盟友よ、朋友よ!/曇りなき宿業の剣 その4
「『
勝負を仕切り直し、戦端を開いたのは、阿修羅神刀流の始祖にして頂点だった。
魔導の異能によって重力を歪め、打拳を試みて空中を進むゴマは見る。
たとえ銀河最強の剣聖であっても、得物の刃渡りを超える範囲に斬撃を到達させることなど不可能だ。そう考えるのが自然である。すべての物理法則を完全に無視できる生物など存在しない。
だが―――だが。相手はかの七星の最強種だ。ならば、刀の射程距離を誤認させる程度のことは、造作もないのではないだろうか?
ゴマは半ば確信を持って、加速していく世界の中で身を捻る。鯉口から覗く妖しい煌めき、鵜羽麒麟村宗の刀身が宇宙に晒される。
空間が裂ける。
そうとしか形容できない現象が起こった。ゴマが高速域で認識する光景のうち、咄嗟に半身になって庇った己の右側を、破壊力の"壁"が駆け抜けた。
―――阿修羅神刀流の奥儀が一、『飛燕』。
例えばパンダ氏族伝来の拳法には、堅牢な鎧を纏っている相手に対し、外部の装甲ではなくそれを着る肉体へと打撃を伝える『浸透勁』という技術がある。
神刀斎はこれに着想を得て、斬撃で以て鎧を通すいわば"浸透する斬撃"の妙技を編み出した。この業の完成を讃えて鯱光は第十五代剣聖位を授けられ、阿修羅神刀流を創始するに至る。
そして更なる研鑽と洗練の果て、剣の求道を往く男は思う。
鋳鉄の鎧を斬った。合金の盾を斬った。高分子特殊繊維の帷子を斬った。戦艦の装甲を。巨大な隕石すら。そんな自分がこの業を用いて斬るべき、未だ斬った経験のない"最強の盾"とは何か?
数多の戦場での経験から、鯱光は知っている。最強の盾、究極の鎧とは即ち、『距離』に他ならない。
まったくの空手で殴り合いをするより、小石でも拾って投げつけた方が安全に戦える。長槍の間合いでは刀剣は分が悪い。銃より大砲の方が遠い位置を攻撃でき、しかしそれら火砲の類とて目標が遠すぎれば威力が落ちる。
然るに最強の盾とは、敵と自分を隔てる距離である。究極の鎧とは、ただそこに存在するだけの"空"に相違ない。
成る程。そうと判ったなら、己はその"空"を斬らねばならぬ。阿修羅神刀斎鯱光に、銀河最強の剣聖に、斬れないものなど無いのだから。
まったく荒唐無稽な夢想、物理法則に真っ向から喧嘩を売る所業。近接武装による超遠距離への攻撃―――『遠当て』の秘儀がここに誕生し、それは矢のように空を貫く疾き鳥の名を与えられた。
剣聖の一太刀がゴマの目と鼻の先を突き抜け、長大な高速道路ジャンクションの路面を100m以上に渡って粉砕する。その衝撃波はジャンクションのカーブ部分まで到達してなお止まらず、曲がりくねる複雑な構造体の中を暴れ回って容易く崩落させた。
仮にゴマが回避を選択せず、愚直な吶喊を続けてあれに直撃していたなら……。
「弓も銃も飾りかよッ」
突撃を中断して横へと跳んだゴマは、一旦冷静になった頭で思考する。
剣の間合いで戦うのは自殺行為だ。とはいっても、あの『遠当て』の奥儀がある限り、鯱光の斬撃の射程距離は戦闘領域の全体に及ぶ。単身で三個宇宙艦隊を退けた逸話から冠されし"星団斬り"の異名は虚偽でも誇張でもない。
