あざらしものがたり りたーんず

ごまぬん。

プロローグ

未知なるもふもふに夢を求めて

 ―――――ここは、私たちが住む地球から遠く離れた宇宙の彼方。


 第11銀河・アニマルバース。

 アニマルバースはちょっと不思議な宇宙。あらゆる生き物が心を持ち、言葉を話す素敵な世界。

 ライオンにゾウ、キリンやウサギ、モグラにゴリラにカピバラ、アルパカ、カンガルー………ムシもサカナも、ばい菌!? だって、アニマルバースではみんなが愉快なお友達。

 ふわふわで、もふもふで、うー、がおー! な愛すべき隣人なのです。


 今日のお話は、アニマルバースの中でも特にアザラシたちが住んでいる、むせかえるほど平和な惑星『ごまのほし』から始まります。



 ――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――ガレオルニス星系γ星『ジア・ウルテ』 宇宙湾港都市『ゴマトピア』




 俺の名前はリボーヌ・J=ケイオス。Jは『ジャッカリオン』の略で、父方の苗字だ。後ろの『ケイオス』は母方の氏族名。

 こことは違う星系の出身で、種族は名前からもわかる通りジャッカルだ。獰猛で知られる肉食獣。当然、食物連鎖の上での序列は相当なもんだった。アニマルバースがこんなことになっちまった今、過去の序列にどれだけ意味があるかはわからないが。


 温室育ちの甘ちゃんではあったが、思春期にうっかり悪い遊びを覚えて、それからは酒と暴力に溺れる日々。

 初めてクスリに手を出し、乱交パーティの最中に毛艶の良いリカオンの頭を吹っ飛ばした辺りで実家からは勘当された。それからは流されるままに裏の仕事を覚え、長じて殺しの才能を見出されて、今や歴戦の殺し屋ヒットマンってわけだ。

 得意先は居るが、特定の組織には属していない。下手に仲間なんて持つとジャッカル生が重くなる。

 まぁ、だからって、俺のことを金で使い潰せる鉄砲玉としか思っていないようなナメた連中は片っ端から黙らせてきた。実力と暴力の両方で、だ。

 おかげで『狂犬』なんて渾名が付いちまったが、多少の悪評で報酬の未払いが減るなら安いもんだ。




――――――――――――――――――――――――――――――




 だから、そう。今回のクライアントは間違いなく"良客"だった。

 依頼は要人暗殺、だが並大抵の相手じゃねぇ。アニマルバースの経済の中心、眠らない街、宇宙湾港都市ゴマトピアを裏で牛耳るマフィア『ボンゴマ・ファミリー』の幹部だ。

 依頼主の結社『五輪ウールン』は秘密主義だが、支払いが確実で支援体制も整っていると界隈では有名な組織で、噂ではどこかの国の諜報機関が絡んでいるらしい。

 今回の作戦では俺を含めて数人の傭兵が集められたが、命じられたのは威力偵察を兼ねる陽動だ。ボンゴマの手勢を散らばって襲撃し、各方面へと釣り上げて、後は五輪の本隊が警備の薄くなったターゲットを叩く。俺たち傭兵は、適当にちょっかいをかけて逃げ回っているだけでいい。他のチームが戦闘をおっ始めたら、合流しようとする奴らを後ろから撃ってもいいだろう。

 話が来た当初は、あまりにも簡単な仕事だったから話の裏を疑ったもんだが、説明を受けていく内に、五輪の連中が本気でボンゴマを潰したがってるのは理解できた。やはり多かれ少なかれ裏はあるのだろうが、それは俺たちのような雇われには無関係な出来事なんだと思う。こちらから深入りし過ぎなければ、向こうも追及しては来ないはずだ。それなら問題はない。


