第六話 知らないままでいるという選択肢はなかった

 それでも、私は信じたくなかった。今まで信じてきた勇者という正義のヒーローを。


「ね、ねえ魔王……この人の言うこと、本当なの?」


 だから、私は魔王に問い質した。子供たちがスカートを掴んでいなければ、私が彼に縋り付いていたことだろう。

 お願いだから、否定してほしい。そうじゃない、と言って欲しい。

 でも、魔王は私の方は見なかった。


「……言いたいことはそれだけか、ナタン」

「あ?」

「これ以上、我が家族の死に様を侮辱する発言は許さん。一度だけ猶予をやろう、とっとと俺の前から消えろ。そして二度と、魔王城に足を踏み入れることはないと、この場で宣言しろ。そうすれば、此度の狼藉は許してやる」


 氷のような冷たい声で命じながら、魔王が王笏の先で石畳を強く突いた。ガツン、と響く音にハッと我に返った子供たちが、ロニーや私の方に逃げてくる。

 先程、私の傷を癒やしてくれた時とは違い、今の彼は暴力的だ。


「狼藉だと……? ふざけるな! 狼藉を働いたのも、エドガルド様を侮辱したのも勇者だろうが!!」


 ナタンは怯むも、すぐに魔王を睨み返した。わなわなと怒りに震え、魔王を脅すように戦斧を突き出した。


「このクソガキが、運良く生き残ったからって調子に乗りやがって! 大体、何でテメェが生き残った!? アルフィオ様こそが生き残るべきだった。アルフィオ様なら、エドガルド様の後継者として相応しかったのに! 一人だけ逃げ延びた弱虫が!! ぶっ殺してやるから、あの世で家族全員に詫びて来いやぁ!!」


 戦斧を両手で構え、魔王に向かって飛びかかるナタン。戦斧は錆びているが、力任せに振り下ろされれば頭どころかその辺の瓦礫でさえ簡単に砕くだろう。

 狂気に飲まれた一撃。あまりの恐怖に足が竦み、私は目を閉じて顔を背けた。最悪の想像が、頭を過ぎる。

 でも、想像が現実になることはなかった。


「――!?」

「はあ……『無敗のナタン』といえば、かつての魔王軍では羨望の存在だったのにな。すっかり落ちぶれたものだ」


 私は恐る恐る目を開ける。渾身の力で振り下ろされた戦斧は、魔王が片手で操る王笏によってあっさりと止められていた。

 ため息を吐きながら、魔王がナタンを押し返しそのまま戦斧を叩き落とす。そのまま流れるようにナタンの腹へと王笏を打ち込んだ。


「ぎゃああぁ!!」


 地面に転がり、呻きながら腹を押さえるナタン。勝敗はあっという間についてしまった。

 子供たちはポカンとして、お互いの顔を見合わせている。私も呆けてしまったが、はっとして魔王の元に駆け寄る。


「魔王、大丈夫? 怪我とかしてない?」

「ああ。俺は何ともない。姫は無事か?」

「ええ、平気。皆も驚いただけで済んだわ」

「そうか、それはよかった」


 ほっと安堵するも、魔王の表情は暗い。なんて声をかければいいか迷っていたら、彼が左手を掲げるようにして軽く振った。

 すると、彼のブレスレットから赤い光が放たれた。光は空まで一直線に駆け上がり、花火のように弾けて大きく広がった。


「今の赤い光は何?」

「これは応援を呼ぶとか、助けを求める時の魔法だ。魔族の間では初歩的な魔法だぞ」

「なるほど、魔法の救難信号なのね。確かに、今の花火なら結構遠くまで見えそう」


 魔族領には便利なものが多いなぁ。なんて考えていると、魔王がおもむろに自分の手首からブレスレットを外した。

 そして何を思ったのか、私の手を取りブレスレットを握らせる。


「そうだな……魔族領で暮らしているのだから、この魔法くらいは使えた方がいい。このブレスレットをやろう。魔石がついているから、姫でも使うことが出来る筈だ。多少は練習が必要だがな」

「え、いいの?」

「ああ、俺は強くなったからな。こういうお守りは、必要な者に持っていてもらった方がいい」


 私は渡されたブレスレットに視線を落とす。少々無骨だが、シンプルなデザインだ。見た目を飾るというよりも、普段遣い出来る装備品といった印象だ。魔法で自在にサイズが変えられるようなので、このまま使えるだろう。

 お守りか……失くしたりしないように、大事にしなければ。


「陛下、ネモフィラ姫。ご無事ですか」

「あーもう、こんな場所に居たのか! 陛下! 護衛って言葉の意味わかってますかぁ!?」

「シェレグ、リュシオン。お前たちが来たのか」


 慌ただしく細い路地を走ってきたのは、シェレグとリュシオンだった。魔王と私が城から抜け出した挙げ句、なかなか戻って来ないので探しに来ていたところに救難信号を見て駆けつけて来たのだそう。

