ポップ・ポップ・サテライト その3

 眩んで、揺れて、廻って、しばらく。

 咄嗟に起き上がろうとしてすぐに諦めた。全身を襲う疼痛と、平衡感覚の喪失。

 力なく彷徨わせた指に、ぬらぬらとサイケデリックな虹色に艶めく粘液がついた。粘液の零れる元を視線で辿れば、地面に落ちて割れたレモンのような物体が見えた。


「坂本っ……!? っつ、ぁ……!」


 ―――思い知った、はずだった。

 絶大な魔力を振るい、宇宙戦艦を単独で破壊したアリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフ。

 零子刀『ヤルルカーン』の担い手にして、地平全土を切り刻む修羅の業を操った阿修羅神刀斎鯱光。

 七星の最強種。どちらも生半可な実力者ではなかった。想像を絶する暴威の持ち主だった。だが……。


「はぁ……はぁ……ご、ゴマは……」


 このタイミングで、超長距離からの砲撃……重力子砲? 違う、そんな普通の兵器ではなかった。

 もたらされた結果を見るだけで身が竦む。魂の底から屈服したくなるような、根源的な恐怖が心の内を支配する。

 ―――濛々と立ち込める土煙の中心に、あざらしの姿はあった。


「―――……」


「……ゴマ! よかった……って、私が言うのも変だけど……」


 刹那、先刻のそれとは種類の違う衝撃波が、ゴマの全周囲を薙ぎ払った。

 白い矮躯から沸き立つエネルギーは赤黒い稲妻と化して空間を走り回り、魔獣が煩悶の唸り声を上げる度に大気が震える。秘めた嚇怒が地上を揺らす。


「僕の」


 左半身の広範囲に裂傷。焼け焦げてじゅうじゅうと赤熱する傷痕は、しかし一瞬にして盛り上がった肉と毛皮に埋め尽くされ消失した。

 その肉体の再生速度は、治癒というよりもはや復元だ。明らかに力が増している―――阿修羅神刀斎という得難い難敵との邂逅が、アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフにさらなる進化をもたらしたのだ。


「僕の友達を、傷つけたな。僕の所有物に、傷をつけたな」


「所ゆ……」


 そう言えば私は連中の捕虜だった。幸か不幸か非人道的な扱いをされた記憶が無いのですっかり忘れていた。

 いや、でも、所有物呼ばわりはいくらなんでも……。


「シロクマと正面切ってぶつかるのは分が悪いと思っていたが、気が変わった」


〈GOMAPH-LIZER〉


「グリス・ナヌラーク・ポラベラム―――お前は僕が、ここで殺す」


〈Standby〉


 デバイス中央へ向けてグリップが引き倒され、それに連動してスロットが展開する。

 装填するクリスタルは、白、赤、黄の3種。ゴマ自身と、彼が頼みとする配下にして友人たちの力。


「あざらし、不死鳥フェニックス悪魔デーモン


〈GOMA,PIYO,SAKAMOTO―――Combination!〉


「燃えるぜあざらし、不滅の炎……!」


〈Get Ready?〉


「ゴマモルフォーゼッ!!」


〈Gomaph-Lize!!〉


 融星鏡・アルヴディアス。

 8番目の最強種候補、史上最悪のあざらし、アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフが持つ神器。絆を束ねて刃と成す権能が、白皙の魔獣に冥府の獄炎を宿らせる。


〈An immortal demon lays waste to the ground! SIN-GOMALLA!!〉


「ゴマアアアアアアァァァァァァァァァァァ―――――!!」


 大地を蹂躙する不死身の悪魔が、漆黒の太陽と化して絶叫した。




――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――やってくれる。


 心の中でそう呟いて、グリスは次の矢を奏星弓に番えた。

 最後にセニキス=ミラオリスを使ったのは、3年前の第17次ゼドゲウス鎮圧作戦。今日までに食わせてきたカズムタイト――古くは『魔力』『マナ』『霊性』などと俗称された未知の作用を媒介する暗黒物質ダークマターの一種であり、この10年の内に初めて存在が実証された新たな量子――の総量は、単純計算でも1度の超新星爆発に匹敵するが、この神器の"底"はまだ見えていない。


(手応えはあったが、予想していた結果ではなかったな。不意打ちで即死せしめたわけでも、気取られて完全に無効化されたわけでもない……。単独ならば無傷で対処できたが、仲間を庇ってダメージを負ったというところか。やはりふざけたアザラシだ)