 ボンゴマの兵隊の質は、有り体に言って最悪だ。哺乳類、爬虫類、両生類、魚類、どんな種族だって居る。莫大な資金力に物を言わせて買い付けた奴隷や傭兵が中心となっている。特に傭兵の方は信用のため積極的に裏切りこそしないが、中身は士気も練度もバラバラで、そもそも軍隊としての運用を想定していない節がある。下部構成員はみんな幹部連中の弾除けか、良くて鉄砲玉というわけだ。金と"ゴマトピア最大の犯罪組織"という箔が無ければ、スラムの賭博中毒者ギャンブラー麻薬中毒者ジャンキーだって寄りつかないだろう。

 まず、仲間のボノボの爆破屋パイロが街中の複数箇所でボヤ騒ぎを起こした。兵隊どもの注意が散る。同時にサイ、ゴリラ、ヒョウ、そして俺が動き出し、片っ端から各個撃破。

 爆破屋ボノボと協働しているらしい情報屋のアゲハチョウが、五輪本隊の動向を報告する。なんで知ってるかって? 俺にも優秀な助手が付いてくれてるからさ。


 陽動だけなんてつまらねぇ。さすがにターゲットそのものを殺るのは難しい――たとえ横取りできたって、雇い主の面子を潰したんじゃ印象が悪い――だろうが、幹部級なら直属の護衛くらいは付けているはずだ。そいつらを叩いて誰よりも目立ち、さらなる報酬を上乗せして貰う。

 何といっても天下のボンゴマファミリーに喧嘩を売るのだ。五輪はそれなりの上客ではあるが、今回の金額だと俺の感覚じゃまだまだ不足だ。それに、きっとその方が面白い。


 2ブロック先に、今にも発進しようとする黒塗りの高級車が見えた。情報通りなら、アレにターゲットが乗っているということになる。絶対に逃がさない。


「使わせて貰うぜ!」


 作戦前日に町へ繰り出したボノボ野郎を尾行し、いくつか盗んでおいたプラスチック爆弾を起動する。構造は今朝方、協力者と共に解析済みだ。

 全力で投擲した爆弾が発破。恐らくはドアやらバンパーやらに鉄板入りの改造車だろうが、狙ったのはタイヤの方だ。足を止められればそれでいい。

 予想通り、爆弾の威力の割には吹っ飛んだり、見た目が派手に変わりもしなかった黒い車から、半ば焼け出されるようにして3匹の破落戸ごろつきが現れる。エンジンへの引火爆発も起こしていない癖に、大仰な奴らだ。


「ターゲットの車両の停止を確認!」


「ヘイ、ブラザーズ。遅かったな。メインディッシュはくれてやるよ、そういう契約だし」


「ご協力に感謝します、リボーヌ殿。各員、散開! 側面から回り込んでターゲットを包囲しろ!」


 仰々しいフルフェイスのヘルメットと防弾ベストで完全武装の五輪本隊が車を取り囲む。

 敵の雇われ、カピバラとトナカイ、あとニワトリの3匹組はそれなりに抵抗する。車のタイヤはやられたが車体は無事だと気付き、上手く盾にして気丈にも拳銃で撃ってくる。トナカイが後ろのトランクから小銃を取り出すのも見えた。

 使い捨てとはいえ組織幹部の護衛に抜擢されるだけはある根性だが、数も装備も練度も五輪の連中が上だ。ついでに俺も加勢してると来てる。ターゲットは車の後ろの陰に居るのかよく見えないので、拳銃で取り巻きの方へ適当にちょっかいを出す。お、カピバラ野郎の側頭部に掠った。即死には至らなかったようだが、動きが一瞬止まったところですかさず蜂の巣にされた。これは景気が良い。


「報酬の再交渉は可能か?」


「是非とも聞きましょう。しかし油断召されぬよう、ターゲットは未だ健ざ……」


「あひゅ」


 その時、奇妙な悲鳴が聞こえた。

 気付けば半開きにしたドアを壁にしていたニワトリが、いつの間にかこちら側に出て来ている。すわ降参の意志表示かと思ったがそうではなさそうだ。ニワトリは拳銃を右手にぶら下げたまま、目を泳がせてよろよろと歩く。どうも尋常な様子ではない。

