Twinkle,Twinkle,"Riddle" star

 季節は巡る。

 世界は廻る。

 日常は、何事も無く進んでいく。




――――――――――――――――――――――――――――――




 ある日、いつものように部室へやってくると、奇妙な先客が待機していた。


「……なにこれ」


 薄黄色の、無地のバランスボールに、マジックで線を引いただけみたいな目と口。

 側面と下部からは都合2対の計4つ、電線を何本か束ねたような黒い、へにゃっとした……何だろう。まさか手足?

 表情はこれ以上は無いと言えるほどの快活な笑顔で……とにかく、全体的に小学生の落書きめいた謎のぬいぐるみが、椅子ごと長机の一角を占有している。無駄にでけぇ。


「ミライ先輩が。こないだ優勝したゲーム大会の副賞ですって」


「最近流行ってるよな、そのマスコット。何だっけ、確か……」


「『坂本さん』だよー。かわいいよね!」


 ミライがシミュレーターからひょこりと顔を出しながら言う。操作レバーを動かす手は止めていない。器用だ。


「それはいいけど。どうして私の席が坂本さんに取られてるわけ?」


「見ての通りだ。寮の部屋に置き場が無いんだと」


「部室にも無いわよ」


「まぁまぁそう言わずに。触ってみて、気持ちいいよ」


 とりあえず、自分の座る場所を取り返すべく『坂本さん』を持ち上げる。

 意外と重い……が、肌触りは良い。何やらすべすべしている。


 ぬいぐるみの、無機質なプラスチックの瞳と目が合った。

 今日、初めて名前を知ったはずのそれが、何故だか妙に懐かしく思えて―――――。




――――――――――――――――――――――――――――――




 色々検討した結果、『HEF決闘部』の片隅、大きめで引き出し型の工具箱の上が彼の定位置となった。

 なんでもない日常の一幕だ。


 坂本さんはずっとそこに居る。

 雨の日も、風の日も、学期中も、休暇中も。大会に向けてみんなで相談をしている時も、ミライがシミュレーターに引きこもっている時も、ヨハンがクラスの係の用事をサボっている時も、ミーノが静かに読書をしている時も。

 撫でられたり、埃を被ったり、時たま洗濯されたり、季節ごとに飾りつけられたりしながら、その黒いプラスチックの目で私たちを見守っている。


 たぶん、世間のブームが去って、私たちが卒業して、HEF決闘部が後輩の世代に渡って……理事長が強権を使ってミライのために立ち上げた部なので、これはちょっと怪しいけれど。