 二人は私たちの無事に安堵するも、足元に転がるナタンにぎょっとした。


「うわっ、びっくりした! あれ? ナタンのオッサンじゃん、なんでこんな場所で転がってんの?」

「俺に刃を向けてきたのだ。この不届き者を捕縛し、オーガ国に強制送還しろ。次に城下町に姿を現したら、その時は連座にするとオーガの長にも伝えておけ」

「か、かしこまりました……って、陛下、どちらへ?」


 シェレグが立ち去ろうとする魔王を慌てて呼び止める。彼は足を止め、肩越しにこちらを見た。


「城に戻る。ただ、ライカを置いてはいけないからな。お前たちは姫の護衛を頼む」

「お、襲われたのは陛下でしょう!? リュシオン、ナタンと姫を頼む。陛下は自分が追いかける」

「おー、任された」


 聞く耳を持たない魔王を、シェレグが慌てて追いかける。すぐに姿が見えなくなる二人に手をひらひら振っていたリュシオンが、私の方を向いた。


「……とりあえず、ネモフィラ姫さまもご無事で何より。すみませんね、不快な思いをさせちまったみたいで」

「い、いえ。私は、別に」

「それから、久し振りだなロニー。今回は見なかったことにしてやるから、チビっ子たちと一緒に帰りな。シェレグや他のヤツらに見つかったら、事情とか聞かれて面倒だろ?」

「あ、うん。そうだな……よし、皆帰るぞ」


 促されるまま、ロニーは子供たちを連れて帰って行った。リュシオンは次にナタンを見下ろす。


「さてと。次はこっちだな」

「クソ、エルフなんかに捕まるかよ――」

「おいコラ、逃げるなよオッサン」


 少しは痛みも引いたらしい。ナタンが弾けるように立ち上がり、逃げ出そうとするもそこまでだった。


「グギャッ!?」


 ナタンが走り出すよりも、リュシオンの方が速かった。リュシオンが細剣を抜いてタクトのように振ると光の縄が放たれ、蛇のようにうねりながらナタンに巻き付きそのまま拘束した。

 再び地面に転がるナタン。みっともない姿にリュシオンが苦笑する。


「まったく、これだからオーガってのは好きになれねぇなぁ。戦場では頼りになるんだが、自分勝手が過ぎるというかなんというか」

「クソッ、ちくしょう……」


 悪態を吐いてはいるが、もはやナタンに抵抗する気力は残っていないらしい。腕を下ろしたリュシオンは、大人しくなったナタンを一瞥する。


「さてと。まあ、聞きたいことは色々あるが……詳しい話は城に帰ってからだな。新市街区の大通りに馬車を呼んであるから、そこまで同行してくれ。城に帰ったらハトリ殿の、それはそれはありがたーいお説教が待ってるから、覚悟しておけよ?」

「そ、それはもちろん覚悟してるけど……あの、リュシオン。一つだけ、聞いていいですか?」

「聞くって、オレに? 何を?」

「その……前の勇者が、魔王の妹姫を人質にしたって聞いて」


 不思議そうに聞き返してくるリュシオンに、私は思い切って問いかけてみた。ナタンとロニーが言っていたことが、私が見た悪夢が本当なのか。

 あー、とリュシオンの声色が冷めたように感じたのは、気のせいではないだろう。


「そうか……聞いちまったのか。そうだよ、その通りだ。ったく、オッサンめ。余計なことを言いやがって」


 否定してくれることを期待したわけではないが、改めて肯定されると胸が痛んだ。藍色の髪を掻きながら、リュシオンがナタンに舌打ちする。


「でも、あれは勇者がやらかしたことであって、お姫さまが気にするような話じゃないと思うぜ」

「いいえ、詳しく教えてもらってもいいですか? 私、知りたいんです。魔王の……いえ、勇者と魔王の戦いの真実を」 


 なぜそう思ったのかは、私にもわからない。でも、知らないままでいるわけにはいかない。

 物語好きとしては、仄暗い真実トゥルーに蓋をしたままでは落ち着かないのだ。


「おいおい、なんて物好きなお姫さまだ……まあ、いいけどよ。とりあえず、城に戻ろうぜ。話は馬車の中でな」


 駆けつけてきた騎士たちと入れ替わるようにして、私はリュシオンについて新市街区まで戻る。

 そして用意された馬車の中で、リュシオンから詳しい話を聞くことが出来た。その間、私はポケットの中でずっと、お守りを握り締めていた。


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