 不審に思った五輪の隊長が射撃中止を命じる。自棄になって違法な興奮剤でも打ったか? 確かに、薬物でトランス状態になれば、多少の怪我は厭わず死ぬまで暴れ続けられるが……。


「―――もういい」


「ごぶふぁっ」


「!?」


 刹那、ニワトリ野郎の胴体が弾けた。

 異常な光景だった。俺の動体視力で捉えられた範囲では、ニワトリの胸にいきなり穴が開き、それが高速で広がって内臓を四散させたようにしか見えなかった。というか、今の現象はそれ以外に表現しようがない。


「今のは」


「……出たか! 総員、一斉攻撃!!」


「邪魔だ」


「ひゃっ? おごごごごごごごごごご!!」


 小銃を持っていたトナカイが突如として中空に打ち上げられ、全身に鉛玉を浴びながら俺たちの所へと転がってきた。目の前で血肉をぶち撒けられた程度で怯む五輪隊でも俺でもないが、しかし視界は少しばかり遮られ、集中がごくわずかに乱れる。

 隣にあった五輪隊リーダーの頭が消えていた。


「え」


 そして銃声と悲鳴だけが残る。

 五輪の奴らの自動小銃が立て続けに火を噴く。指揮官を潰されても連中の動きはさほど鈍らなかった。よく訓練された交差射撃がターゲットを狙い、確実に弾丸を叩き込む。


「ターゲットを発見!!」


「散開して各個に迎撃! 包囲を抜けられるな!」


「げぶ」


 まず1匹、イカリングめいた輪切りになった。

 市街地を目にも留まらぬ速度で駆け抜けるのは、銀色の突風を伴う小さな球形の影。凄まじく速いが、それ以上に滑らかだ。"あれ"の動きと比べれば、超音速で連射される銃弾の連携攻撃すら赤子のハイハイに見える。

 1匹、腰から二つ折りになって空中で7回転半、揚力が切れて地面に叩きつけられる。1匹、ニワトリ野郎と同じく胴体が爆散。1匹、宙に浮いたと思ったら、いくつもの直線が横切って頭と胸と腹と四肢が泣き別れ。街路のアスファルトが3回続けて揺れる、2匹は上半身が潰れたトマトみたいになり、1匹は槍投げみたいに地面に刺さったまま動かなくなった。1匹、首が脊髄ごと体から引っこ抜かれる。1匹、再び胴体が爆散、残った下半身が振り回されて放り投げられ、投げた先に居た2匹とごちゃ混ぜになって吹き飛んだ。1匹、1匹、1匹、1匹、1匹、1匹、1匹、1匹……。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ」


 2匹目の奴が達磨落としのように崩れた辺りで逃走を選んだのが幸いした。路地裏に駆け込み、角から様子を見る。俺が走り始めて、ある程度の距離を取った時点で3匹。たったいま足を止めてから振り返るまでに2匹死んだ。

 犯罪組織の幹部だと? あれが? あんなこと、正規の軍人はおろか、拳法や武器術の達人にだって出来やしない。炭素生命体の限界を超越している。

 あれは、そう……まさしく化け物だ。あれは何か、恐ろしく、忌まわしく、この世に存在してはいけないものだ。少なくとも正常な世の中ではそう信じられるべきものだ。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハ……ハァ、あ、あれって」


 五輪の司令部は次々と増援を寄越してきている。無意味だ。虐殺が続けられる。

 血と硝煙の中心で踊るそいつは、白い体躯に真っ赤な眼光を爛々と迸らせていた。卵状のでっぷりと肥えた胴体から、申し訳程度に飛び出た4枚のひれ。小さくつぶらな瞳と、桜色に染まった頬と、妙に目立つサイズの鼻を備える顔面は、かなり大胆にデフォルメされたぬいぐるみのようだった。


