星斬、阿修羅神刀斎

盟友よ、朋友よ!/曇りなき宿業の剣 その1

「第一次暗殺作戦は失敗。反社会組織『ボンゴマ・ファミリー』及びその首魁、アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフにダメージを与えるには至らなかった」


 ―――アンプレキオノ星系δ星『ロウムフラッド』。

 ライオン王国首都は王都レグルサルバ、ライオン族王家の住処にして中央政務省庁、レグルサルバ宮殿にて。


「だが、此度の威力偵察においてわかったこともある」


 平時の政に用いられる広大な議事堂ではない。国賓を迎え、内密の相談と取引を行う最上級の応接間こそが会談の舞台である。

 恐らくはアニマルバースの未来を決する、この大いなる対話の。


「朗報と言うべきか否か……現在、あざらしどもの母星であるガレオルニス星系γ星『ジア・ウルテ』には、しかし奴らのほとんどが留まっていない」


 今回、"協定"の成立に伴い、談話の場を設けるにあたって特別に用立てられた円卓に座するは、選ばれし5匹のけもの。

 そのいずれもが第11銀河の頂点に君臨する『最強種』と呼ばれる、歴戦の猛者たちである。


「調査通りか。母星という呼び方ももはや適切ではないだろう。奴らは惑星上の文明と種族を滅ぼしては喰らい、そこを足掛かりとして次の標的へと飛び立つ蝗の群れ、あるいは守るべき家畜も持たず略奪のみで生きる破滅的遊牧民族だ。このアニマルバース全土が奴らあざらしの狩場というわけだな。骨も残さず食い荒らした後の死骸を気にするハイエナは居ない」


 茶と白が入り混じった独特なクリーム色の毛並みを持つ、大柄な熊の青年が滔々と語る。豪胆という語がこれ以上似合う者も居ない風貌だが、その目には高い知性を窺わせる鋭利な光が宿っていた。

 ―――シロクマ=シャチ連邦共和国・宇宙航空軍ガレオルニス星系方面総督、"壊乱"のグリス・ナヌラーク・ポラベラム。


「概ね同意見です。現在はケルメェス星系を前線拠点として、アンプレキオノ、シャンデュリオン、シェキオナーなど各方面へ散発的な襲撃を繰り返しています。彼らは今度こそ、アニマルバースからあらゆる生命体を駆逐するつもりでいるものかと」


 そう慇懃に告げるウサギは、純白に青い水晶を溶かして塗り込んだかのような、不可思議な色合いと質感の全身鎧を纏っていた。短めの耳はしな垂れており、一見すると白い毛皮は、しかし光の加減によっては尋常に有り得ざる青藍の色彩を覗かせる。

 ―――大ウサギ民国・近衛騎士団第一遊撃部隊筆頭騎士、"静謐"のジャーリス・アバウォッキ公爵。


「もはや外敵というより、天災の類か。いや、意志持つ嵐など、何かに喩えるのも的外れだな。我々は全く新しく、そして恐ろしい脅威に直面している」


 黄、黒、白の斑に艶めく体躯に、燃え盛る炎の如き鬣を有するライオン―――否、複数の大型ネコ科肉食獣の特徴を備えた、堂々たる風格のけものが静かに言った。万事に臨んでは決して油断も慢心も無い。如何なる希望的憶測も切り捨てて、最優の王は世界を見据える。

 ―――ライオン王国・第500代百獣皇帝、"覇界"のライガード・レオポーン=レグルサルバ。


「だが。我々とて、既に先日までの我々ではない。そうだろう?」


「無論です、ライガード陛下。我ら五輪協定……ライオン、ウサギ、シロクマ、シャチ。そして3柱の古き王たち。この5つの力を束ねてあざらしを討ち、アニマルバースに平穏を齎すことこそ我らが使命」