 何にせよ、坂本さんはずっと、この部室で生徒たちを見守っていくのだろう。




――――――――――――――――――――――――――――――




 季節は巡る。

 世界は廻る。

 日常は、何事も無く進んでいく。


 ―――――■■■本当に




――――――――――――――――――――――――――――――




 ふと、目が覚めた。


「……ん」


 机から身を起こして、瞼を擦る。

 外は若干薄暗い。部室の電灯は点いたまま。


「……、やばっ。寝ちゃってた」


 夏――このコロニーでは――の大会を終えて季節は秋、もうすぐ文化祭の時期だ。

 私たち決闘部はというと、無論のことバトルアーツの模擬試合を披露することになっている。

 相手は同じアル工のチーム『バイソン=アルファ・ケンタウリ』が務めるはずだが、他の学校からも選手を呼び込むかも知れないという。

 コロニー内予選を突破した今、冬の全宙域大会に向けて、経験値はいくらあっても多すぎるということは無い。


「早く帰らないと」


 それはそれとして……時刻は午後6時17分。学園の閉門は13分後だ。

 進捗状況を保存してコンピュータ端末の電源を落とし、机の上に散らしていた資料を鞄に放り込む。壁のフックに引っ掛けてある部室の鍵を取って、


「―――……、……?」


 ふと―――工具箱の上に鎮座する、『坂本さん』と目が合った。

 別に取り立てて異常があったわけではない。いつも通りの、呆けたような笑顔を浮かべる坂本さんだ。

 ただ、何か…………。




 がちり。




 頭の中で、なにかが引っかかった。

 ずっと忘れていたことを急に思い出した、ような。

 それまでちゃんと噛み合い、回っていたはずの歯車が、実は錆びついていたことに気がついたような。




――――――――――――――――――――――――――――――




 季節は巡る。

 世界は廻る。

 日常は、何事も無く、進んで、




――――――――――――――――――――――――――――――




 わがはいはサカモトである。なまえはまだない。


 どこでうまれたかぜんぜんわからん。なんかくらくてもやもやしたとこでぼーっとしてたきがする。


 サカモトはサカモトである。そういうことになった。

 くらくてもやもやしたとこで、うにょーんで、ぽえーんして、ぷーっとやったら、ここにきた。

 さいしょは、じめじめして、くさーいとこにでた。くるくるまわってたら、くらくてかわいたとこにでた。


 そしたら、ボスにあった。ふわふわ、もふもふの、あざらしっていうらしい。

 しゃっきんとりのおしごとちゅうだった。おかねにだらしない、わるいチーターをぶちのめして、サカモトをひろった。

 いっしょにおふろはいって、ごはんたべて(おなかすいてたからうれしかった)、サカモトはサカモトになった。


 サカモトは『あくま』っていういきものらしい。

 くわしいことはウーノにもよくわからないらしい。

 でも、ボスは、いつかサカモトがやくにたつひがくるかもしれないっていってた。




 それが今日だ。




 僕は僕について何も知らない。

 坂本と名付けられたこの生き物が何なのか、僕が本当の意味で理解していることはとても少ない。


 けれど、わかっていることもある。

 マイナス次元の悪魔―――虚数の申し子。

 この宇宙に在り得ざる異物。既知の物理法則では説明のつかないもの。


 ボスは……戦士として極限の超直感を有するゴマ=ゴマフは、いつからか気づいていたのだろう。

 上位者ハイパー・ビーイングと呼ばれる者たちの力―――この現実世界を形作る摂理そのものである神々が、真にゴマ=ゴマフを敵と見定めた時、彼らのいた法則下に生きる己では勝ち目が無いということを。

 仮に己がに手をかけられたとしても、遥か幾星霜の太古より神として在った彼らとの間には、積み重ねた時間と歴史の力の差があるということを。


 まるで自覚していなかったが、僕はそれまできっと孤独だった。

 ピヨさんと同じだ。本来在るべき場所に居続けることが出来なかった異常な存在。宇宙にぽっかりと開いたあな、忌まわしき世界の傷口……それが僕だ。


 誰にも顧みられず、あの路地裏でひっそりと朽ち果てていくはずだった僕を、ボスが救った。

 実際にこうして事が起こった以上、それは打算だったのかも知れない。ゴマ=ゴマフを知る者なら、彼が奸智謀略のために僕のような存在を飼っていたと言われても、何も不思議ではないと思うだろう。


 ……けれど。

 僕は、嬉しかった。楽しかったんだ、ボンゴマ・ファミリーでの日々が。

 友達が出来た。ずっと一人じゃなかった。僕の心はいつも、温かいもので満たされていた。


 嘘でもいい。ボスが僕のことを、どんな風に見ていたとしても構わない。

 僕が、ボスと出会って救われたことを、神々にだって否定させはしない。


「あぶー」


 進む。

 歩む。

 無の虚空を。


「やはー」


 壊す。

 穢す。

 宇宙の摂理を。


「にょえーん」


 事象の地平線の彼方、砕けた因果と不条理が螺旋を成す世界の狭間へ。


 ここにが居る。

 僕たちはまだ、負けていない。


「―――――……坂本様?」


 蒼炎の天使、セラ。


 存在と無、因果と不条理の狭間―――自分が本来居たはずのマイナスの次元、有り得ざる虚数の宇宙へ限りなく近づいたことで、僕は多くを知った。

 知ったというよりは本能的に、と言ったところだけれど。


 詳しい事情は知らないが、セラは過去にゴマ=ゴマフと戦ったことがある。

 その中でボスは上位者ハイパー・ビーイングの領域の片鱗に触れ、神なる力をもって彼女を降し、一度は概念ごと宇宙の歴史から消失させた。

 ……にも関わらず、彼女はボスとのよすが、ほんのわずかな繋がりを通じて、現世に蘇ったのだ。


「セラ~」


「っ、ご無事で……! ……、―――。いえ……」


 無事……では、ないだろうな。

 ここは完全なる虚無の入り口。あらゆる生命、意識、精神、魂と存在が最後に行き着く因果の終端だ。これより前に戻ることは決して許されず、これより先へ墜ちる他に道は無い。