「"あざらし"」


 先立つけもの暦2025年、アニマルバースの勢力図を一変させた『アザラシ戦役』。

 未だ記憶に新しいかの大戦にて猛威を振るい、そして今やアニマルバースを席巻する一大勢力へと躍進を遂げた超進化生命体。

 付け加えるなら―――あざらしであり、ボンゴマファミリーの幹部であるけものなど、そう多く存在しているわけでもない。

 ならば、黒社会でも屈指の戦闘のプロフェッショナル集団である五輪の討伐部隊を、たった1匹で蹂躙するあの怪物の正体は。


「―――アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフ……!!」


 絶対の一、白きあざらしの王。

 1匹1匹が高い戦闘能力を有するあざらしたちの中でも、さらに桁外れの危険度を誇る異常個体であり、アニマルバース史に残る数々の所業から"終焉の獣"、"悪夢"、"知られべからざる霊長"などと称される真性の怪物。

 すべての始まりとなった『アザラシ=シャチ集団暴行殺獣事件』にて歴史の表舞台に姿を現したゴマ=ゴマフは、『あざらし天国の変』においては対アザラシ第11銀河連合艦隊の7割をたった1匹で壊走へと追い込み、応援に駆けつけた『アニマルバースの六英雄』らをも鎧袖一触に薙ぎ払って、ついにはシャチ共和国の首都・シャチントンD.C.を陥落させるに至った。

 その後の第11銀河統括機構本部への攻撃の折にも、統括機構に協力していた神々―――上位者ハイパービーイングの一団を討ち滅ぼし、逆に本部を奇襲する段取りを整えたのが彼だと言われている。

 あざらしにとっての英雄であり、アニマルバース全てにとっての絶望そのもの。そして、幹部どころではない、このゴマ=ゴマフこそがボンゴマ・ファミリーのなのだ。


「その装備は……五輪の案山子どもか。つまらない茶番だな。牙も抜ければ玉すら無い雌犬の群れに、僕が狩れるとでも思ったのか?」


 気付けば最後の1匹となっていた五輪兵を鼻先で転がしながら、白い魔王は嘲りを吐き捨てた。尤も、その台詞は挑発的な口上になどなっていない。ゴマ=ゴマフと並みのけものでは、ハイイロアザラシとイエイヌはおろか、ホホジロザメとミジンコほどの厳然たる力の差がある。


「グ……ぐ、が、カハ……」


「フン。生憎だが貴様は死なせないぞ。4番通りの地下で歓迎パーティーの準備が始まっている。獣皮に刺繍を施すのが好きな奴、ツボだけを外して鍼灸を据えるのが好きな奴、目玉を抉るのが好きな奴、その他たくさんのイカれた親友たちが貴様を待っている」


「…………グ、グ、ブ。……クハハッ」


「……ぷ?」


 瀕死の五輪兵の喉から搾り出されたのは、しかし確かに笑みと取れる空気の流れだった。

 ともすれば冷たく無機質だったゴマ=ゴマフの表情が曇る。小さな眉間に皺が寄る。


「そ……そうして、勝った気で、居るがいい。今は。これは……は、は、始まりに、過ぎない。宣戦布告……、宣戦布告だ……。我ら五輪ウールン、ライオン王国、シロクマ=シャチ連邦共和国、大ウサギ民国……『五輪協定』は、既に成った」


 五輪協定……それが奴らの本当の名? 協定とは何のことだ? 国家組織がバックに付いているとは噂されていたが、まさか本当に?


「既に多くの兵力が動き出している。ライガード・レオポーン皇帝……阿修羅あすら神刀斎しんとうさい鯱光しゃちみつ……グリス・ナヌラーク・ポラベラム総督……ジャーリス・アバウォッキ公爵……。そ、そして、『七星の最強種』!! 残る『三柱の古き王』もだ! 我ら同胞の悲願の為に、アニマルバースの未来の為に! 我らが崇高なる使命にこそ、かの古王たちは力を貸したのだ!」


 漆黒のフルフェイスメットに覆われて種族も判然としないが、そのけものは息も絶え絶えに哄笑した。それは祈りにも似て、狂気という言葉ですら足りぬ、獰猛で鮮烈な熱の籠った叫びだった。


