ライオン王国の一番長い日 その2
「あざらしは他種族とは群れない、というのがかつての常識であった」
ましてや、
「研究者たちは、今もそうであると考えている。現在のジア=ウルテに政府が、建築物が、移民が存在するのは、お前たちゴマ星人が他種族文明のシミュレーションを行っているに過ぎないのだと」
アンプレキオノ星系を離れ、ボンゴマ・ファミリーが違法物品の密輸に使う宇宙航路を特定し、待ち伏せを仕掛けることなど─────。
「だが……違ったのだな」
否。
百獣を統べる者、王の中の王、覇界大帝ライガード・レグルサルバには可能である。
ライガードがドラクリオ・クレムベルを討って得た神器、万色杖『フワラル=ネストラーベ』の権能は
宇宙に満ちる元素、あらゆる属性を操り、使用者が望む事象を紡ぎ出す───すなわち、何らかの事象が生じる可能性がわずかにでもあるのなら、必ずそうなるように世界を動かす"因果の収束"だ。
さらにここへ、
ライガードは、安全が確保されているはずの宇宙航路を行く『S・Dロンリネス』の進路上に、ひとつの小惑星を"出現"させた。
搭載されたいくつもの安全装置により、ボンゴマの宇宙船はその場での大破こそ免れたが、それ以上は為す術も無く小惑星に不時着。
「お前たちが、そうか。最悪の魔王に与する大逆の使徒。古代種ヤルダモの遺志を継ぎ、銀河に荒廃をもたらさんとする者ども」
───アニマルバースで最も高名かつ特別視されるのは最強種たちが持つ『
ライガードが"全能"の最強種、大神ヴァハトマ=ベルヒドゥエンから授かった『虚ろの封牢』もそのひとつだ。現世から時間と空間を隔てた異界、何人たりとも干渉できぬ強固な結界を作り出す魔具である。
まず最初に、殺せども死なず、また不死鳥の羽根による治癒の力を持つピヨが、『虚ろの封牢』へと封印された。
事態を察知したセラが動き始める。遅れてウーノが自衛用の拳銃を抜いた。
坂本はなんかボーッとしていたが、他に出来ることも無さそうだったリンが咄嗟に庇った。
そこまでだった。
燎嵐鎚ベティエヌの巻き起こす暴風が一薙ぎすると、ウーノとリンと坂本はたちまち吹き飛んだ。
セラだけはバリアシールドを発生させ耐え抜くも、倒れた仲間たちを見て動揺した隙を突かれ、ライガードが振るったベティエヌの一撃に被弾。
往年の完全状態であれば勝負はわからなかったが、先の戦役にてゴマ=ゴマフに敗れ力を減じた蒼炎の天使では、"覇界"の最強種を止めることは叶わなかった。
「だが……それもここまでだ」
「っ、ぁ───」
少女の喉輪を絞め上げながら、ライガードは吐き捨てる。
あざらし族の主力軍が無秩序に戦線を拡大し続け、根拠地であるガレオルニス星系を離れていることは周知の事実だ。故にゴマ=ゴマフは協力者を募り、ボンゴマ・ファミリーを発足させたのだ。
その後ろ盾を失えば、最悪の魔王は銀河に孤立した裸の君主に堕する。
「死ね。己が蒙昧と軽挙を悔い、ライオン王国が成す千年の平穏の礎となるがいい」
燎嵐鎚の権能が起動し、彼らの頭上で黒雲が渦巻き始めた。
皇帝ライガードの眼前を阻む敵をことごとく鏖殺せしめてきた、必滅の雷霆が蠕動する。
空間それ自体を破砕するかのような無言の圧力が地面を揺らし、無数の紫電が弾け、そして─────。
――――――――――――――――――――――――――――――
自分が無力なことくらい、とっくの昔に知っていた。
最初にこの銀河で、ゴマトピアの路地裏で目覚めた瞬間からそうだ。
記憶を失って混乱していたのは、尤もだけれど。豚頭の獣人──奴隷商人──に拉致されそうになった時、私は怯えて声すら出せなかった。
何となくもがいて、殴られて、得体の知れない薬物を注射されそうになって───そこに、リボーヌが現れた。
リボーヌ・J・ケイオス。ジャッカル氏族の獣人。
私を助けてくれた命の恩人であり、アニマルバースでの生き方を叩き込んでくれた教師であり、住処と仕事を共にする相棒であり……あの日、ゴマ=ゴマフに命を奪われた彼。
彼の死を知らされた時、私は本気で恨んだ。
ボンゴマ・ファミリーの首魁ゴマ=ゴマフを。私からリボーヌを奪った運命の不条理を。
それから───圧倒的な魔王の暴威を前に、何一つ抗うことの出来なかった自分自身を。
アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフ。
白皙の魔王。第8の最強種。死と破壊を司る災厄の化身。
そのような代物を相手に、たかがちっぽけな■■1匹に何が出来るというのだろう。
あれに歯向かった以上、リボーヌの死は必然で。私だって、ゴマの気まぐれで生かされている身に過ぎない。
─────諦めるのか?
