終章

知らなかった方がよかったかもしれない

第一話 姫と魔王


 もう何度目かわからなくなってしまったが、暗転した視界から過去の記憶が再生される。今度の記憶は今までとは違い、ストラーダ城が舞台だった。

 しかも、目の前で私が倒れている。お父様とお母様、そしてお茶会の用意をしていた使用人も。この場に居る者だけではなく、城内に居る全ての人族が眠っている。魔法によって眠らされたのだ。

 誰がやったか、なんて今更考えるまでもない。


「ヴァルナル! ここに居るんだろう、出てこい卑怯者!!」


 扉を勢いよく開き、ジェラが部屋に入ってくる。そういえば、この時のお茶会にはヴァルナルも呼ばれていたし、意識を失う前はちゃんと席に座っていたような。

 でも、肝心のヴァルナルは居ない。


「居ない……いや、だが転移魔法の痕跡は残っているな。くそ、自分の主君を見捨てて逃げたのか、あの男!!」


 ギリッ、とジェラが悔しさに唇を噛む。彼が探しているのは、ヴァルナルただ一人。すぐそこに人族の王であるお父様が居るのに、彼は目もくれなかった。

 もちろん、私のことも見ていない。


「ジェラルドー、ヴァルナルって人居たー?」


 ぴょこっと、ライカが部屋の窓から顔を出す。無邪気な相棒の姿に、ジェラの表情が幾分か和らいだ。


「いいや、逃げられてしまった。作戦は失敗だな」

「あららー、残念。ていうか、やっぱりこの作戦自体に無理があったんじゃない? 人族一人を捕まえるためだけに、城下町の人ごと眠らせるなんて無理があったんだよ」

「う……確かに、そうだな。範囲をもう少し狭めれば、ヴァルナルに逃げる隙を与えずに済んだのかもしれん。もっと下調べや準備をすべきだった。そうすれば、大勢の人族を巻き込む必要もなかったのだろうが」


 ジェラが肩を落とす。そうか、やはり彼は人族のことを思いやれる人だったのか。それを知ることが出来て、嬉しくなってしまう。


「しかし、ここにはまだ魔法の痕跡があるな。転移魔法とは違う、別の魔法だ」

「魔石とか、魔法道具じゃないの?」

「違う、それらの漠然とした魔力ではなく、もっと確固たる意図を持つものだ。こちらから感じるが……」


 ジェラがテーブルに近づき、テーブルの上に並んだお菓子やお茶をじっと眺める。そしておもむろに、指を立てて円を描いた。いつもの毒味の魔法だ。

 銀色に輝く蝶がひらりと生まれ、舞い踊るようにテーブルの上を飛び回る。魔王城で何度も見た光景だが、ここからが今までと違った。

 ええっ!? と、私は驚いた。声が出せていたら、結構な大声だったに違いない。


「うわっ、チョウチョが黒くなった!」

「やはりな。このチョコレートケーキにだけ呪いがかけられている。遅効性だが、一口でも食べれば一日も経たない内に死へ至るだろう。呪いは毒と違い、証拠が残らないからな。こんなことが出来るのは、人族の中ではヴァルナルだけだろう」


 ジェラは忌々しげに言うと、王笏を振ってチョコレートケーキを燃やしてしまった。

 そして彼は、私のことを見た。もちろん、倒れている過去の私の方だ。


「席から見て、ヴァルナルの狙いはこの姫のようだが……ネモフィラ姫、だったか?」


 膝をつき、顔にかかった私の髪をジェラが指で撫でるように払う。その手つきがあまりにも優しくて、触られてもいないのに見ているだけでなんだかむずむずしてくる。

 ……ていうか、ジェラってば見すぎじゃない? そんなに変な格好はしてないと思うんだけど。


「ジェラルド、どうしたの? お姫さま、もしかしてケーキを食べちゃったりしたの?」

「いや、それは問題ない。ただ、可愛い姫だなと思って」

「……へ?」

「…………あ」


 一瞬、ライカが羽ばたくのすら忘れて、そのままぴゅーんと落下した。すぐにバタバタと戻ってきたが、その目はキラッキラと輝いている。イグニスくんの聖剣よりも眩しいくらいだ。


