第三話 値段を言われた後のケーキは味がしない

「あー、どうしよう……ややこしいことになってきちゃった……」


 ふかふかなベッドに飛び込み、ゴロゴロしながら私は呻くように呟いた。

 案内された部屋は広くて、明るくて、静かだ。トイレやバスルームも併設されている。牢屋よりも遥かに居心地がいい。

 だが、牢屋に居た頃よりも心は窮屈だった。


「物語を喜んで貰えたのは嬉しい……それが魔王でも嬉しい。悪い人ではなさそうだし」


 最初に感じたのは、とにかく嬉しいという感情だった。面白い、もっと読みたい。そんな風に言ってもらえたのは、いつぶりだっただろうか。

 私の中の一番単純で幼稚な部分が、彼のためだけに物語を書きたいとさえ思ってしまっている。彼はどんな物語が好きなのだろうか。魔王らしく、ホラーやグロテスクな物語だろうか。それとも、冒険ものや恋愛ものか。そんなことをつい考えてしまう。

 でも。冷静な私が、それを止める。


「教育……そうよね。物語って、国語の教科書にも載ってるくらいだし。でも教科書に使われるってことは、魔族の力を強めることになっちゃうよね」


 ベッドに放り投げていた本を手に取り、パラパラとページを捲る。教科書でもなんでも、私が作った物語を読んでくれるなら嬉しい。それがきっかけで物語好きになってくれたら、もっと嬉しい。

 しかし教科書というものは、無条件で正しいものだ。この本もそう。魔王は絶賛していたが、流石に三つの結末をそのまま載せるということはしなかった。

 採用されたのはバッドエンド。つまり、魔王が勇者を倒すという結末だ。個人的には、これはこれでよく書けたので満足感は十分にある。

 魔族が読んでも不満には思わないだろうし、教科書としても十分使えるだろう。文字を覚え、文章を読み思考する能力を身につけられる。

 そして何より、魔王が誰よりも強い存在であるということを知らしめられる。自分の物語がどれだけ影響するかはわからないが、私は人族の敵である魔族の力を底上げしようとしてしまっているのだ。


「うー、どうしよう……物語は書きたい、読んでもらいたい。そして私以外の作家が生まれてほしい。歴史書以外の本が読みたいぃ……」


 再び本を放り投げて、ゴロゴロとベッドの上を転がる。広いベッドの上は、私が存分にゴロゴロ出来るくらい広い。休みの日だったらこの上だけで生活出来る。

 そんなことをぼんやり考えて現実逃避していると、不意にスカートから固い感触が伝わってきた。うつ伏せのまま、私はもぞもぞと『お守り』を取り出す。

 ゴルフボールくらいの大きさの、不思議なガラス玉。氷のように透き通り、光の粒が弾ける。子供の頃に拾って以来、なんとなくずっと大事に持っているのだ。

 最初は魔石かとも思ったが、特に何の役にも立たない。おそらく、誰かの装飾品から外れたものだろう。

 役には立たないが、悩んでいる時にこれを見つめていると頭が空っぽになって、いつの間にか心が落ち着いてくる。


「うん……やっぱり、書かない方がいいよね。今の私は小説家じゃなくて、人族の姫だもの」


 揺らぐ心を、結論で無理矢理押さえつける。そうだ、前世とは違う。今の私にはやるべきことがあるし、言動には気を付けなければならない。

 魔王と話をしよう。牢屋に逆戻りになるだろうが、我慢しなければ。そう心に決めようとした、その時だ。

 お守りが、少しだけ強く光り輝いたように見えたのは。


「え、何これ」

「失礼しまーす、お姫さま! ……ちょっとお姫ちゃん、行儀が悪いわよ」

「わわ!? き、キナコちゃん、どうしたの?」


 ノックの後に、キナコちゃんがカートを押して入ってきた。私は慌てて上体を起こすと、お守りをスカートのポケットに押し込む。

 お茶と甘いお菓子の香りがふんわりと鼻をくすぐる。たったそれだけで、私はお守りが光ったことを忘れてしまった。


「ふふん、脱牢屋の記念にお祝いしようと思ってね。丁度お茶の時間だし、腕を振るっちゃったわ」

「わあ凄い! 美味しそう!」


 テーブルに用意されたお菓子とお茶に、私は反射的に飛び起きてダッシュで椅子に座った。三段のケーキスタンドには、一口サイズのケーキやクッキー、マカロンや果物が綺麗に飾られている。

 ティーカップも可愛いお花柄。今までとは格が違う、キナコちゃんの気合を感じる。


「これ、全部キナコちゃんが作ってくれたの? 凄いね!」

「こちら、全部合わせて三万ユピーになります」

「え……」

「ちなみに、今までみたいなケーキとお茶のセットは平均五千ユピーよ」


 にやりと口角を上げるキナコちゃんに、血の気が引いた。

 マジ? そういえば、魔王がキナコちゃんのお菓子もお金とるって言ってたような。そんな高いの? ぼったくりじゃない?