「ハハ、ハハハハハハ!! そうだ、そうだあざらしよ、これは聖戦だ! もうどこにも逃げ場はない! アニマルバースに君臨する『七星の最強種』が、お前たちあざらしを狙っている! お前たちはこれで終わりだあああああぁぁぁぁ!! ハハ、ハハハハハハッ、ヒャハハハハハハハハ―――!! ハ」


 ぐしゃり。

 歓喜の表情を浮かべたまま彼は事切れた。ゴマ=ゴマフの拳によって平らに叩き潰されたその頭部に、顔面と呼べる部位の存続を認めてよいのなら、だが。

 衝撃的な宣告を受けたゴマ=ゴマフは―――震えている。一体何に?


「五輪……協定……」


 その呟きを漏らしたのは俺だったか、はたまたゴマ=ゴマフだったか。

 常識的に考えれば、あの五輪兵の言ったことはまるで荒唐無稽な夢物語に思える。しかしながら、五輪が国家組織の絡む秘密結社であるという噂はずっと囁かれていたし、ボンゴマほどではないにせよ潤沢な資金力を持っているなど、いくつかの事実から全てを壮大な嘘だと切り捨てるのも早計だ。

 何かが起ころうとしている……先のアザラシ戦役を超える、第11銀河の、ひょっとすればこの宇宙文明圏全体を揺るがす何かが。


「ははは」


 声の持ち主を変えて、再び笑い。

 明らかに喜色を帯びている。耳を疑った。少なくとも、さっきの話を法螺吹きの戯言と笑い飛ばしている声音ではない。


「は、は……は、はは、はははははは、はははははははははははははは!! なぁ、なぁ!! ッ、今の台詞を! あの宣戦布告を!」


 心臓が飛び跳ねた。

 五輪に雇われた他の傭兵は、今の戦闘に無理に参加しようとして呆気なく死んだか、敵があのゴマ=ゴマフだと知った瞬間に安全圏へと退避している。敵前逃亡は傭兵としては信用問題になるだろうが、契約はあくまで敵勢力への陽動であるから役目は果たしているし、そもそもかのおぞましき悪夢、ゴマ=ゴマフを目前に逃げ出したところでそれを咎められる筋合いは無い。予測も回避も不可能な天災に遭遇し、命だけは必死に守った結果を、誰が失敗と呼べるだろうか?

 ……何であれ、つまり、彼が話しかけているのは、路地の角で必死に息を潜めて――無意味――いる俺だ。他ならぬ俺なのだ。


「ライガード!! あの"百獣を統べる者"、"王の中の王"、"覇界大帝"か!? "星団斬り"の剣聖・阿修羅神刀斎だって!? 幻の"孤高なる軍隊ワンマン・アーミー"、グリスも! あのいけ好かない青ウサギ野郎もだ! それに……それに、三柱の古き王」


 アニマルバースには、7体の――少し前までは。多少の入れ替わりも経験し、現在は総勢8体――『七星の最強種』と呼ばれる、文字通り一騎当千の絶対強者が存在する。そのいずれもが信じがたいエピソードを持ち、また現在進行形で伝説を更新し続けている、生きた神話の登場獣物たちだ。

 今や全滅してしまったかつての『アニマルバース六英雄』、秩序の守護者たちとは対照的に、彼らはより恐ろしく暴力的で支配的なけものたちだ。

 彼らに隷属を望まれたのならば、たとえ国家でもその要求を退けることは出来ないだろう。彼らの恨みを買ったのならば、如何なる抵抗も最初から無意味と断じられ、誰もが先んじて自死を選ぶだろう。

『最強種』の肩書きを持つ生物とはそういう存在だ。対等に敵対することすら夢想の域にある、神か災害と同義の言葉だ。

 ……だと、いうのに。


「あぁ!! 僕が敬愛してやまない、かの"陸王"ゼドゲウスがか!? 無貌の怪異、おぞましき悲劇のドラクリオ=クレムベルが! 真に最古の神性、ヴァハトマ・ベルヒドゥエンが! あの生きた伝説たちが僕らを見ている!! 僕らを殺しにやって来るぞ!!」


