっていたせいか、今は前世の記憶の方が強いのだ。

 ただ書くだけならそれでも問題ないが、魔王がそれを読んでも多分ちんぷんかんぷんだろう。


「むう。なんとなくだが、わかったぞ。それで、そのネタとやらはどうすれ見つかるのだ?」

「うーん、私の場合はそうねぇ……本を読む、っていうのはこの世界ではちょっと違うから。お散歩したり、買い物したりしてるとネタを閃く時もあるかな」

「なるほど。ならば、城内や城下町を見て回ってくるのはどうだ? 今日は絶好の散歩日和だぞ」

「あんた、さっき物語日和って言ったじゃない」


 でも、それはいいかもしれない。前までは魔族が怖くて仕方がなかったが、今はこのお城での生活で恐怖心は無くなった。むしろ興味が湧いてきていたくらいだ。

 彼らはどんな日常を過ごしているんだろう。そこには、どんな物語があるのだろう。知りたいし、見てみたい。


「決まりだな。ではキナコよ、護衛を呼んで来てくれ。城下までなら、二人の内どちらか一人居れば十分だろう」

「え、でも陛下。今日はリュシオン様は魔術の講師で、シェレグ様は新兵の訓練で一日不在と聞きましたが」

「あ……忘れていた」


 どうやら、リュシオンは魔法騎士団の団長、シェレグは騎獣騎士団の団長らしい。そんな偉い人たちが私の護衛を受けてくれていたなんて驚きだ。

 でも、今日は前々から二人とも予定があったらしい。私が借りてる部屋は本来、魔王と家族だけが住まう区画にあるために、見回りの兵士も多く防衛魔法とやらもバッチリなので、この区画で過ごす限りは護衛は不要なのだとか。

 お散歩に行けないのは残念だが、今日は諦めるしかない……って、思ったのに。


「困ったな、今日はハトリも用事で夕方まで居ないのに。キナコはどうだ?」

「アタシもこの後、使用人会議があるんです」

「ならば仕方がない。この俺が、直々にお前の護衛をしてやろう!」


 なんて胸を張って言い出すのだから、もう手に負えない。


「陛下!? 急に何を言い出すんですか、駄目ですよ!」

「なぜだ、俺は魔王だぞ」

「だからですよ! 魔王陛下がお姫ちゃんを護衛するなんて、狙ってくださいって言ってるようなものじゃないですかっ」

「大丈夫だ、魔王は魔族領で最強だからな」

「そういう問題じゃないですって!」


 まるで子供同士の言い合いだ。口を挟む隙もなく、私は二人を見比べるしかなかった。


 で、結局折れたのはキナコちゃんで。


「はあ……では、お散歩は城内だけにしてください。それでもアタシは止めましたからね!」

「うむ、わかった。喜べ姫、俺が我が城を直々に案内してやるぞ」

「え、待って。なんでそうなるの?」


 え、いいのそれ? この人、魔王だよね? 王様なんて玉座に座ってることが仕事のようなものなのに、この人うろうろしすぎじゃない?


「あ、でも陛下。お散歩するなら、せめて王笏おうしゃくをお持ちください」

「ええ……別にいらんだろ、アレは。戦いに行くわけではないし、邪魔だ」

「邪魔って言わない! 本来はお風呂と寝室以外はずっと持ち歩くべきものなんですから! いい、お姫ちゃん。陛下が王笏をどこかに置き忘れたりしないように、しっかり見ておくのよ」

「わ、わかった」

「仕方ない、王笏を取ってくるか。姫よ、すぐに戻ってくるからここで待っているがよい」


 ああ、なんだかとんでもない展開になってしまった。ていうか、そもそも私は魔王に魔族のための物語は書かないって言わなければいけなかったのに!

 言いたいことが言えない、日本人の気弱さまで思い出したくなかった。前世のせいにしつつ、王笏を取りに行く魔王の背中を見送った。

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