 いやでも……キナコちゃんのケーキはコンビニスイーツとはわけが違う。素材も技術も、高級ホテル並みだ。適正価格に間違いないだろう。

 部屋代が五万、お茶代が最低五千、他に食事やらお風呂やら服やらを考えると……稼いだお金じゃ全然足りない。

 私って、息してるだけでも結構お金かかるのね……。


「あはは! 冗談よ。お金を払ってもらうのは来月から、って陛下に言われてるからね。今月は勘弁してあげるわ。それに、今日はお祝いだからね。キナコ様の奢りよ」

「そ、そうなんだ。ありがとう……それじゃあ、キナコちゃんも一緒に食べようよ」

「うふふ、実は最初からそのつもりだったの。お姫ちゃんに誘われたんだから、これはもう断る理由もないわねー」


 私の分のお茶を淹れてから、自分の分も淹れるとキナコちゃんが向かいの席に座った。

 今までは見回りの兵士の目とかあったから出来なかったけど、この部屋には私たち二人しかいない。護衛の騎士たちも部屋の外だから、多少の無礼は許される。

 何より、お茶会は一人よりも二人の方が楽しい。


「いただきます、キナコちゃん!」

「はい、召し上がれ」

「ふわぁ、どれから食べよう……」


 十分に熟考した結果、ショートケーキから食べることにした。味は今更言うまでもない。


「はー、それにしてもまたこのお部屋の専属メイドになれるなんて思わなかったわぁ。皆に自慢しちゃったもの」


 お茶を一口飲んで、キナコちゃんが感慨深げに言った。彼女の話で知ったが、使用人にも階級のようなものがある。

 人族のお城でもそうだが、使用人の中には貴族の生まれの者も居る。大抵は次男以下で爵位を貰えない者で、そういう人たちは王族直属になったりする。

 同じ使用人でも、王族直属の使用人は王族のお世話が主な仕事となる。それは使用人としても格が一つ上になるらしい。


「そういえば、ここって魔王の妹さんのお部屋らしいね。魔王に妹さんが居たなんて、知らなかったよ」

「あら、そうなの? 陛下は三人兄妹の真ん中でね。お兄様はアルフィオ様、妹姫はミシェル様というの。三人ともとても仲がよかったのだけれど、特に陛下とミシェル様はいつも一緒だったわ」


 さっき、魔王が言ってた気がする。


「ミシェル様はお姫様なのに活発な方で、散らかしたおもちゃは陛下が片付けてたくらいよ。ミシェル様が踏んだり転んだりして怪我しないようにって」

「そうなんだ。ミシェル姫……って言えばいのかな。今はどうしてるの? どこかに嫁いでいったの?」


 この部屋が空室になっているということは、ミシェル姫はもうこの城には居ないのだろう。ならば、嫁いだと考えるのが自然だ。


 でも、違った。


「いいえ、亡くなったわ」

「え⁉」

「十年前、五歳の頃に亡くなったの。それからずっと、この部屋はそのまま放置されてた。使う予定もなかったから、っていう理由もあるけど。陛下……ミシェル様を亡くされて、とても悲しかったんだと思う。だからこの部屋を片付けてお姫ちゃんに貸すって聞いて、正直驚いたわ」


 私は思わずケーキを食べる手を止めて、部屋の中をもう一度見回す。五歳という幼さで亡くなったということは、年齢相応の人形やおもちゃがあった筈。

 でも、そんなものは一つもない。調度品も合わせて何もかも入れ替えたのだろう。

 私には兄妹が居ないからわからないが、愛する妹の思い出を片付ける時、魔王は何を思ったのだろう。


「陛下の言うことやることって、結構突拍子もなかったりするけど。悪気があってやってるわけじゃないし、ああ見えて平和主義な方だから。出来ればお姫ちゃんも協力してあげて欲しいな」


 そう言って、自分で自分のお茶のお代わりを淹れるキナコちゃん。この日はそれ以上、魔王の過去の話を聞くことは出来なかった。



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