「大神ベルヒドゥエンも見ておられるでしょう。して……次なる一手はどうされるつもりか? ライガード陛下」


 グリスが切り出し、ライガードが頷く。

 彼ら五輪協定に参じた国家の実力はいずれも拮抗しているが、やはり最も長い伝統と強固な権威を持つのはライオン王国である。ましてや実際に政務、軍務の経験も十全に備えているとなれば、ライガードが中心的立場に落ち着くのも道理であった。

 あらゆるイデオロギーを今は封じ、真に能力ある者に適正な権限を託すこと。この場にある誰にとっても決して容易い選択ではなかった。あざらしの脅威とは、それほどまでに切迫したものであったのだ。


「あぁ、これより、本格的に対あざらし攻勢に向けて動き出す。第二次強襲計画についてだが―――」


「陛下。大変失礼ながら、発言をお許し頂きたく存じまする」


 会議の最初に各々簡単な挨拶を済ませて以来、ほとんど沈黙してきた男が口を開いた。他3名の視線が集まる。

 左目に大きな傷のあるシャチの偉丈夫だ。リュウグウノツカイもかくや、といった風情の長い口髭と顎髭をたくわえる姿は老爺のそれだが、引き締まった身体より横溢する生気は10代のスポーツ選手にも優るだろう。


「よい。発言を許す」


「は。ありがたく存じます」


 短く言って跪く。名目上は対等の五輪協定の面子にあって尚、そのシャチはあくまで謙っていた。グリスはそんな彼を見て小さく鼻を鳴らしたが、ライガードの耳がぴくりと動いた途端に居住まいを正す。

 尤も、ライガードの顔色など窺うまでも無く、並大抵のけものは彼の前で偉そうにふんぞり返っていることは出来ないだろう。その老シャチの腰には、秀麗な紅葉の拵えの鞘に収まっていてなお物々しい気配を撒き散らす、一振りの太刀が佩かれているのだから。

 ―――シロクマ=シャチ連邦共和国・陸軍省戦術機動騎兵師団「義鯱衆」総帥、"星斬"の阿修羅神刀斎鯱光。


「此度の戦におきましては、一番槍の誉れをこの神刀斎と義鯱衆にお譲り願いたく」


「ほう」


 ライガードの目が細められる。そこには跪きつつもしっかと顔を上げ、獅子王を見据える剣聖の姿がある。まさしく抜身の刃のような、冷たく、鋭く、己が掲げる義と剣の道に対してどこまでも純粋で真摯な瞳。


「確かに、先刻の威力偵察で暴けたのはあざらしどもの所在のみであった。アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフの個体性能と、ボンゴマ・ファミリーの真なる戦力に関して新たな事実は見つけられなかったと言ってもいい。余も更なる調査の必要は感じていた」


 しかし、とライガードは続ける。神刀斎と交わす視線は厳しく、故に両者の間に遠慮は無い。


「けしてそなたの剣とそなたの育てた侍たちを侮るわけではない。ないが、五輪協定の一角を捨て鉢にして様子見を決め込むような真似をすることは許されん。我らは勝利せねばならないのだ、あのおぞましき悪夢の軍勢に対して。その在り様は誇り高くなくてはならぬ。この場に集った誰も欠けることなく、一匹でも多くの兵士を連れ立って凱旋する。これが我らの使命だ」