「え、え!? ジェラルド、可愛いって言った? 今、そのお姫さまのこと可愛いって言った!?」

「言ってない! ちょ、ちょっと口が滑っただけだ」

「言ってるじゃん! うわー、わー! そうなんだー。ジェラルドって、そのお姫さまみたいな女の子がタイプなんだー?」


 物凄い食いつきのライカ。無理もない。確かジェラは、魔王という立場でありながら未だに独身、恋人どころかその候補すら居ない。

 そんな彼が、異性に対してそういう興味を持っただなんて一大事だ……と、言うことは。


 つまり、ジェラは私のことを可愛いって思ってるってこと? それも、最初に会った頃から。

 

「ぐぬ……そ、その話はもういいだろう! 行くぞライカ。ヴァルナルに逃げられた以上、長居は無用だ」

「えー? せっかくタイプのお姫さまに会えたんだから、起こして挨拶すればいいじゃん」

「出来るか! ……俺の存在は人族を怖がらせるだけだ」

「大丈夫! 自分が思ってるほど、ジェラルドって怖くないから。威厳なんてこれっぽっちもないしね」


 からからと笑うライカに、黙り込んでしまうジェラ。王としての威厳がないっていうのは、決して褒め言葉ではない。でも、確かにジェラは怖くない。

 最初に牢屋で会った時も、言われるまで魔王だってわからなかったくらいだし。


「それにさ。このままジェラルドが帰っちゃったら、またヴァルナルがお姫さまに呪いのケーキを食べさせようとするんじゃないの?」

「それは……確かに、そうだな。守護魔法をかけてやることも出来ないことはないが、永続させることは不可能だ。かといって、呪い避けのお守りを持たせることも難しいな」


 むう、と腕を組み考え込んでしまうジェラ。そもそもの目的はすっかり忘れられてしまったのか、私を護るためにあれこれと考え始めてしまう。

 守護魔法とお守りは無理。ヴァルナルには逃げられており、これ以上打つ手がない。

 ただ、一つを除いて。


「彼女を安全な場所に移す、くらいなら出来そうだが。問題は、どこなら彼女の安全を確保出来るか、だが。そもそもヴァルナルの手が届かない場所なんて、人族領にあるのか?」

「じゃあ、魔族領に連れて行けばいいんじゃない? それならヴァルナルだって簡単には手が出せないよね! だって、ジェラルドが居るもの!」

「ひ、姫をさらえって言ってるのか!?」

「さらうなんて人聞きの悪い! 保護だよ、保護。魔族領ならジェラルドの手で姫を守ることが出来るし、落ち着いた頃にお話出来るもんね。一石二鳥ってやつさ!」


 いい考えでしょ! 得意げに胸を張るライカに、ジェラが頭を抱え込んでしまう。何がどうなって一石二鳥なのかはよくわからないが。

 まとめると、私はヴァルナルに命を狙われていた。ヴァルナルは皆から信頼されている賢者で、人族では並ぶ者が居ないほどに優れた魔法の使い手だ。だからこそ、人族領内において彼の犯行を止めることは不可能。

 だから、私がこのまま人族に居たら、遅かれ早かれ殺されてしまう。助かるためには、ヴァルナルの手が及ばない場所に逃げるしかない。

 つまり、魔族領に。


「……あー!! わかった、こうなったらヤケだ。姫を連れて帰るぞ」

「ひゅーひゅー! いよっ、この魔王陛下! 悪よのー!」

「煽るな! いいかライカ、このことは俺たち二人だけの秘密だからな。絶対に誰にも話したりするなよ」

「はーい。魔王陛下の仰せのままにー」


 そうして、ジェラは気を失ったままの私を抱き上げて、窓からライカに飛び乗り人族領を去った。抱き上げた時に私の足から靴が脱げたことにも気が付かなかったのは、ジェラが冷静ではなくなっていたせいだったのだろう。

 これが、私がさらわれた理由。過去の再生が終わり、今に戻ってくる。

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