 長らく務め、同僚や部下とも相応に良好な関係を築いていた。3年以上苦楽を共にした前線基地を一瞬で廃墟に変えた。

 だというのに、グリスの表情は冷徹で無感情ないつもの顔のままだった。男の精神は揺るぎなかった、いっそ異常なまでに。


(この狙撃ポジションも割れたはずだが……。しかし、早期の復帰は無いと見ていいはずだ。ここは追撃すべき―――)


 凍てつき冴え渡る思考の裏側を、電撃にも似た野生の直感が走り抜けた。

 無視するにはあまりに巨大な違和感。見れば、奏星弓の一射を撃ち込んだ彼方にて、赤黒い火炎のようなエネルギーの放射が渦巻いている。


「……この気配」


 さりとて、遠方は遠方だ。這いずり、跳ね、浮遊し、殴って蹴ることが基本戦法であるゴマの間合いになど捉えようがない。

 唯一、警戒すべきはゴマの十八番である重力崩壊熱線だが、あの熱線はビーム状の見た目通り射程内を直進する。惑星の曲面に隠れたこの位置には届かない。


「くっ……!?」


 それらの事実を、理解していて―――しかし、グリスの身体は勝手に動いた。そして結果的に、それが彼の命を繋ぐことになった。

 深紅から紫苑を経て青藍へ、偏光する尾を引きながら飛来した高熱の塊が、ついさっきまでグリスの立っていた地点を深々と抉り取った。炸裂し巻き上げられる粉塵を浴びながら、グリスは次々と投射される爆炎のミサイルを回避し続ける。


(随分と狙いが正確だな……!! 見えてなどいないだろうに!)


 バロライテ到着初日に逃走を許して以来、なかなかゴマ一行の動向を掴むことが出来ていなかったグリスだが、何もその厳しい現実を前に手をこまねいているばかりではなかった。来たるべき決戦の日に向けて、あらゆる種類の準備を整えてきたのだ。

 この対海豹特殊防弾装甲服アンチ・ゴマフ・タクティカル・アーマーについてもそうだ。

 かつてゴマに敗れたサカナ族の長、六英雄が一角キャプテン=ジョー・ネード。彼が駆っていた古代の超兵器『伝説魚人ブリオン』の装甲からヒントを得て開発された、対あざらし用の特殊装甲である。

 あざらしが有する数々の異常な能力の中でも、特に危険度の高いもの―――表皮に張り巡らされた捕食器官による体外消化と、量子波走査による空間索敵を阻害する効果を持つ。

 これの発明と量産無くして現在のアニマルバースの均衡は有り得なかったとされる、対あざらし戦略におけるマスターピースだ。


(奴が体内に保有するカズムタイトも無限ではあるまいが、さて。このまま撃たれっ放しというのも業腹だ……)


 射撃戦ならば望むところだ。

 深い山林を曲芸じみた身のこなしで駆け抜け、地平線の先で閃光が瞬く度に発生する土砂崩れを背後へと置き去りにしながら、グリスは地上遥か彼方の敵に向かって奏星弓を構えた。

 星の煌めきにて編まれた非実体の弦を引き絞る。その所作と同時に、神器の担い手にのみ感じ、触れ、操ることができる矢が生み出される。

 まずは応射。3発の光弾を迎撃し、然る後に攻勢へ転じる。間隔を開けて訪れる破壊の炎をすり抜け、その都度に何本もの光の矢を射込む。

 グリスが感じる手応えは、変わらず乏しい。そしてそれはゴマの側も同様だった。


(……埒が明かないっ。このまま夜になれば星が出るだろう……『セニキス=ミラオリス』の権能をフルに活かせる環境だ。無尽蔵の魔力供給が可能になる。必ず日中に決着をつける!)


 弓矢の相手ならば阿修羅神刀斎との戦いで勝手は掴んでいる。さすがに奏星弓の担い手だけあって、グリスが放つ矢は威力も精度もあの神刀斎すら上回っているが、それでもまったく捌けないわけではない。

 攻撃が飛来する方向からグリスの位置は把握した。鼻、聴覚、頬に捉う風のいずれも微妙に乱されているようだが、こうも殺気を集中されていてはいい加減に勘付こうというもの。