 覇界のライガード。

 星斬の阿修羅神刀斎。

 壊乱のグリス。

 静謐のアバウォッキ公。

 無双のゼドゲウス。

 暗澹のドラクリオ。

 全能のベルヒドゥエン。


 そして、新たなる8体目、銀河に生まれ落ちた闇の光―――――。




「―――クク。来たな。あれが本命か」


 天が滲み、雲一つない青藍の絨毯を歪めていく。

 あたかも初めからそこに配置されていたかの如く、大都市の空を丸ごと埋めたその構造物は、極めて巨大な円盤の形を取っていた。


「んだよあれ……、星系間航行船クラスじゃねぇか! こっちは何も聞かされてないぞ……!」


 そいつは確かに地上より遥か高空の領域へと鎮座しながら、大半の生命居住可能惑星の大気中を飛ぶに全く適していない姿をしている。空間跳躍ワープドライブ航法による、通常の物理的制約を無視した恒星間移動を前提としているためだ。

 信じがたいほどに長大かつ遠大で分厚いその円盤は、全周囲を無数の砲台、機銃、爆装ポッド、近接戦用アーム、無人兵器の発着プラットフォームでハリネズミの如く覆い尽くしており、投下された地点のあらゆる生命を絶滅させることを目的としているのは疑いようが無かった。

 ……陽動とは、これが真意か! 俺たちと地上部隊による作戦展開は、あのをゴマ=ゴマフとボンゴマに気取られることなくワープさせるための、鉄砲玉以下の撒き餌だったというわけだ!


「ふむ、前菜としては悪くない。食前酒の方は拍子抜けだったがな」


 上空より、直下に居るこちらの耳が馬鹿になりそうな騒音を撒き散らしながら、円盤戦艦が武装を稼働させ始めた。

 泥沼の首都決戦級の無差別火力投射がゴマトピアを襲う。民家から高層ビルまで建物という建物が轟音と爆炎を噴き上げて倒壊あるいは崩壊し、そこに住まうけものたちが紙屑のように舞い散る。至る所から聞こえてくる悲鳴も、やがて円盤戦艦の銃砲の叫びによってかき消される。天災じみた、極限の暴力が狂い咲く。

 そして、その只中で、あざらしが呟いた。


「さぁそこの君、準備はいいかい? ここいらでビシッと一発、カッコいい音楽でも頼むぜ」


 もはや誰に言っているのかも誰にもわからない軽口を嘯いて、ゴマ=ゴマフは円盤戦艦をしっかと見上げた。

 あざらしという種族の頭部には見かけ上、『口』にあたる箇所が存在しない。けれど、宇宙の深淵を凝縮したような極黒の両のに浮かんでいるのは、凄絶なまでの歓喜に彩られた笑顔でしか有り得ない。


「行くぞッ!! もふもふの呼吸! あざらしの型! 『ごまびーむ』……改!」


 胴体右側で固定されたゴマ=ゴマフのヒレの中に、太陽が降臨する。


「あ―――――!」


 恒星の輝きが増大する。ゴマトピアを蹂躙する火力の嵐に混じって、より激烈な魔力の濁流が押し寄せる。

 隙だらけのゴマ=ゴマフに降り注ぐ銃弾に砲弾、レーザービーム、ミサイル、殺到する無人兵器。

 ……いずれも通じない。収束するエネルギーの奔流に巻き上げられて無効化されている、と見るのが正しいだろうが、もはやそのような話ではない。弾丸の方がゴマ=ゴマフを避けて通っているようにさえ見えた。

 如何なる超兵器が生み出す破壊の渦とて、ゴマ=ゴマフを殺すことは叶わない。


「ざ――ら――し―――!」


 小さく、柔らかく、弱くて脆い。実際には魚を食うが、どちらかと言えば被食者として見られる向きの強いアザラシというけものが。星系間抗争の行く末すら決定する超巨大戦艦へと、ただ1匹で立ち向かっている。