ペースを握った鯱光はすかさず攻撃を重ねる。その手に携えた霊刀が振るわれる度に空間は断裂し、距離の概念が意味を消失する。戦場すべてが巨大な裁断機に分割されているかのようだった。
付け加えるならば、飛翔する斬撃それ自体は――鯱光を含む最高位の剣士数名にしか扱えない、秘奥中の秘奥といえど――阿修羅神刀流にて確立されたひとつの技術に過ぎない。鯱光の使う『飛燕』が規格外の破壊力を発揮している理由は他にもある。
(完全な担い手を得た神器、か。よもやこれほどとは)
―――零子刀『ヤルルカーン』。またの名を、霊刀『鵜羽麒麟村宗』。
二尺五寸九分半(約78.6cm)、身巾尋常ながらも重ね厚く、刃肉豊かにつき、切先伸び、反りはやや浅い。実戦における信頼性、取り回しと頑強さを重視した剛刀ながら、その刃文は海面で揺らぐ白波の如く伸びやかで優雅だ。殺しの道具という存在意義を全うすべく極限のスペックを搭載した結果、芸術品と紛うばかりの艶姿を得た魔性の機能美である。
シャチ氏族太古の刀鍛冶・
元より、稀代の刀鍛冶が打った大業物である。ただ斬ることのみを一意に追及し、それ以外の余分を排した美しき刃を手にすれば、もはやその切れ味を試さずにいる方が難しい。一介の仕事人は見事に本懐を遂げ、込められた求道者の想いはいつしか、殺戮への執念という呪いに変貌していた。
やがて、敵からも担い手からも等しく血を啜り続けた末に、鵜羽麒麟は神の器へと至った。膨大な殺戮の歴史を纏う災厄として世界に刻まれた、妖刀や魔剣という言葉ですら生温い、刀剣の形をした祟り神の完成である。
無論、烈しき剣の鬼たる鯱光との相性は考えるまでもない。
鯱光が鵜羽麒麟村宗を振るうのだから、森羅万象は両断されねばならない。重力に従う林檎が地面へと落下していくのが当然のことであるように、ひとたび剣聖が妖刀を握ったならば一切合財を斬り伏せる。ただそれだけの話なのだ。
「越えて―――」
「!?」
幾度目かの空間切断の直後、今や全盛期の肉体を取り戻したシャチの男が呟く。
怒涛の如く襲い来る死の直線を紙一重で躱し、どうにか捌いていたゴマは身構える。次の攻撃が来ると。
思い切って中距離まで飛び込んだ。次の『飛燕』がゴマの現在位置に届くまでは少しの猶予がある。防御も回避も、転じて攻勢に移ることも容易い。鯱光の動作は見えている。得物を水平に持ち上げ、上腕の筋肉が隆起する。対処できる、
眼前に居たはずの鯱光の姿と共に、ゴマの左半身が消し飛んだ。
「『
一拍遅れて刀が空を切る音が聞こえる。
遠当ての剣を囮にしての、自らの『飛燕』よりも速い一閃。
特殊な歩法による急速接近、俗に言うところの『縮地』である。鯱光はこれを陰陽の気を操る術にてさらに強化しており、静止状態から最高速度まで一息に到達することが出来る。
「バカナーッ!?」
そして、阿修羅神刀流最速の足運び『破音』の要諦は、その絶大な突進力による奇襲性のみに留まらない。
生物兵器として、常態でアニマルバース最高峰の身体性能を備えるあざらしは、当然ながら反射神経にも優れる。今の一閃がただ素早いだけの攻撃だったなら、ゴマはたとえ2倍の速度であっても一方的に斬られなどしなかった。
(行動の先読み……! 誘われた? ううん、そんなもんじゃあない!)