 問題は、如何にして隙を見せないよう移動し、サボテンにされる前に徒手空拳ステゴロの間合いへと持ち込むか―――。


「こういう使い方は好かないけど、仕方ないな…!」


〈Over Boost!〉


 デバイス上部のスイッチを押し込み、ゴマフライザーのリミッターを一時解除。

 自壊寸前、臨界状態にまで出力を引き上げ、システムの中核たる結晶体『ユニバース・ジーン』に宿った"生命の記憶"を完全解放する。


〈SIN-GOMALLA,Gomagonic Dead End!!〉


 発現するのは、漆黒の炎を纏って広げられる不死鳥の羽根。都合3対6枚の闇が羽ばたき、ゴマの身体を恐るべきスピードで中天へと投げ出した。

 尚も光の矢が射掛けられるが、死を否定し死を操る暗黒の翼と化したゴマには生半可な迎撃など通用しない。

 実に数十キロメートルを一息に飛び越え、弓主にとって致命的な間合いへと到達したゴマと、それを静かに見据えるグリスの視線が交錯して。


「見つけたぞ。さっさと死ねよクソ野郎」


「威勢が良いな。餌の分際でよく吠える」


 セニキス=ミラオリスが変形する。類稀なる威力と射程に相応しい壮麗なる長弓の姿から、機械式弩弓クロスボウにも似た洗練性が光る短弓へ。

 グリスの太い左手首には特注らしき専用のホルダーまでもが用意されており、今後展開が予想される格闘戦へのスムーズな移行を可能としていた。


シャアァァッ!!」


「フゥッ……!!」


 ヒレと拳が交差する。直接ぶつかり合ったのは一瞬、直進する2つのパワーが互いの軌道を捻じ曲げて抜ける。

 ただ一合の内に、ゴマとグリスの脳内を数多の情報が駆け巡る。敵の膂力、技巧、速度、この先の攻防から決着の瞬間まで。そして、如何にして戦況を己の有利へと導くべきか。

 1秒にも満たぬ戦闘の空隙。世界は静止画じみて刹那にあらゆる情景を湛え、やがて、破壊の宿業を窮めし両雄の野性が解き放たれた。


「ゴマアァ!!」


「アザラシではなぁ!」


 満身の力を込めて叩きつけるヒレに、尋常ならざる"堅さ"が跳ね返ってくる。打っても打っても砕けるどころか、表皮の欠片とて剥がれる兆しも見えない肉の漲り。

 身に着けているボディアーマーなどもはや関係ない、ただ種族として生まれ持った性能の圧倒的な格差。強く深く大地に根を張ったシロクマの身体はあまりに重く、まるで惑星を殴りつけているかのようで、攻撃する度にゴマの腕が軋む。


 必殺を期して放った爪が、いとも容易く受け流されて敵を見失う。

 確かに目の前に居る、触れられる位置に存在するはずのそれを、幾度掴もうとしてもすり抜けられる。

 グリスには、左腕に装着した奏星弓を使う暇が無かった。先刻の『敵を追う爆炎』一つ取っても、自前の魔力を消費して術を編まねばならないゴマとは違い、グリスの星光の矢はセニキス=ミラオリスに備わる独立した機能でしかない。

 故に、どう足掻いても自分の方が先に弾切れに陥る以上、ゴマは再び射撃戦に持ち込ませないよう接近し続ける他ない―――。

 そう考えるのは容易いが、たとえ奏星弓を封じられようと、グリスはフィジカルの怪物であるシロクマだ。

 ましてや、最強種として天衣無縫の恵体を誇る彼を相手に、超至近距離での殴り合いを演じてみせる胆力。

 ゴマ=ゴマフのストイックを通り越して異常なまでの闘争心は、何度もあざらし狩りを為して来たグリスをして驚嘆に値するものだった。


「ゴマゴマゴマゴマァ!!」


「フン、突きラッシュの速さ比べか。いいだろう……!」


 両者ともに理解している。殺らねば、殺られる。ただそれだけのこと。

 銀河史上最強のアザラシと言えど、本来シロクマと比べれば基礎性能の劣る身で、一切の隙を見せぬままグリス・ナヌラーク・ポラベラムの体力を削り尽くせるか。

 己の予想を遥かに超える攻撃力と機動力を持つアリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフを相手に、その動きを完全に見切るまで耐え凌ぐことが出来るか。


「ゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマゴマ!!」


「クマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマクマ!!」


 次々と、いっそ無造作なまでに暴力的に繰り出される打撃の一つ一つが、並みのけものなら掠めただけで五体爆散せしめる筋肉の砲弾である。

 発生する衝撃波は山脈の鳴動を思わせ、事実それ以上の烈震となって、バロライテの荒涼たる大地を伝っていく。辺りに住まう動物もけものも恐れをなして逃げ出し、植物でさえも叶う事なら走り出したいとばかりにぐらぐらと揺れていた。

 単純な筋力ならばグリスが上回る。速度と小回りならば無論のことゴマが優勢だ。数多の戦場を駆け抜け、幾多の強者を屠ってきた両者の経験と技量は概ね伍する。生命力の最大値は不死鳥の加護ぞ在るゴマが勝ろうが、戦闘を続行する体力タフネスとなればグリスに軍配が上がる。


 ―――――だから、彼らの運命を別つ要素があったとするのなら。

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