 あの手の概念攻撃に耐性のあるらしいセラだって、一度ならばともかく、二度もここから復活するのは不可能に近い。


「セラ」


「……坂本、様」


「だいじょぶ」


「―――!?」


 でも。


「まだだよ」


 終わっていない。

 僕たちは、ゴマ=ゴマフは、負けていない。


「サカモトをつかえ」


「坂本様……」


「ボスはまだいきてる。いいや、サカモトたちがしなせたりなんかしない。ちがうか?」


「で、……でも。そんな……そんなことをしたら、坂本様が」


「えぇねん」


 ゴマ=ゴマフは、これ以上ないほどの"正"のエネルギーを宿した存在だ。

 その破壊的な性格や能力には関わらず、無際限に膨張する宇宙の如き命と光の力に満ち溢れている。

 本来、僕のような"マイナス"、闇黒の領域の生物とは相反するもの。僕のマイナスの力……を使って、この虚無からボスを再生させようとすれば―――。


「サカモトな。ウーノみたいにかしこくないし、ピヨみたいにはねでけがなおしたりできないし、セラやリンみたいにつよくないのん。だから、やっとボスのやくにたてるの、うれしいんだ」


 滅多に感情を表に出さない天使のかんばせが、わずかに曇った。


「……。……マスターは、喜びません」


「おん」


「リン様も、ピヨ様も、ウーノ様だって」


「うん」


「……、……わたしも。……みなさんが離れ離れになるのは、嫌……です」


 あぁ。

 本当はきっと、僕も嫌だ。


「それでも。―――ここでボスを助けられない自分ぼくでいるのは、もっと嫌だ」


 進む。歩む。無の虚空を。

 壊す。穢す。宇宙の摂理を。


「……待って」


 探す。沈む。失われたものを。

 迫る。融ける。夜の帳の中へ。


「待って、ください」


 身体の輪郭に、ひびが入った。

 自分が内側から燃えていく感覚がある。


 そうだ。のだ。

 このすべてが静穏に凪いだ無の世界で、僕の魂は確かに熱を発している。


 砕け。

 壊せ。

 喰らえ。

 秩序に叛き、地獄へ繋がれ、摂理からの復讐を免れぬとしても。

 その瞳に、魂に、尽きぬ闘志ある限り。吼え猛る虎の如く狂い廻り、制覇と蹂躙を謳うがいい。


「───坂本様っ!!」


 屍山血河の頂に立ち、宇宙を睥睨する殺戮の王よ。

 無限の淘汰と選択の彼方に在り、永劫の闘争らくえんを生きる進化の獣よ。


「ゴマ」


 今はただ───君の盟友たるこの悪魔から。


「目一杯の祝福を、君に」




――――――――――――――――――――――――――――――




 ある日の夜、夢を見た。




 そらほしの狭間、虹色の星光が乱れ舞う鏡色の水面。

 意識は夢とは思えないほどにはっきりしていて、それでいて醒める様子がまるで無かった。視界はどこまでも澄んでいる。


 知らない誰かがそこに立っていて───すぐに、自分は本当はその人を知っていることに気づいた。

 小さな背丈。膝まで伸びた白銀の髪。炎か瑠璃のように蒼く透き通った瞳。


「─────


 知らないはずの名前。会ったことの無いはずの少女。

 信じがたいほど滑らかに口から出てきた名前を、私はどうしようもなく知らない知っている


「ようやく、繋がった」


 白と青の少女が口を開く。

 その声音は存在しなかった記憶に残っているままだが、少しだけ様子が違う。


「───主よ。偉大なる、ヤルダモの子よ」


 少女は、セラは───あるいはその似姿を取った何者かが、私の前に跪く。


「……あなたは?」


「『十絶神器』が一、統制剣『アルヴキュリア』」


 ―――――統制剣・アルヴキュリア。

『十絶神器』、すなわちは『ヤルダモの10の遺産』の一つ。、私の記憶の中にだけ存在する世界……『第11銀河アニマルバース』で、が集めていた神秘の遺物。


「じゃあ……。……あなたが、なんだ」