飛ぶ斬撃での牽制を一時止め、相手が油断した瞬間に距離を詰めて斬った。事実だけを見れば誰もがそう見るだろう。
しかし、ゴマは決して油断などしていなかった。迫る『飛燕』の衝撃波を最低限の動作で全弾回避できるポジションに滑り込み、また鯱光の次の手次第で即座に突撃か後退かを選べるよう神経を尖らせていた。
そんなゴマを相手に、彼の拳が届かないいわば安全圏たる『飛燕』の射程から出て、刃の間合いに捉えた途端に停止し、刀を握り、全身の運動を乗せて、コンマ以下の一瞬に剣撃を見舞うこと。それにどれほどの勇気が、自信が、技術が、研鑽が必要となるものか。
「片腕のみか……僥倖! だがその程度ではあるまい? お主に教えられたことだ、敵の息の根を止めるまで……加減は無しだ!!」
「ほざけ老害がァ!!」
「『
緩やかに弧を描く斬り上げ。
流水の如く軽やかで滑らかな動きで敵の守りを崩す。
「『
狙撃銃じみた神速の突き。
敵の防御の間隙を撃ち貫き、一刺しにて心の臓を射止める。
「『
広範囲を薙ぐ横の払い。続けて、力強い踏み込みと完璧なウェイト・コントロールから放たれる、装甲を無視して浸透する斬撃。
それぞれの技で全く異なる動作を要求されながら、まるで途切れる様子の無い
「『
餌へと飛びかかる猛虎を思わせる、強烈な上段斬りが迸った。類稀なる技量で鎧を通す浸透斬撃とは趣を異にする防御無効の凶刃、極大の剛力にて為される兜割りの一刀。
そこにプロボクサーのジャブのような、あるいはそれ以上の速度で繰り出された連続突きが重なる。初めに喉を穿ち、次に目を潰し、然る後に額を砕く。敵に苦悶の声を挙げることも、死の瞬間を捉えることすら許さない、非道にして無欠の暗殺剣。
岸辺に打ち寄せる大波が如き、剣聖の攻勢は尚も止まらない。下段からのうねるような斜め斬り。それは刃が敵を食んだ瞬間、手首の動作で肉を抉りながら斬り抜けることで、より深刻な裂傷を与える輪郭なき鋸だ。
「『
鮮血を撒き散らして戦場を転がるゴマに、鯱光は今再び必殺の居合抜きを叩き込んだ。
直撃したゴマだけでなく、鵜羽麒麟の刀身に触れた物体が例外なく消し飛んでいく。絶対切断と斬撃延長を併用した、鯱光が剣の間合いと認識する限りの万物を粉砕する、もはや剣技と呼ぶことすら憚られる破壊の業である。
「―――以て。阿修羅神刀流、極奥の神儀『
そして、これら全てを一切の淀みなく立て続けに振るう極奧神儀の実在こそが、阿修羅神刀斎鯱光が七星の最強種に列せられる真の所以だ。
『最強種』とは、ただ
で、あるならば。いくら強大な存在であっても、神器を持たぬアリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフでは、8番目の最強種たり得ないのではないか。
あの異名は、ほんの誇張でしかないのだろうか?
「クハハッ」
―――――答えは否である。
正確に言えば、ゴマはこの戦いに際して最強種の域へと上り詰めようとしている段階にあった。自信家だが同時に正直者でもある彼は、その肩書きを安易に自称するほど増長してはいなかったのだ。
たとえ、七星の最強種との衝突を想定して、他ならぬ『8番目の神器』を母星から持ち出していたとしても。
「もふもふもふもふもふもふもふもふもふも」
先の猛攻でバラバラになっていたゴマの肉体が再生する。
常識外の自己再生能力を誇る生物兵器・あざらしの、さらにその中でも強力な個体だ。決して驚くべきことではない―――彼を斬ったのが鵜羽麒麟村宗でさえなければ。
(
鵜羽麒麟村宗は、刀剣の形をした祟り神だ。ひとたび抜けば必ず何者かを斬らねばならない。そしてそれを剣聖たる阿修羅神刀斎鯱光が振るえば、逆説的に何も斬れないことは有り得ないという事実が確定する。
因果律の固定化による、概念的な絶対切断。それが
手応えはあった。ゴマの身体が斬れたのも見た。だというのに、今なおアレの命には届いていない―――。
「……こんなに早くお披露目するつもりは、なかったんだけどな!」