 ……何もかもが規格外だった。『最強種』という肩書きの意味するところを、知識ではなく肌で理解させられる。


「―――破アアアアアアアァァァァァァァァァァァ―――――ッ!!」


 俺はその日、虹が生まれる場所を見た。

 ゴマ=ゴマフの手から放たれた極光が7色の、否、無限色のスペクトルを内包して白み、暗雲と曇天そのもののように見えた暗い灰の円盤へと突き進む。

 白い虹は円盤戦艦の防御システムが発振した3重のビームバリアを次々と食い破り、それぞれ性質の異なる270通りの特殊合金を積層した超高硬度複合装甲をいとも容易く貫通し、溶融させて橙に弾け飛ばしながら後方に抜ける。

 地面から空に向かって、巨大な槍が突き立ったみたいだった―――――。


「…………知っているか、貴様」


 やがて、今日、何度目とも知れぬ爆発。

 大輪の花火が際限なく連鎖し、円盤戦艦をいくつかのパーツに分解しては粉々に砕く。

 あまりのスケールにかえって想像がつかないが、軍艦というからには中には当然乗組員が搭乗していて、机の上から手で払われた消しゴムのかすのようにポロポロと――超高速で四散する円盤戦艦のブロックとその破片に切り裂かれながら――たくさんのけものが落ちていくのが見えた。


「第11銀河統括機構の崩壊以来、各地で大小無数の戦乱、抗争が巻き起こっている。この地上だけじゃあない、いつもは文字通り高みの見物を決め込んでいる超次元の上位者ハイパービーイングどもすら動き出した。己に都合よく世界現実を書き換えて、広大無辺の多元宇宙の、唯一絶対なる支配者の座へと至るために」


 恐ろしい兵器を操る侵略者を打ち払い、晴天の空と本物の太陽を取り戻して、そいつは正真正銘の英雄の如く大地に立っていた。

 まぁあざらしなので『立つ』という表現はおかしいけれど、それでも俺には、その背中――これも骨格の関係でほぼ尾だが――が、子供の頃に見た親父のそれと同じくらい立派に輝いて見えた。


「確かに、神々の力は強大だ。だが希望もある。こんな噂を聞いたことはないか? この3次元世界より下の位相に棲まう純2次元生命体、あるいは『地獄の悪魔』と呼ばれる虚数の宇宙の住民たちの存在を……。僕らあざらしが統括機構を滅ぼした折にそうしたように、彼ら下層次元の民が、続々とこちら側への昇華アセンションを果たしてきている。素晴らしい!! 盤面の上も下も端から端まで……あぁ全く、何もかもが滅茶苦茶だ。時代が混沌を、宇宙が動乱を求めている、そうは思わないか!?」


 膨大な魔力の撃発を至近に受け、ズタズタに千切れ飛んだ左半身を庇いながら、俺は弱々しく彼の前まで進み出た。

 視界が赤い。頭が重い。痛い、痛い? 死ぬ直前には鎮痛成分脳内麻薬が山ほど分泌されてむしろ気持ちよくなる、なんて話が嘘だとわかった。痛いものは痛い。これだけの大怪我を負っていて頭がパーになれる方がおかしい。


「…………。正気……なのか」


 極限まで襤褸にされながらも、どういうわけか未だに動く喉から、そんな疑問が零れて落ちた。脳みそ、どうなってる? 多分、3割くらい無くなっている。残った部分も4割くらいは使い物になっていない感じがある。

 だから、これでいい。怪物の目がこっちを見る、どんな表情? わからない……知らない。どうでもいい。理性は死んだ、抑え切れない感情ばかりが脳の奥から垂れ流される。


「狂っているだろうね。間違いなく。七星の最強種へと挑み、ともすればそのケツの穴にくっついている列強各国金魚の糞らとも事を構える羽目になるかも知れない。戦争っていうのは恐ろしいもんだ、資源も獣材もみるみる内に目減りして、痛くて苦しいばかりで何も得なことなんてない」