 あの旅の最中、幾度か聞こえた"声"。

 自分では、アニマルバースで失われた記憶の断片だと思っていたそれは、実際にはどこかから語りかけてくるこの『遺物』の声だったらしい。


「如何にも、主よ。我々は君のことをずっと待っていた」


「えぇと……、その主って呼び方は―――」


「おおよそ想像はつくと思うが、まずは現状を伝えよう」


 セラ、の姿を借りたアルヴキュリアが虚空に手振りをする。

 淡い光の線が浮かび上がり、ホログラムビジョンのように2つの像を結んだ。

 ひとつは、複雑な骨組みが組み合わさって形作られた四角いからの箱。もうひとつは、天を突くように伸びる長大な塔。


「刻命界ン・ソと羅占槍タムクォイツェーン。これらは互いに、対となる性質を持った神器だ」


「対……」


「ン・ソは時間と空間を司り、あらゆる事象を書き換える神の匣。それに対し、タムクォイツェーンは世界の乱れを貫き、真実を縫い留める神の書記装置」


「具体的には、どんな力が?」


「ン・ソの権能は文字通り、時空間の操作だ。時を停めるも、旅するも、巻き戻すも自由自在―――過去に向かい、あるいは未来を視て、歴史に定められた結末を覆すことすら可能とする。自身や他者を空間を越えて宇宙のあらゆる場所に導くことができ、また逆にどことも繋がらない孤絶した座標に孤立させることも、もしくは空間という概念に示される"何かが存在するための余地"そのものを奪って虚無に落とすなど、絶大な権能を行使せしめる」


 ―――――時空を司る神の匣。

 アル・アザ=ウンシェムで、あのゴマたち一行を呆気なく全滅させた力の正体。


「そしてタムクォイツェーンの権能は、毀損した時空間の『修復』だ。歴史の保全と言い換えてもいい。何であれタムクォイツェーンにされた事象は『真実』となり、不動にして不壊のものとして宇宙の歴史に刻まれる。元々はタイムパラドックスを用いた存在否定、時間旅行による概念攻撃に対抗するために造られた神器だ」


「じゃあ―――タムクォイツェーンがあれば、ン・ソの……時間を改変する攻撃に対抗できる?」


「逆も然りだ。ン・ソによって時間を、事象を改変し、タムクォイツェーンによって自らに都合の良い歴史げんじつ確定ロックする。この二つの神器を手に入れた今……大神ヴァハトマ・ベルヒドゥエンは真に全能、究極無比の存在となった」


 七星の最強種―――いずれも一筋縄ではいかない怪物たちだった。

 "星斬"の阿修羅神刀斎鯱光。"壊乱"のグリス・ナヌラーク・ポラベラム。"無双"のゼドゲウス。"静謐"のジャーリス・アバウォッキ。"覇界"のライガード・レオポーン・レグルサルバ。

 "暗澹"のドラクリオ・クレムベルだけは直接見たわけではないけれど、聞くところによればあのライガードが手ずから討伐に出向いたというのだから、その脅威の程は推して知るべしというもの。

 ―――そして、それらをさらに上回るのが、ヴァハトマ・ベルヒドゥエンなる上位者ハイパー・ビーイングであるという。


「……でも」


 大神。

 そんな相手に、


「私はこうして生きてる。第11銀河アニマルバースで過ごしたことを、覚えてる」


 は―――彼らは、きっと抗うのだろう。

 だから、私は今、ここにいる。


「あぁ」


 セラ、の似姿が歪む。掻き消え、書き換わり……耳と長い鼻口を持つ獣人に。

 灰茶色のジャッカル、リボーヌだ。以前にも同じ姿アバターで、私に語りかけてきたのを覚えている。


「かつてアニマルバースを統治していた第11銀河統括機構の背後には上位者ハイパー・ビーイングの勢力があり、大神ベルヒドゥエンと敵対していた。ベルヒドゥエンが君たち人類ヤルダモに肩入れする立場だったからだ。と言っても、大神が君たちを庇護していたのも、純粋な善意のみからではない。あれは優れた繁殖力と成長性、強固な闘争心を有する人類ヤルダモに、いずれ宇宙全土を支配するための眷属……あるいは尖兵としての価値を見出していた」