ゴマがつぶやくと同時、その手元に鋭い光が立ち現れる。戦場に導きの声が鳴り響く。
〈
電子音声らしきアナウンスが完了し、光が払われたゴマのヒレには、未来的な意匠を有する機械端末が収まっていた。
中央にはあざらしの顔面を模した球形のユニットが、その右側にはグリップが、左側には筒状のスロットらしきものが3つ束ねられたパーツが、上部には何らかのスイッチが配されている。
「さぁ、ショータイムだ」
〈
デバイス右側のグリップ『レジェンダリー・スターター』が中央に向かって倒され、神器・
ゴマはグリップと連動して展開したデバイス左側の『ドミネーション・エンタースロット』へ、どこからともなく取り出した棒状の結晶体をセットした。またしてもアナウンスが流れる。
「あざらし!」
〈
「
〈
「
〈
あざらしの顔を模したコア「エントリティ・プラネット」の、目にあたる部分から強烈な閃光が放たれ、白と赤と黄の3色に分かれる。
やがてそれは複雑に重なり合い、それぞれゴマ、ピヨ、坂本に似たシルエットを形作る。
アナウンスはさらに続く。
「燃えるぜあざらし、不滅の炎!!」
〈
「ゴマモル……フォ―――ゼッ!!」
裂帛の咆哮と共にグリップが元の位置へと引き戻され、スロットに装填されたクリスタル『ユニバース・ジーン』が凄まじい輝きを放った。
〈
神器・アルヴディアスの権能がクリスタルに封じられていた"
―――先の大戦にて歴史的な勝利を収めるも、代償に多大な出血を強いられ、もはや全盛の能力を発揮することが叶わなくなったゴマ。それを補うために用意した切り札こそがこのアルヴディアス、通称『ゴマフライザー』だった。
元々は"図書館"ことヤルダモの拠点へのアクセス権を兼ねる『遺産』が、何らかの要因で失われてしまった場合に備え、そのアクセス権を保存しておくためのマスターキーとして造られたアイテムである。
結局、過去の時点では保安リスクの観点から『遺産』のデータ搭載は見送られたが、それが今こうして本来の目的を果たそうとしているのは如何なる因果だろうか。
〈
「第2ラウンドだクソジジイ」
そして、ゴマフライザーを使って回収できるのは、何も神器のデータだけではない。
彼の仲間であるピヨと坂本はそれぞれ、あざらし以上の自然治癒力を持つ稀少種族『ファルネクス』と、マイナス次元からこの宇宙へと現れた未知の存在『虚数の悪魔』である。
不死鳥の加護は担い手に極限の生命力を与え、悪魔の寵愛は世界に破滅と混沌をもたらす―――ゴマはこの2匹のエレメントを持ったユニバース・ジーンを用いて、スタミナと闇の魔力に特化した形態『シン・ゴマラ』へと姿を変えたのだ。
姿を変えたとはいうが、身に纏うオーラが何となく黒っぽい炎みたいになっただけなのはご愛敬である。
「……ははは」
対する、阿修羅神刀斎鯱光は。
気圧されてそうする他なくなったかのように力なく笑み、右手の霊刀をだらりと垂らして、ゆっくりと歩み寄って(あざらしなのでどちらかと言えばすり寄って)くるゴマを……戦意も殺意も衰えていない眼差しでぎらりと
――――――――――――――――――――――――――――――
「……否。否。いや、いいや。第二
襤褸となっていた甲冑を引き千切って脱ぎ捨て、
何のことはない小太刀の投擲。だが、ああも散々に見せつけてやったのだ。ゴマ=ゴマフは俺の一挙手一投足を、嫌でも最大限に警戒する……その躊躇いを逆手に取る。
「阿修羅神刀流―――裏太刀」
八回の連続する斬撃、なれど『八刃丹』のように動作に緩急は付けない。真に全てを同時に行う。
韋駄天の歩法『破音』にて飛ぶ燕を越えたこの身はさらなる速さを求め、次は隼を落とすに必要な技を求めた。
それがこの阿修羅神刀流・裏太刀の奥儀が一、風の型『
鳥は翼に風を捕えて飛翔する。それを斬らんとするということは、風すなわち大自然の営みそのものへ挑むに等しい。極限の『風切り』を為す俺の剣からは、時の流れすら逃れられはしない。
「ごまあぁぁぁぁ!!」
……止まらぬ!
