SIGNAL LOST

すばらしき"シン"世界

 ピピピピピピピ―――――ガチャン。




 目覚ましのベルを止めて、のっそりと身を起こす。

 部屋のカーテンを引き、射し込む太陽の光を全身で浴びる。

 休み明けで多少気が滅入る感じもするけれど、こんなに良い天気なら許容範囲内。


 身だしなみを整え、鞄も準備してリビングへ。上着はまだちょっと後でいいや。

 テーブルの上には湯気を立てるハムエッグと香ばしいトースト、それからお父さんの実家から送られてきた野菜を使ったフレッシュサラダ。ご機嫌な朝食だ。


「おはよっ」


「あら、おはようリン」


「おはよう」


 いつも通りと言えばいつも通り、何も変わったことの無い朝の光景。

 テレビからは次世代通信システム0.5Zハーフ・ゼタがどうだの、新型超光速素粒子還流発電炉がこうだの、弾道輸送マスドライバーがああだのといったニュースが流れているものの、どれもいまいち興味を引く代物ではない。こちとら年頃の女学生なのだ。


 星占いで3位の運勢だったことを確認したのと同時、牛乳を飲み干して栄養補給は完了だ。

 歯磨き、顔洗い、制服の上着を羽織って玄関へ。そこに追いついてきたお母さんからお弁当を受け取る。


「ハンカチ持った? 課題は?」


「もう、子供じゃないんだからやめてよ。大丈夫だって」


「そう? ふふ、まぁ今日から2年生だものね。わかったわ。いってらっしゃい」


「うん。いってきます!」




――――――――――――――――――――――――――――――




 新星暦0096年―――――。


 とある銀河の片隅、『チキュウ』という惑星に、『ニンゲン』と呼ばれる知的生命体の文明が興っていた。

 故郷の辺境惑星で10万年の時を刻んだ後、彼らは新たなるフロンティア、広大な外宇宙へと進出を始める。

 知性体の常として、かの文明は多くの問題を抱えていたが、それでもニンゲンたちは絶滅することなく―――。

 やがて『原チキュウ』時代の暦が廃され、『新星暦』が始まった頃、彼らは宇宙に浮かぶ人工居住地コロニーと無数の資源天体を擁する恒星間文明への発展を遂げていた。




――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――イストゥエスタン共和同盟宙域・第21コロニー『スニッチャーⅥ』

    同コロニー内・学園都市『ラディアス』


 如何にも春らしく、桜の花びらが舞う通学路を歩いていく。

 今日は春休み明けの始業式で、私―――リン・メイシアは高等部2年生に進級だ。勉強に部活にまだまだ学生真っ盛りである。


「おはようございますっ」


「あぁ、おはよう」


 顔見知りのクラスメイトや同級生にちょくちょく会釈をしながら、やってきたのは校門前。

 ―――アルフノウス工業専門学園。人類がスペースコロニーと資源天体探査の技術を確立した時代、新星暦の始まりから続く由緒正しき教育機関だ。


 始業式の話は特に面白みも無いので割愛。その後のホームルームも当たり障りの無い連絡ばかりだったので割愛。

 解散の号令が掛かる直前―――いや、そういえば、と思って周囲を見渡す。


「……やっぱり居ない」


 




――――――――――――――――――――――――――――――




 今日は午前中の始業式と明日からの予定の連絡だけで授業は無い。

 しかし、放課後も生徒はなかなか帰宅せず、さっそくサークル活動や個人的な研究――"アル工"には多数の最新鋭機械設備が存在し、申請すれば学生でも借りることが出来る――に打ち込む場合がほとんどだ。


 もちろん私もその例に漏れない。まずは部室棟を目指す。

 ガラス張りの廊下を通っていく……途中、見知った顔と鉢合わせた。


「……あ。リン先輩」


「や、ミーノ」


 猫背がちで小柄な、伸ばし放題の前髪で目元が隠れた彼女は、ミーノ・レグレス。

 中等部の頃から付き合いのある、1年下の後輩で……あぁ。ということはつまり、


「とりあえず、進級おめでと? お互いに」


「中等部まではエスカレーター式ですけどね、うち。……ありがとうございます」


 休みの間でも部活で集まっているので、積もる話なんてものは無いけれど、こうして一区切りがつくのは良いことな気がする。

 後輩の成長を勝手に感じてしんみりしていると……今度は、私たちの後ろから声が掛かった。


「ようお前ら、早いじゃねぇか。課題の補習無かったのかよ?」


 燃えるような赤毛で長身の男子生徒、ヨハン・ピルック。

 学年は私と同じ高等部2年だが、学科が違うからこうして会うのはいつも放課後。


「あるわけ無いでしょ、あんたじゃあるまいし。むしろあんたがちゃんと課題やって来てたって方が意外よ」


「失敬な、俺ァやる時はやる男だぜ! 結果が伴わないこともあるだけで」


「要は今回も、あくまでギリギリセーフだったんですね……」


「歴史的逆転勝利と言ってくれ」


「はいはい」


 下らないことを言い合いながら、部室へ向かう。

 この手の悩みとは無縁そうな男―――我らが『HEF決闘部』のエースの下へ。




――――――――――――――――――――――――――――――




 新星暦の現代では、『HEF』という工業用重機が普及している。

 呼び名はそのまま『汎人体拡張機構Human Expansion Frame』の略称で、真空の宇宙の厳しい環境に適応するための外宇宙用作業服から発展した技術だ。その姿形・定義は様々だが、要するに人工筋力補助装備パワードスーツ強化外骨格エグゾスケルトンの進化系にあたる。


 嘆かわしいことに、人類はまだ数多くの断絶を抱えている。

 新星暦初期、宇宙開拓という"共通の課題てき"が居る内は比較的平和だったようだけれど―――増える総人口と広がる版図の均衡が成った時、それまで棚上げされていた色んな問題が噴出した。

 政治、経済、民族、思想、あらゆる対立。つまりは戦争。

 今から30年ほど前、新星暦0060年代は戦乱の時代だったという。


 そんな激動の時代の最中、HEFのマニュピレータにもまた、工具ではなく武器が握られた。

 来たる宇宙時代に向けて大量に増産され、あらゆる宙域への普及を果たしていたHEFは―――多種多様で、安価で、誰にでも簡単に扱える新世代の兵器として急速に発展する。

 それ単体の戦力では純軍事的に効率化された戦車や戦闘機には及ばないものの、『使』という性質ひとつで、HEFは新星暦の戦場の主役となったのだ。


 やがて膨大な流血の後、人類世界は一応の平和を得る。

 そこにどんな偉人同士のドラマや大国間の取引があったかは歴史書に譲るとして、とにもかくにも人類には、そんな壮大な自殺劇を止められる程度の理性が残っていた。


 そして―――HEFが人殺しの兵器であったのは既に過去の話だけれど、そのすべてが単なる作業用機械に戻ったかと言われれば、決してそうではない。




――――――――――――――――――――――――――――――




 アル工にはいくつもの学科がある。

 私が電気工学科で、ミーノは情報工学科、ヨハンは宇宙建築科。他にも『工業』という単語に縁のありそうな分野なら何でも。

 もちろん、HEFにまつわる学問も取り扱っている。わけても人気なのは、HEFを動かすパイロットを養成する課程―――操縦士訓練科だ。


「ふん、ふん、ふーん。ふんっ、ふふ……♪」


 当代のアルフノウス工業専門学園・操縦士訓練科には、ひとりの天才が在籍している。

 旧式HEFのコックピット・ブロックの設計を流用した体感型VRゲーム、すなわちe-スポーツの世界からされた不世出の麒麟児。

 30年前の大戦時代、技術士官として戦場に赴いた経験も持つ学園長フェニキア・ピルックが見初め、特待生と呼ぶのも憚られる破格の条件で入学したシンデレラ・ボーイ。


「っし……! これで100体、目―――のわあぁあぁぁ!?」


「はいご苦労様」


 雪原めいた白銀の髪、赤みがかったピンク色の瞳。少女と見紛うような端正な顔立ちと華奢な肢体に、何百年も前の王侯貴族の軍服を真似たという改造制服。

 部室に鎮座する球形のVRシミュレータ・ポッドから転がり出てきた彼こそ、この『HEF決闘部』最強のエース―――ミライ・アルト。


「何するんだよリン! せっかくの連勝記録が台無しじゃんか!」


「どうせオートセーブでしょ? 明日またやり直せばいいじゃない」


「そういう問題じゃなーいー!」


 ……まぁ、実態はこの通りただのクソガキだが。


「ほー、ルシオニアの『黒死猟犬ブラック・ハウンズ』の再現データか。大戦じゃ"死神"と恐れられた特殊部隊も、我らがエースの前には形無しってわけだ」


「春休み丸々使って仕上げてたんだよぅ。もうすぐ100連勝の最速記録更新だったのに!」


「ミライ先輩、2ヶ月前も同じことしてませんでしたか?」


「あれは24時間耐久の最多撃破数記録だから話が別」


 余談だけれど、ミライは飛び級の特待生であり、この中で一番年下だ。

 が、学年としては私と同じ高等部2年生だから、ミーノは律儀にも『先輩』と呼んでいる。一応、誰に対しても丁寧語なのは素の性格っぽい。


「何でもいいけど、実機はもう少し丁寧に扱ってよね。整備するの私たちなんだから」


 ―――新星暦0096年、このイストゥエスタン共和同盟宙域においては、HEFを用いた仮想戦闘競技『エクスヒューマ・バトルアーツ』が隆盛を極めている。

 一口にHEFの操縦士パイロットと言っても幅広いが、ミライ少年はバトルアーツのプロ選手を目指して日々研鑽を積み重ねていた。私たちはその補佐役で、彼の駆るバトルアーツ用HEFの整備と改修を担当する。

『HEF決闘部』はそんな総勢4名の小さな部活……というか、ミライがこの通りの性格なので、アル工うち本来の学生チーム『バイソン=アルファ・ケンタウリ』に馴染めなかったがために、フェニキア学長がピルック家三男坊のヨハンを捕まえて作らせたのが事の始まりだ。実は部名も(長いこと)仮のものだったりする。


「んー。確かに、シミュレータに籠り切りで実機はあんまり触ってなかったもんなぁ。けど牛さん『バイソン』の人たち、僕との模擬戦ぜんぜん受けてくれないし……」


「はははっ!! ありゃ傑作だったぜ、電磁拘束弾スタン・バレット使用のルールで特攻かましてタコ殴りなんぞやったら、お相手にとっちゃトラウマもんだろーよ!」


「おかげで向こうの整備班にも先生方にもめちゃくちゃ怒られたけどね……!」


「まぁまぁ、あのおかげで小さい嫌がらせも止んだことですし。悪いことばかりじゃなかったですよ」




 やいのやいのと言い合いながら、今日も時間は過ぎていく。

 何てことの無い当たり前の日常。ここが私の居場所。

 将来のことには不安も多いけれど、きっとみんなが居れば大丈夫。

 明日も、1年後も、10年後も、その先も―――みんなと一緒なら、きっと。




――――――――――――――――――――――――――――――




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