 そこでアルヴキュリアはひとつ咳払いをした。

 少し前置きが長くなってしまったが、と付け加えて続ける。


「端的に言えば――少なくとも我々の主観上では――人類ヤルダモは既に、神々の代理戦争に身を投じた末に滅びている。推測になるが、君は……第11銀河アニマルバースが興る以前の時代、何らかの方法によって滅亡から生き延びた、宇宙最後の人類ヤルダモだ」


 ゼドゲウスの縄張りで見た"夢"が思い起こされる。

 襲い来る敵、破壊の渦。どことも知れない最果ての地に逃げ込み、そこで私は……私を逃がしてくれた、は―――――。


「しかし、君たちの主たるベルヒドゥエンは諦めていなかった。秘密裏にン・ソを手に入れ、人類ヤルダモの滅亡と共に閉ざされたタムクォイツェーンへの道を拓き……今こうして、はずの人類ヤルダモの歴史を、再開させるに至った。思うに、過去の世界からアニマルバースへと送り込まれた君の存在そのものが、ある種の"楔"として機能していたのだろう」


 その事実は、


「だが……。―――いや」


 つまり、


「故に、問おう」


 リボーヌの似姿が霧散する。

 彼の姿形を模していた『統制剣』の、本当の姿が顕れる。


「改めて。我は統制剣・アルヴキュリア」


 そらほしの狭間、虹色の星光が乱れ舞う鏡色の水面に、一本の剣が突き立っている。

 目立たないが精緻で気品ある意匠の施された柄と鍔。今は私から見て下方、夢の中の幻想の水面に向かって伸びる刃は、切っ先近くで鋭く変形し十字を象っている。


「この身は原初の一、名も故も知られぬ"始まり"の『あざらし』から造られた。なればこそ、我を手にした者は、ヤルダモが遺した最大最高の神器たる『あざらし』へのを有する」