さらに速度を増したとはいえ、やはり一度は破られた技だ。そう幾度も通じる道理は無かったか?
すぐさま腹の下、丹田を意識し、陰陽の気を練り上げる。
少なくとも、ゴマ=ゴマフの練氣はそういう類の業ではない。そんなことは練氣の分野では奴に劣る俺にだって理解できる。であれば、大熊猫の流儀ばかりが正しい訳でもないはずだ。
何故俺ばかりが宇宙に合わせねばならぬ? 宇宙が俺に合わせてこい―――。
「花の型。『
鵜羽麒麟を地に立てる。舞い、切先にて呪言の紋様を描く。
途端に黒煙が噴き上がり、炎の華が炸裂した。遠当ての業に火を纏わせて幾度も薙ぐ。破裂する火の粉を飛ばして焼き払う。
派手な爆発のためにまたも彼我の距離は開いたが、ゴマ=ゴマフの間合いは拳打のそれだ。報告にあった『光の砲撃』を放つにはかなり長い時間をかけて気を練る必要があり、仮にいま使えたとしても街一つを消し去るような大火力は発揮できないだろう。
「ごまぁ……!」
これもまた、抜けられたか。だが、
「
まだだ。まだやれる。
鵜羽麒麟の切先を再び舞わせる。此度は先の『胡桃』にて生み出した黒煙、上昇気流の暗雲に向かって剣を掲げる。
「チェアアアァァァァ!!」
灰色の雲から振り下ろすのは、白んで凍える霜の刃だ。雪の型『
霜と炎の陰陽術の交差。極度の冷却と加熱を交互に繰り返された物体は、たとえどれほどの強度を有していても容易く砕け散る。
だが……既に訓練でしか試したことのない技を使い、もはや生きた動物を相手に用いるべきでない剣技をひけらかしているとの自覚がありながら、俺は確信していた。
数多の戦場にて培った経験は言っている。もうゴマ=ゴマフが立ち上がることはないと。
俺の手に在る鵜羽麒麟は言っている。この程度ではゴマ=ゴマフが止まることはないと。
「ごまっ、ごま、ごまごま、ごまぁッ」
来る。あざらしが来る。
炎の刃のみを見切って的確に回避し、気を纏ったヒレで弾くのは霜の刃に絞っている。無論、そちらも躱せる場合には躱していることは言うまでもない。
戦闘が長引くに伴い、明らかに動作の切れが増している。過去の記録を紐解く限り、その圧倒的な腕力と豪速の反射反応だけで眼前の障害を薙ぎ倒し、こと"武"においては初心者同然だったゴマ=ゴマフが、この第十五代剣聖位の剣筋を学びつつある。
「月の型……『
出し惜しみをしていたつもりはない。ただ戦略を誤っただけだ。この
間合いの外から空を斬る。距離を切り裂いて我が剣は襲う。そして、阿修羅神刀流裏太刀・月の型『鵜』もまた遠当ての秘儀であるが、その最大の特徴は虚空に斬撃を起こす技であることだ。
「ごまっ!? ご、ごごごごごごごま……!」
この遠当ては飛ばない。衝撃波で薙ぎ払うのではなく、正真正銘、俺の振るった剣がそのまま遠間に届くのだ。『飛燕』はある種の妥協でもって完成させた余技に過ぎず、俺が本来目指していた『遠当て』はむしろこちらの方である。
極めて繊細な打ち込みが必要となるため、斬撃ひとつひとつの威力は多少劣るが、鵜羽麒麟の切れ味があれば問題にならない。
切り裂く。斬り捨てる。滅多打ちにする。
あざらしが来る。
花の炎で、雪の霜で、月の刃で。風の連撃でそれらを一斉に叩きつける。
あざらしが来る。
「……唸れ
村宗の尻鞘に用いた、黒い麒麟の鬣が紫電を帯びる。
先の大戦にて果て、夢枕に立ってまでまた戦場を駆けたいと願った、今は亡き俺の愛馬。戦への執念とシャチ氏族への忠誠が込められたこの毛皮は、漆黒の稲光を生じて異敵を焼き尽くし、持ち主に雷の速さを与える呪術を宿している。