だって、
「……。……だって、仕方ないじゃない」
"覇界"の最強種、ライガード・レオポーン・レグルサルバ。
雷と嵐を従え、大地すら支配する獅子の王。ゴマを除けば私たち一行の最大戦力であるセラでさえ、たった数度の衝突の後に倒された。
「あんな連中を相手に、どうしろってのよ」
ゴマトピアでの訓練の日々も意味が無かった。
何が『ゴマと対等な立場になりたい、あいつとの対話を許されるだけの力が欲しい』だ。
私が銃の引き金を引いている間に、『七星の最強種』は街一つを吹き飛ばせるというのに。
「……無理。私は弱い。ゴマの旅路を見届けることすら、私には出来ない───」
「いいや」
え?
「そうじゃない。
「何を言って……いや。あなたは……」
誰だろう。混濁し、奈落へと墜ちていく意識の彼方に、ぼんやりとしたシルエットが浮かび上がった。
獣人、それも死んだはずのリボーヌであるように見える。口調も声音も違う――話し方はむしろ、冷めている時のゴマに近い――が、死に際の幻覚だと言われれば納得できる。
「君は、どうやって
知らない。覚えていない。
「知っているはずだ。どうか思い出してくれ」
私……。
私は、どうしてここに。
「信じている。君の───君たちの、■■の、生きる意志を」
いつだったか。今みたいに朦朧とした意識の中で、わずかに蘇った記憶が再生される。
知らない場所、知らない敵、知らない誰かが私の手を引いていた。
彼もまた、リボーヌのように、私を置いてどこかへ───。
「忘れないでくれ。君は一人じゃない」
…………そうだ。
たとえ思い出せなくても、この身体と血潮が知っている。
世界が灰になっても残った何かを、私は今も託されている。
「───わかった」
足手纏いはもう二度と御免だ。
行こう。私たちは、まだ戦える……!
――――――――――――――――――――――――――――――
地面に手を、足の裏をつけ、力を入れる。
頭が痛い。うまくバランスが取れない。それでも。
「貴様……」
皇帝ライガードがこちらを振り向く。その腕に絞め上げられているセラも。
「……調べはついているぞ。女、貴様はゴマ=ゴマフの捕虜であろう。懇意にしていた殺し屋を、ボンゴマに始末されたとも聞く。だのに───」
「そうよ」
時間を─────。
七星の最強種。アニマルバースに君臨する摂理の体現者たち。
存在そのものが天災に匹敵する彼らを前に、それでも、自分の意志を叩きつけられるだけの時間を。力を。
「あいつを許したわけじゃない。許せるわけがない。あいつを殺すのは……私よ」
「何を言っている?」
「……セラぁっ!!」
生まれ持った種族としての、絶対的な格差───それがどうした。
自分を鍛えるのに限界があるならば、他のところからさらなる力を持ってくるだけだ。
「……!」
私の考えを察したらしいセラの、氷めいた無表情がわずかに揺れた。
永遠にも感じられる、一瞬の逡巡の後、
「リン……様」
「うん」
「……、―――はい!」
蒼炎の天使の腕から、眩い輝きが迸った。
ライガードは咄嗟に半身を翻し、またセラの首を絞める力を強めたが、狙いはそちらではない。
―――セラの手より発された光を受けた瞬間、膨大無数の光景が流れ込んできた。
原初、濃紺の海、ぐずぐずとした泥の中。すべては小さな炭素と水素と酸素の混合物から始まった。
水底に根づき、地上に芽吹き、自由なる足趾と、闊達なる手指を得て。世界は進み、生命はいよいよ花開いていく。
空。炎。星。銃声。鉄。悲鳴。宇宙。光。死、冬、灰、そしてわずかな希望と―――夜明けの祈り。
〈
天使の光を受けて右腕に顕れたのは、電子回路めいて精緻な綾模様の刻まれた篭手、あるいは手甲。
手首の辺りにコズミック・ブルーの玉石が嵌め込まれており、秘められた凄絶なまでのエネルギーが、私の全身に伝播してくるようだった。
「貴様―――それは、ゴマ=ゴマフの……!!」
獅子の王が驚愕に目を見開く。ライガードはさらに、はっとして自身の手の中を見た。
先刻まで首を鷲掴みにしていたセラの姿が無い。己を融星鏡『アルヴディアス』と融合し、私の元へと転送したからだ。
「……よせ!
「は―――知ったこっちゃないわね! それに、ゴマが言ってたわ。ウサギの最強種ジャーリスは、自分の意志で神器の理を捻じ伏せて使ってたって」
ずっとゴマの近くに居て、あいつの戦いを見てきた。アルヴディアスの使い方なら知っている。
神器を使って、最強種に挑む理由もある。戦う意志がある。だったら……出来るはずだ、私にも。
「やるよ、セラ」
〈
右腕の
篭手から伝わってくる未知のエネルギーが増大した。エナジードリンクを飲み干してしばらく経った頃のような、頼もしいながらある意味では破滅的な感覚。
ライガードの言う通りだ。きっと本来、私には神器を扱う資格など無いのだろう。
だから、どうした。
「―――――
〈
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