「……!」


「主よ。我々『あざらし』は、その起源と本質からして兵器どうぐに過ぎぬのだ。敵を選ぶのは常に我々ではない───どうか、君に決めて欲しい」


 それが、私の権利と義務だ。

 新星暦からアニマルバースへ。存在しなかった過去もしもと、消し去られた未来いまを繋ぐ私だけの……いや。


「ここで我の所有者となり、全『あざらし』へを命じるか」


 アニマルバースはもはや、正常な歴史の中に存在しない。

 私の脳内に残留している記憶のみが、彼らとこの宇宙を結ぶ唯一のよすがだ。

 ここまでの話を聞いただけでもわかる。大神ベルヒドゥエンは、きっとその記憶が在ることすらも許してはくれない。

 知ってか知らずか、アルヴキュリアはその事実を口にしなかったけど、この『夢』が最後の分岐点だ。


我々の歴史アニマルバースで経験したすべてを忘れ、大神ベルヒドゥエンの庇護の下、このまま新星暦きみたちのせかいを続けるか」


 答えは、


 ……───答えは。


 簡単には、出ない。




――――――――――――――――――――――――――――――




 まぶたを閉じる。


 ここは現実との狭間で、私の夢の中でもある。

 夢の中で夢を見るなんて変な話だけど、今ならそういうことが出来そうだった。なら、やってみない理由は無い。


 落ちて、落ちて、落ちて─────。




 ───辿り着いたのは、学校アル工の屋上。


 そこには一人の少年が居た。

 白銀の髪に端正な顔立ち、年下とは言ってもやはり小柄に見える。

 彼はどこから持ち出して来たのやら、学校の机に──何とも行儀の悪いことに──座って足をぶらぶらとさせていた。


「お? や、リン」


「ミライ」


 ミライ・アルト。私の、この世界新星暦での同級生。

 ついでにたぶん───上位者たちによって人類が滅ぼされたで、最後に私を第11銀河アニマルバースへ送り込んだ張本人。


「……、……。何してんのよ、こんなとこで」


「んーん、別に。お日様が綺麗で風も気持ちいい、何もかも忘れてボーっとするには最高の日だなって」


「相変わらず呑気ね」


 私が苦笑すると、ミライもとしたような笑みを浮かべた。

 屋上の建物のへりへ向かう。転落防止用の柵に寄りかかって、彼と同じように空を見上げる。


「こんなに静かなのは久しぶり」


「そう? アル工はいつも騒がしいし、ここはいつも静かだよ。つまり何も変わったことなんて無い」


「まぁね。でも、最近色々あったから」


 色々あった。本当に。

 この世界でもあの銀河でも、1年は平等に長い。


「───ちょっと聞きたいんだけどさ」


「なに?」


「ミライは今、楽しい?」


 穏やかな微笑を怪訝な表情にして、けどすぐ穏やかな微笑に戻して、ミライは答える。


「楽しいよ。好きなことをして、大好きな友達と一緒に居られる。勉強はちょっと面倒くさいけど、これ以上幸せなことなんてない」


「そっか」


 じゃあ。


 だったら。


「……いいのかな、私」


 忘れても、いいのかな。

 まぁ確かに、あれだけ散々な目に遭ったんだ。

 全部忘れて、なかったことにして、平和な日常に戻っても許されるだろう。


は、友達なんかじゃなかった。むしろ恨む理由すらあって……そもそも、あいつの生き方を認める道理なんか、この世のどこにもありはしないっていうのはわかってる」


 けれど。


「……それだけじゃ、寂しいよ。あいつにだって、友達が───誰かを大事に思う気持ちは、あったんだから」


 変な話だ。実際、私はどこかおかしくなってしまったに違いない。

 あいつは強くて理不尽だ。その力も、精神性も、人間わたしたちの尺度で計れるものじゃない。生き物の皮を被った災害とさえ呼べるかも知れない。

 そして、他ならぬ自らの意志で、あいつは"そういうもの"で在り続けようとしている。

 何にも祈らない。誰にも縋らない。裁かれようとも救われようとも思っていない───。


「お節介、かも。ていうか絶対、要らないお節介だ。誰も、あいつ自身も、きっと望んでない……!」


 死ねば終わり、負けたらそれまで。

 あの七星の最強種たちでも、その一線だけは踏み越えられなかった。決して。


「リン」


 振り返る。

 白皙の少年が、宝石めいた真紅の瞳が、私をまっすぐに見据えている。


「リンは、どうしたいの?」


 生意気で、空気が読めなくて、自由で、そのくせ根っこの部分では案外繊細な、年下の同級生。

 もし───もしも私がしたら、君は死んじゃう。

 それどころか、今度こそ人類の滅びの歴史は確定して、永遠に取り返しがつかない。


「……。せっかく……」


 ミライは、今も柔らかく微笑んでいる。

 いつものように。あるいは泣きそうな顔で。


「せっかく、帰ってこられた、のに。みんなの生きる世界を、取り戻したのに。こんなの……こんなのって、あんまりだ」


 命の重さはどんな生き物も平等だ、と言うのなら、新星暦この世界第11銀河アニマルバースに大きな違いは無い。

 どちらを選んでも、結局は同じくらいの命と未来が消える。


「リンはさ、優しいよね」


「優しくなんか───」


『HEF決闘部』のみんなと、笑って暮らせる日々も。

 あのハチャメチャなアニマルバースで、あいつらに振り回される毎日も。


「今のリンが何を抱えてるのか、僕にはわかんないけど」


 どっちも嘘じゃない。だから嫌だ。

 選べないし、選びたくない。


「お節介でも、いいと思う。君がそうしたいと思ったなら───他の誰のためでもなく、リン自身のために」


 私は、一体どうしたい?


「私は……」


「…………うん」


「私、は」


「うん」


「……。……一発くらい、ぶん殴ってやりたい。それに、セラや坂本たちに、お別れも言えてない」


 あぁ───まったく。

 トラブル続きの予想外だらけで、何もかもメチャクチャな旅だった。


「あいつが憎い。みんなを死なせたくない。一人ぼっちは、もう嫌だ。でも」


 私はまだ、何も果たせていない。


「───このまま全部忘れちゃうのは、もっと嫌だ」


 滲む視界。袖で目元を拭って、顔を上げる。

 一瞬だけ、さっきから変わらず微笑んでいるミライの姿が見えて、消えた。

 寂しげな───けれど、それよりもずっと誇らしそうな笑顔だった。


 あいつは泣かなかった。最後まで。

 だから、私も泣かない。私たちは、まだ終わってない。

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