第八話 誰も知らない夜

 俯いたまま、彼は話を続ける。


「アルフィオ兄様は父に似て強く、眩い太陽のような人だった。ミシェルはまだ幼かったが賢く、自分が王になるのだと強い意欲があった。俺には無いものを、二人は持っていた。二人なら、少なくとも俺よりは優れた魔王になったと思う。どちらが魔王になったとしても、俺は全力で支えるつもりだったのだが……まさか、俺が玉座を預かることになるとは。きっと、二人からはさぞ恨まれていることだろう」

「それは」

「わかっている、俺に居なくなってしまった者を憂いている暇はない。ただ……少しだけ、疲れたんだ。お前が気にする必要はない。一晩寝れば何とかなる」


 これで話は終わりだ、と言わんばかりに彼が手で顔を覆った。部屋を出るべきだと、頭では悟っている。

 でも、どうしてだろう。

 不思議なことに、私は彼の髪に手を伸ばしてしまった。指先に触れる黒髪は意外と柔らかい。


「わあ、ふわふわ……ペルシャ、いや……ラグドールかな」

「……何をしてる」

「いや、その……この銀髪が本当に角なのかどうか、確かめたくて」


 手を振り払われないのをいいことに、私は猫耳にしか見えない銀髪を撫でる。

 ううむ、確かに黒髪の部分とは髪質が違う。銀髪の部分は少しだけ硬い。とは言っても、髪としては硬めというだけで、やはりこれが角だとは逆立ちしても納得出来ない。

 猫耳じゃないことだけは確かだ。ううむ、残念無念。

 なんて考えていると、魔王の肩が小さく震えていることに気がついた。


「……ふ、ふふふ」

「ちょ、ちょっと。なんで笑ってるのよ」

「いや、ふふ……すまん、何でもない」


 何でもない、と繰り返す魔王。声まで震えている。何がそんなに面白いのか。

 ……いや、違う。すぐにわかった。彼は、笑っているわけではなかった。


「魔王、大丈夫――」


 今度こそ、王笏が手から滑り落ちた。結構派手な音を立てて床を転がるが、そんなこと気にする余裕は吹き飛んだ。

 先程まで指先で遊んでいた黒髪が、私の頬を擽る。逞しい胸板はやはり温かく、背中に回される腕は力強い。

 お父様以外の男性に抱きしめられたのは、これが初めてだった。


「ふぁ!! ちょ、ままま魔王? な、なに……なに!?」


 抱き締められてる、魔王に! 何で? とりあえず、ここに来る前にお風呂に入っておいてよかった……いやいやいや、よくない! 何考えてるの私! 発想が飛躍しすぎよ!

 で、でもでも。よく考えたら、ここは魔王の部屋。今は夜。二人きり。ベッドはすぐそこ。

 条件が……揃い過ぎてる!


「あ、あの……私、その」


 どうしよう、どうしよう。こういう時、どうすればいいの? 断るべき? 逃げるべき? でも、非力な私が魔王からどうやって逃げろっていうのか。

 そこまで考えるも、聞こえてきた声にすぐに思考が冷えた。


「……ん」

「え?」

「ごめん……皆、ごめん……」


 彼の指先が震えているのがわかる。やっとわかった。彼は私を抱き締めているのではない。私の肩に顔を埋め、縋り付いている。

 ……そうか。

 男の人って、こうやって泣くのか。


「……今だけは、魔王を休むといいよ。誰にも言わないから」


 私も広い背中に手を回して、改めて髪を撫でる。人族領で伝えられていた魔王ジェラルドと、ここに居る彼。全然違う。彼は冷酷非情な人などでは決してない。とても優しい人なのだ。

 十歳で家族を殺され、魔王にならざるをえなかった彼。王として立つと決めた以上、誰にも弱みを見せられず、辛くても虚勢を張るしかなかった。

 幸せな子供時代は目の前で破壊し尽くされ、誰にも頼れないまま彼はここまで来た。死んでしまった家族の分まで努力してきたからこそ、彼は王として認められているのだ。

 でも今だけは。夜が明けるまでの間だけでいいから、彼が魔王を休むことを許して欲しい。

 私は心の中で、何度もそう願った。





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