「ごまあああああああああああああ」
あざらしが来る。
風に怯まず、炎を潜り抜け、霜を撥ね除け、月に惑わされることもなく、麒麟の雷すら置き去りにして、アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフが俺へと肉薄する。
その目に恐怖は無い。己の身を守る行動にさえ、あのあざらしは何の注意も払っていない。
一撃喰らえば動きが鈍る。動きが鈍れば十全の攻勢は維持できない。眼前の敵を屠るためには、死んでいる暇など一瞬たりともありはしない。だから最低限避けるし守っているだけで、内心ではそれすら煩わしい。
『攻撃は最大の防御』などと、月並みな次元の思考ではない。ゴマ=ゴマフにとっては『攻撃以外のすべてが攻撃の付属品』なのだ。
後退など死んでも有り得ない。そもそも死して敗北する確率さえ考慮に入れていない。殺して勝つという絶対的な意志のみであらゆる思考が完結している。
それはまさに、『生物でありながら兵器』という奴らあざらしの在り様を体現していた。
―――――嗚呼。
嗚呼、嗚呼。そうだとも。
俺はお前になりたかったんだ、ゴマ=ゴマフ。
何も考えず、ただずっと、自分の手で剣を振っていたかった。他に何も必要なかった……。
けれど、自分でもわかっている。俺はもうお前にはなれない。守りたいものが増え過ぎた。
だからここで死ぬしかない。命を捨てて己の力と成しているお前に、命に執着している俺では届かない。俺は、
「うおぉぉ俺を見ろオォォォォ!!」
―――――刹那、俺の見立ては呆気なく覆された。
地獄めいた赤黒い闘気を迸らせ、俺目掛けて一直線に突進するあざらしの目には、途轍もない光量の生命の輝きが燃えていた。
踊っている。跳ねている。弾んでいる。だから、生きている。
命を捨てているのではない。どんなに強大な敵にも、どんなに最悪な状況にも、剥き身の命でぶつかろうとしている。
誰よりも自分を信じているから。どんな刃にも己の魂は斬れないと、心底から確信しているから。
「…………そうか」
然らば。
「風花雪月、諸行無常。驕れる者は久しからず、猛き者もいずれは滅びる。されど……」
然らば、棄てよう。不要なもの全て。迷いを。惑いを。今ここに相対する俺とお前以外の、すべてを。
地平線まで続く視野の全土に広げた意識を捨てた。目の前に迫るあざらしだけが残る。
周囲半径五里に張り巡らせていた聴覚の網を捨てた。あざらしの拳が空気を灼く音だけが残る。
劇物の兆候を探り続ける鼻を塞いだ。血の匂いがする。他ならぬ俺の手で斬った、あざらしの血の匂いだ。
風と熱を捉える肌を忘れた。鵜羽麒麟を握る手に力を込める。俺が斬るべきものは、いつだってこの剣が教えてくれる。
口を閉じた。息を吸い、声を張り上げる。
「……されど、我らが魂に偽り無し! 我らが紡いできた誉れは! 我らが此処に居たという
我が道の真業、此処に定まる。
武士道とは、斬ることと見つけたり。
「千紫万紅―――この身は常世の淵にて
――――――――――――――――――――――――――――――
「ご……」
次の瞬間、ゴマの身体を静粛なる"死"が駆け抜けた。
ゴマには鯱光が、幾度目かの抜刀術を繰り出したように見えた。そう、こうして"見える"だけの余地が、超生物たるゴマであったからこそどうにか残されていた。
実際のところ、鯱光は一寸たりとも動いてはいない。剣聖の放つ凄まじい殺気が、
この『不抜の剣』は本来、相手を無闇に傷つけず制圧するための奥儀なのだが、阿修羅神刀斎のそれは呪術としての実体を伴い、敵対者を死に至らしめることすら可能な域にある。