「だ……だったら、なぜ」


「決まっている。それが僕らの生まれた意味だからだ」


 見える、変なもの。たぶん幻覚、実家……きらびやかなばかりで、空疎で退屈な…………いや、でも、俺が生まれて育った場所だ。好きだし嫌いだ。二つの感情は両立する。

 あぁ……そうか、わかったぞ。これが走馬灯って奴か。時間が流れていく。

 過去、あのパーティーの日、初めて同じけものを殺した、吐いた。色々あった……銃、俺の、これは現実? それとも幻? 黒い影。つい今朝までそばに、ここはどこだ―――。


「痛い? 苦しい? 何の得も無い? 愚かな行為だ? 。僕らは兵器だ。戦うための道具だ。誰かに願われ、乞われ、幸せを掴めると思うか?」


 殺さなきゃ。あれが今回の依頼のターゲットだ。

 過去と現在が重なる。確かな思考が未来を見据える。


「―――この戦い、あざらしぼくたちが勝つ。ライオン王国、シロクマ=シャチ連邦共和国、大ウサギ民国。陸王ゼドゲウス、姿なきドラクリオ、大神ベルヒドゥエン。驕慢なる上位者どもも、まだ見ぬ地獄の悪魔たちも……例外はない。全員殺す。先の戦役如きで済ませはしない」


 引き金に指をかける。

 20年と少しのジャッカル生、それでも、飽きるほど繰り返した動作だ。この距離なら外さない。

 今際の際に夢を見た―――眼前で蠢く巨悪の気配。右手の内には、必殺を謳う銀の剣1丁の拳銃


「僕らをたかがあざらしと侮り、踏み躙って貪らんとする連中を叩き潰そう。毛皮を裂いて引きずり剥がし、瞼を掻き開いて理解させよう。連中の舌と血脈に恐怖の味を焼きつけてやる。連中の耳と脳髄に僕たちの鳴き声を刻み込んでやる。広い、広い多次元宇宙の狭間には、奴らの哲学では思いもよらない事があるということを思い知らせてやる。5000兆匹のあざらしの戦闘団カンプグルッペで世界を燃やし尽くしてやる」


 始めよう。俺の最初で最後の英雄譚を。

 俺という存在、誇り、運命、その全てをかけて……アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフ、必ずお前を倒して見せる―――!!


「すべてを喰らいほろぼして、僕たちの最強を証明する」


 乾いた銃声が響いて、あざらしの頬を一発掠めた。

 膝が笑って射撃の反動に耐えられず、後ろに転、あ、目の前に白い毛並み……拳、振り上げられる。一切の情け容赦、良心の呵責も、わずかな油断すらも無く、全身全霊の暴力が解き放たれる。

 ―――そのとき俺の目に映ったのは、あまりに強く、雄々しく、美しい命の在り様だった。平等なる死の裁きを以て、あらゆる魂を静穏へと導く、鮮血の救世主サオシュヤント

 なんて……なんて、幸運だ。なんという、奇跡だ。何にも無かったと思っていた、くだらないジャッカル生の最後に……俺は、こんなにも綺麗なものを、


「ごまー」




 ――――――――――――――――――――――――――――――




 それは如何なる逆境をも打ち砕く、個にして宇宙全土と対等の単体戦力を持つ。

 それは世界を喰らう獣の一族に生まれ、彼ら同胞の内でも最高峰の性能を誇る。

 それは万能なる現実歪曲の魔力すら有し、されどただ混沌の悪夢をこそ愛する。

 無間無尽の三千大千世界にただ一匹、何人たりとも並ぶ者無き真の霊長である。


 邪神デミウルゴス怪獣クリーチャー


 あざらしのごま。




 ――――――――――――――――――――――――――――――




 瓦礫と消えた町の残骸から、1匹のけものが這い出した。

 その姿はサルに似るが、顔面と手に毛皮を持たず、四肢を組み合わせるのではなく完全に2本の足だけで、身体を地面に垂直に立っている。


「…………こん、な……。何……この、何なのよ。……こんな、出鱈目な」


「やぁ。僕、ごま」

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