 そう。五輪協定は単なるあざらし討滅にあたっての相互補助の条約ではない。

 あざらしに蹂躙され尽くし、あらゆる種類の秩序と尊厳を奪われた第11銀河アニマルバースの、新たな希望となる約定なのだ。


「委細、承知」


「うむ。助かる。では」


「しかし、畏れながら」


 神刀斎が二の句を継いだ刹那、ジャーリスは思わず腰の宝剣の柄に手を添えていた。

 ライガードが語った理想に反論の余地など無い。それは五輪協定の旗の下に集うこの場の誰もが、神刀斎自身ですら認めていることだ。

 ―――そんな事実を撥ね退けるだけの、何かがあった。それほどの衝撃だ。それほどの圧力を生じたのだ、この老シャチが胸に秘めた思いが。


「五輪協定に与する者は誇り高く在るべし。なればこそに御座いまする、ライガード陛下」


「……どういう意味か?」


 獅子王にかしずく剣聖。その構図は先刻から一度も動いていない。

 剣聖の言葉を聞く獅子王。その声色は、最早この円卓決議の席を統括するだけの説得力を伴ってはいない。


「我ら義鯱衆……否、シャチ氏族一同。先の戦役では無様を晒し、あざらしどもの魔手にて族滅の憂き目を免れ得ぬものと思っておりました。しかし、我らは生き残った。他ならぬシロクマ連邦の御方々、そしてこの場に集う五輪協定の同盟者が皆様。そのお慈悲により、こうしてここに参ずることを許して頂きました。故に我らは奮い起つのです、今こそこの御恩に報いる時だと」


 阿修羅神刀斎の二つ名を轟かす以前、軍集団の長として規律を司る以前の鯱光を知るライガードも、これほどまでに熱の籠った彼の声を聞いたことは無かった。いわんや、外交上の付き合いこそあれど、この寡黙で偏屈な老シャチと必要以上に話すことを避けてきた残る2名もだ。


「誇り高く在れ、誇りを持って戦えと仰られるのであれば、同胞はらからの屍を背に逃げ出し、畳の上で安穏に過ごすことこそ武士の名折れ。どうか、戦場いくさばにて血風と散る愚をお許し下さい。この屈辱に身を浴したまま、生き恥を晒し続けることは―――志に殉じた者らへ、胸を張って生き様を示せぬようであれば、生きながらにして死ぬるも同然に御座います」


 この円卓の間に窓は最低限しか無く、それも今は全てが閉じられている。

 故に、阿修羅神刀斎鯱光が纏う羽織袴の裾を揺らすものなど、吹き込みようがない。だからこそ気のせいなどではないのだ。

 剣聖の座す周囲の空間を歪ませ、光を捻じ曲げて揺蕩う気迫の刃は、既に獅子王と荒熊、薔薇騎士の喉笛に突きつけられている。たとえ抜刀すらしておらずとも、神刀斎ならば―――――。




 否は無かった。二度目の円卓決議は、こうして厳かに幕を閉じた。




 ――――――――――――――――――――――――――――――




 冷。

 濡。

 ―――暗、否、光。


 獣臭。血の匂い。古いものと新しいものが混ざる。


「…………、ぁ、っ……」


 痛痒、疲労、ひどい空腹。喉が渇いて呻き声すらまともに出ない。

 手足は拘束されている。椅子に座らされて、縛られて……頭から水をかけられて、いま覚醒した。

 服はボロボロ。だが、目に見える外傷は驚くほど少ない。生気を失って青白い肌に大小の擦り傷が無数にある程度のことは、この銀河では外傷とは呼ばない。

 視界が揺れている。襤褸になった服が水に濡れ、地肌に張り付いて大層不快だ。気分は最悪だが、そんなことを考えられるくらいには正気だった。


「あ、起きた」


 甘ったるい声。男児か女児かも区別のつかない、言葉を覚えたての幼子のような。

 高音でキンキンする……という調子でもないけれど、どうも耳に障る。


「よかったぁ。死んじゃったかと思ったよ」


 嗤う何者かの方に目を向ける。獣人にしては小さい影は、よく見れば宙に浮いている。

 力なく垂れた前髪の隙間から見渡す限り、その小さく宙に浮いた影の他にも、似たような大きさの動物が何匹か部屋の中に居るようだ。


「騒ぎを聞いて駆けつけてみれば、医者の真似事をやらされるとはな。全く、自分はともかく他人の怪我を治すのは専門外なんだが」


「うんうん。ピヨ、ありがとうね。ご苦労様」


「ぼくはー?」


「坂本は今回マジで何もしてないけど駆けつけて来てくれたことはありがとう」


 私の正面に居るそいつは、白く、丸く、ヒレのようなものを持つ動物だった―――その姿を目にした者は、今やそう多く生き残ってはいないだろう。

 それでも、この第11銀河に住まうならば、知らぬ者は居ないし無関係でもいられない。


「やぁおはよう。改めて挨拶した方がいい? 僕は、ごま」


 ―――――アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフ。

 絶対の一。八番目の最強種。あざらし。あのあざらし。白き王ホワイト。知られべからざる霊長。悪夢。紅蓮。おぞましきもの。銀嶺の死神。禍つ神ウェンカムイ。ふわふわ。メープル・ハニー・クッキー。

 どう呼んでも構わないが、とにかくそういう生き物。いずれの異名も誇張ではなく、いまアニマルバースで最も恐れられる個人と言って差し支えない。

 見た目こそ想像していたよりずっと可愛らしいが、あの潰れたマシュマロみたいなヒレで上位者ハイパービーイングすらくびり殺したと聞けば姿形など関係は無い。

 何より、敵対していた人間を拉致して椅子に縛りつけ、仲間を伴って囲んでいるともなればその性根は窺えるというものだ。


「ごめんねぇ、腕の良い尋問業者カウンセラーだって聞いてたんだけどね。君が珍しいけものだから、ついついどこまでやったら壊れるか実験したくなっちゃったみたい。今はもうそこで床とキッスしてるから安心してよ」


 ……ゴマ=ゴマフの台詞を本気で受け取った訳ではなかったものの、頭と視線を上げ続ける体力も最早なく、首の方が勝手にかくついて目を伏せた。

 彼が指し示す床の辺りには、血痕しか見当たらない。乱雑に丸められた肉の破片が、部屋の隅の方に落ちている気がした。


「あ、喉渇いちゃって声出ないのかな? いっぱい叫んでたもんね、しょうがないね。ヘイ兄弟ブロス、お嬢様にお飲み物を。さっき使った水道水はダメだぞぉ」


 しな垂れていた私の頭を無理やり上げ、固定する手があった。

 ここに居るゴマ=ゴマフの仲間の内では、唯一の獣人のようだった。といってもアニマルバースに特に多い哺乳類ではなく、緑色のざらついた皮膚を持つカメレオンだ。爬虫類や昆虫の獣人が比較的珍しいのもあるが、初めて見た。

 カメレオンが口元から長い舌を覗かせる。私だけに聞こえるような小さい、ねっとりとした低い声が耳朶を打つ。


「大人しく従っておいた方が身のためです。さっきまでのあなたは如何なる残虐な仕打ちを受けようと、気丈にも決して口を割りませんでした。次は直接脳を取り出されますよ……そうなれば助からない。あなたの頭の中の情報も、あなたの命も」


 半ば突き込むようにして差し出されたストローを、私は……。……仕方なく、咥えた。

 シェイカーの中身を、少しずつ啜る。塩味、のはずだ。だが辛くない。私の感覚の方が異常になっているだけだ。それはいわゆる経口補水液の類だった。


「……ん、く、んくっ……ぷは」


「えぇやん。サルの割にはすべすべしてて変なけものだと思ってたけど、こうやって大人しくしてるとかわいいね。まぁ僕ほどじゃないけど! 僕ほどじゃないけど!」


 どっ、と笑いが起こった。

 私の眼下には、恐らくゴマ=ゴマフらの手によって「床とキッスした」尋問業者だったものが散乱している。こんな酸鼻極まる光景の中で起こっていい笑いではない。


「……ぃ、ぁ」


「ん? なんて?」


 何か一言言ってやろうと思って―――自分の喉は、満足に動いてくれなかった。

 そりゃあそうか。経緯は不明だけれど、さっきまで気を失うほどの拷問を受けていた人間の身体と精神が、そう短時間で回復するわけもない。


「……ぁ……! がほっ、けほっ!」


「おおう無理しないでハニー、大丈夫? あざらしもふる?」


「……! ……、っ! ……べ、つ……に、いい」


「ンーフーン? ざんねーん」


 私の頭の周りをふわふわと浮遊しながら周る動きはどうも鼻についたが、手足を縛られていては拳骨ひとつお見舞いできないので口惜しい。

 尤も私如きがゴマ=ゴマフを相手にしても、喧嘩になるどころか、一瞬でも触れることも外敵として認識されることすら難しいだろう。


「わ……わ、たしを、強請ゆすっても、何も……出てこない、よ」


「そうなの」


五輪ウールン……と、は……仕事だけの、関係。リボーヌと同じで―――」


 嗚呼。

 ……何てことだ。どうして今まで忘れていたんだ。


「ねぇ……リボーヌ……そうだ、リボーヌ、彼はどうなったの!?」


 覚醒してもなお曖昧だった意識が急速に復旧する。

 リボーヌ。リボーヌ・J・ケイオス。ジャッカルの彼。

 ある日、アニマルバースで目覚めた私が最初に出会った獣人。後に共に仕事をする仲になった相棒で、私をよく助けてくれた恩人。

 リボーヌは私の存在を、協働していた五輪ウールンやその傭兵には隠していたはずだ。彼が私を売るなどとは思いたくない――薬物でも外科手術でも、生き物の正気を失わせる方法なんぞこのアニマルバースにはいくらでも転がっていることを差し引いても――けれど、私が囚われているということはつまり、


やっこさんなら死んだよ。勇敢なジャッカルだった……君みたいな隠し玉の存在なんて匂わせもせず、よく使い込まれた拳銃ひとつで僕に立ち向かって来た。君が捕らえられているのは彼の責任じゃあなくて、僕らがあの瓦礫の中を虱潰しにした成果さ。それ以上でもそれ以下でもない」


 今度こそ―――視界が、眩んだ。


「…………。……、リボーヌ」


 死んだ。リボーヌが。ただ一人、いやただ一匹の友達だった。

 私は、立ち戻ったのだ。豊かな自然と雄大な生態系に満ち溢れたこの銀河で、天涯孤独の異邦人に。

 涙が溢れてきた。悲しみ、怒り、悔しさ、寂しさ。1リットルにも満たない生理食塩水に込めるには、いささか重たすぎる感情だ。

 それでも……散っていったリボーヌの魂に報いる方法を、今の私は泣くこと以外に持ち合わせていなかった。


「―――――あのさ」


 空気が冷えた。

 そう考えるしかないような衝撃だった。いや、その衝撃すら、その瞬間感じた何もかもは錯覚で、物理的な現象は何一つ起こっていない。にも関わらず。


「感傷に浸るなら後にしてくれよ。君は僕と話してるんだぞ。このアリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフとだ。なら僕以外のけものになんぞ目を向けてくれるな」


 ついに耐えられなくなって、私はその汚い鰭脚類を睨みつけた。

 人形めいて光の薄い、小さな双眸。だがそこに存在する感情は明らかだ。飽き、侮蔑、苛立ち……。


「たとえ記憶が戻ったって、あんたと話すことなんて何もないわよッ!! リボーヌを殺した奴と話すことなんて!!」


「えっ自分いまなんてゆったん?」


「話すことなんてないって言ったの! リボーヌは私の、私のっ……!」


「いやそこじゃなくて。もう少し前かなー、ほら、記憶がどうとか……」


「だからっ、それは記憶が……戻っ……て……」


 声と同時に、マグマの如く噴き上がっていたはずの怒りも少しずつ萎んでいった。

 ―――別段隠していた話ではない。けれど何だか、今ここでこいつらにそれを知られることは、とても嫌な気分で。


「記憶喪失かぁ。そりゃ何も知らないわけだよね」


「……!! ~~~~~ッ!!」


 そう―――――尋問なんて何一つ意味が無い。

 直近に受けた仕事の話ならばともかく、私には語れる過去や背景が無いのだ。


「残念です。私の知らないけものだったので、出来れば色々と実験し……ゴホン、じっくりお聞きしたいことがたくさんあったのですが」


 ……色々と冷静になってしまえば、鮮明になった意識は多くの情報を捉えていた。

 いま居る部屋には、窓が無いが照明はある。地下室かそれなりに厳重に隔離された部屋だろう。

 私を取り囲む動物たちは、ゴマ=ゴマフとカメレオン男を除いて2匹。


「あ、それ俺も気になってた。サルっぽいがサルの仲間じゃあないんだろ?」


 ペンキで適当に描いたような、頭部に張り付いたような質感の目を持つ鳥。

 種類を指定せず『鳥』としたのは、ただ『鳥』としか言いようのない外観であったからだ。体色ないし毛色は鮮度の高いオレンジで、嘴は黄色く、木の枝みたいな灰色の細い足をしている。それだけ。

 それ以上の特徴は何度瞬きしても見出せず、故に強いて形容するならば『"鳥"と言われて多くの人がイメージする最大公約数的な姿の鳥』といった塩梅の動物だった。


「じゃあサカモトのなかまか?」


「四つ足で二足歩行って部分しか合ってないんじゃないかな」


 再びどっと笑いが起こり、その中心で照れくさそうに頭を掻いているのは……これまた、他の3匹と比べてもさらに奇異な、動物……? だ。

 小さめの――ゴマ=ゴマフより少し大きく、カメレオン男が抱けば余裕で前で手が組めるくらい――、薄黄色の、無地のバランスボールに、マジックで線を引いただけみたいな目と口がある。側面と下部からは都合2対の計4つ、電線を何本か束ねればこう見えるだろうといった具合の、黒い棒。棒とはいうがそれこそケーブルのように柔軟性があって、恐らく手足だ。

 正直なところ『二足歩行である』という点だけで私と一緒にしないで欲しい。言動は胡乱でやや舌っ足らずで……とにかく、全体的に小学生の落書きめいた謎の生命体だった。

 よくわからないがとりあえず、名前は『坂本』というらしい。


「うーん。これはもう"図書館"に行かないとわからないかも……」


「……図書館?」


「このながれ、もとねただともうちょっとひっぱってなかった?」


「坂本の言っている意味はわかりませんが……。確かに、私たちが把握していないけものとなると、後はで調べる他ないかも知れませんねぇ」


 "図書館"。

 引っかかる単語だった。ゴマ=ゴマフとその配下がこうも真剣に口にするのだから、ただの"図書館"でないことは自明だろう。何か別の施設の隠語であるに違いなかった。


「おいおい、冗談だろ? あれの探索は割に合わねぇって話になってたじゃねぇか。本当に今の段階で最強種の首を取りに行くのか」


「どのみち僕は狙われているからね。向こうからやって来てくれるんなら、手間が省けてちょうどいい」


「伝説の『七星神器セブンス・クェイサー』―――ですか。私としては願ったりといったところですが、本当によろしいので?」


「何度も言わせるなよ。七星の最強種だって? ハ、僕の方が強いし可愛いしもふもふに決まっている」


 なんだかものすごい次元で話が進んでいる。『最強種』の単語が出た辺りで私の頭は思考を放棄しかけていたが、そういえば今は敵地で拘束されて尋問を受けているのだという事実を想い出した。気は抜けない。

 えぇと……じゃあひとまず、彼らが話しているのは……"図書館"とやらに向かうために、かの最強種たちの打倒が必須ってことだろうか?


「……よく知らなさそうだから教えてあげるね。アニマルバースを支配する『七星の最強種』は、それぞれ『七星神器セブンス・クェイサー』っていうお宝を持ってるんだ。というより、これらを手に入れたけものが『最強種』って呼ばれるようになるわけ」


「アニマルバースの始祖にして最初の絶滅種『ヤルダモ』によって宇宙全土から蒐集された宝物、あるいはヤルダモ自身の手で創造された発明品などの中でも、特に強力で価値がある7つの遺産レガシーのことですね。正確に言えば、そうした『神器』とされるべきアイテムは10種が存在し、うち3つは既にこのジア・ウルテに所蔵されています。何せ元々はヤルダモの所有物だったのですから――彼らの居住地であった『アル・アザ=ウンシェム』を除けば――最も重要な拠点であるジア・ウルテにあってもおかしくはないでしょう」


「いま七星神器セブンス・クェイサーって呼ばれてるものはどれも、ヤルダモの滅亡後に持ち出された……悪く言えば盗品なんだってな。滅んだ種族の遺産をどうこうして悪いとは俺は思わねぇがよ」


「? じんぎ? おたから? りんごあめある?」


「りんご飴はない。大抵は武器か、武器に転用できる何かしらかな。で、さっきウーノ……そこのカメレオンが言った、ヤルダモの住処だった惑星アル・アザ=ウンシェムには当然、彼らの遺跡が残っているんだけれども。こいつが少々厄介な性質たちをしててさ」


 ……なるほど。少しずつ見えてきたぞ。


「ヤルダモの……今のアニマルバースの原型を形作った、滅びた古代種族の遺跡に行くためには……七星神器セブンス・クェイサーを集める必要がある」


「そういうこと。アル・アザ=ウンシェム自体はジア・ウルテと同じガレオルニス星系にあるんだが、そういった事情もあって僕らにも手が出せなかった」


 自分でそこまで言って、返事をされて、私は反射的に顔を反らした。

 リボーヌを殺した奴らと、額を突き合わせて相談事なんてどうかしてる。しかもこいつらはついさっきまで、業者まで雇って私を拷問していたそうじゃないか。ショックで気絶したから前後の記憶は不明瞭だけれど。

 何にせよ、そんな奴らと協力するなんて。


「しかし、だ。こんな状況になってしまったのなら話は別だ。最強種を討って神器を奪い……ヤルダモの遺跡に辿り着く。彼らの足跡には不明瞭な点が多く、遺された叡智の大半も未だ解析不能ブラックボックスのままだ。だから、アル・アザ=ウンシェムのデータベースに辿り着ければ、もしかしたら君のこともわかるかも知れない」


 有り得ない……ことだ。悩むまでも無い。そうするのが正しい。

 この気持ちを認めてしまったら、それでは、リボーヌを殺したこいつらと同じになってしまう。自分の欲望のために他人を踏み躙って憚らない、こいつらと同じ。


「―――ふふ。良い目になったね。生きている目だ」


 ゴマ=ゴマフが目配せすると、取り巻きたちの顔つきが変わった。

 表情は、揃いも揃って腹の底の読めぬ微笑。……ゴマ=ゴマフは『あざらし』という種族の形質上、口腔にあたる部分は存在せず、また坂本は最初からずっと、大きく口を開けて呆けたような笑顔を浮かべていたが。

 絶対の一、白き王が私に迫る。宇宙の深淵の暗黒を凝縮したかの如き極黒の瞳が、私の眼窩を通して脳髄の奥底までも暴かんと、突き刺すような視線を寄越してくる。


「それではようこそ、ボンゴマ・ファミリーへ。今日この時、僕らに楯突いた君は実に愚かしく、そして幸運だ。まさにあざらしの奇跡、ヤルダモの叡智だけが―――君を真実に導くだろう」


 …………最悪だ、と思った。

 理性は言う、常識は言う、良心は言う。あれの台詞に耳を貸してはいけない、と。決して頷いてはいけない、と。

 そういった観念すべてを叩き伏せる、甘美で蠱惑的で暴力的な響きが、私の心を支配していく。


「忘れているなら答えなくてもいいが、あえて問おう。君の名は?」


 刹那、何度目かの戦慄。―――このあざらしは、どこまで見抜いているのだろう。

 あぁ。恐ろしい、なぜ? どうしてそれを知っているんだ、こいつは。

 それは……名前それは、何も持たぬままこの銀河に放り出された私が、記憶なのだから。


「……、リン。それ以外は覚えてない。だから今は、ただのリンよ」


 薄暗い地下室で、みたび悪魔の群れが笑った。

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