「斬り捨て」
動けない。目の前で致死の刃が持ち上げられ、剣聖の筋肉がぎりぎりと軋んでいる。隙だらけに見えるその立ち姿へと、反撃を加えることができない。
大上段からの唐竹割り。体幹は完全に安定して動じず、鎧通しと遠当ての業ゆえに防御も回避も意味をなさない。
そもそも、初段の剣気に
「―――御免ッ!!」
霊刀・鵜羽麒麟村宗の最大解放。
鯱光の他に使える者は居らず、故に名前すら与えられなかった奇跡の殺戮技巧。
幻影の居合と必殺の一刀による異形の剣術―――阿修羅神刀流最終奥儀『秘剣・無名十文字』。
「ご」
真実一切、極微のぶれも無くただ真っ直ぐに、刀剣を象る祟り神が落ちる。
「ま」
修羅が振るいし刃は守りを抜き、間合いを抜き、如何なる抵抗も許さず、冥府魔道を吹く死の血風と化して遍く命を奪い去る。
その一瞬だけ物理法則が消滅してしまったかのように、剣はゴマの表皮に触れてもまったくスピードを緩めることなく、直下に向かって流れていく。
「ふぅ―――ああああぁぁぁぁぁぁ!!」
合掌。外した。再び合掌。
今や鵜羽麒麟村宗と完全な
「と……」
ゴマが笑った。相変わらず口にあたる部位は存在しないので実際どうなのかはわからないが、それでも明白だった。
丸い体躯の半ばにまで剣をめり込ませ、
「真剣白刃取り。大☆成☆功」
「取れておらぬぞ!?」
「そ、し、てぇ!!」
限界まで身体を沈め、鵜羽麒麟の刃から脱する。
武人として極限の精神力を持つ阿修羅神刀斎鯱光にとってすら、このような無理、無茶、無謀、そして無法は想定外だった。ごく些細な、そして致命的な空隙が、シャチの男の意識へと刻まれる。
ゴマは手早くゴマフライザーを取り出し、デバイス上部に設けられたスイッチ『アンストッパブル・アクセラレーター』を叩く。連続する電子音に乗って、再度グリップを往復させる。
〈
「こいつが俺のッ!」
見事な半月を描いて、ゴマのアッパーカットが鯱光の顎へと吸い込まれる。激しいショックが脳髄を揺らし、世界の全てが直線の塊に変形する。
鯱光の肉体に刻み込まれた戦闘の方程式はこの時点でようやく再起動し、反射的に斬り上げた刃がゴマを強襲した。
魔獣は防がなかった。肉体の再生に気を回す必要すらない。ゴマには既に鯱光が繰り出す剣の軌道が見えており、続く攻撃のいずれもあざらしを捉えることはなかった。
「無刀取りだああァァァァァ―――――!!」
〈
あざらしの後ヒレに赤黒い炎が渦巻き、全身全霊にて放たれた飛び蹴りが、剣の修羅の胴体へと突き刺さった。
猛り狂う爆炎が不死鳥の翼を為し、ゴマはヒレ先に鯱光を捉えたまま急上昇する。地獄の悪魔の哄笑にも似た異音が大気を震わせる。打ち上げる―――打ち上げる。高速道路ジャンクションを超えて、恒星ケルメェスに向かって駆け上がる。
やがて魔獣の飛翔は頂点に達し、一際巨大なエネルギーの炸裂が咲いた。
「……もっふん!」
まるで示し合わせたかの如く己の着地点へと降ってきた鵜羽麒麟村宗を、ゴマは右ヒレを掲げて力強く掴み取る。
同じく着地には成功するも、すぐに片膝を突いて顔を伏せた鯱光の胸には、心臓を中心として大きな風穴が開いていた。
―――そして、アニマルバース最強の剣聖は、ゆっくりと振り返って。
「お……ォ、おォ」
……あぁ。
何と……何と心躍る、死合であったろうか。
「
血風吹き荒ぶ戦場で、また一匹の侍が果てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます