王冠に花束を、天使にラプソディを その2

 すべての始まりとなったあの日のゴマトピアで、超高層ビルが横倒しとなって襲い来る光景を目にした。

 あの時の私は、リボーヌがゴマトピアでの拠点にしていたホテルの一室に居た。護身用のハンドガンだけを懐に突っ込み、ありったけのタオルやベッドシーツにくるまって、浴室のバスタブに身を潜めていた。

 おかげでその後の大破壊に巻き込まれてもどうにか一命は取り留めたが、瓦礫から這い出して力尽きたところでボンゴマ・ファミリーに捕まって今に至る。


 では、現在、私の眼前で繰り広げられている出来事はどうか。

 超高層ビル並みかそれ以上のスケールを誇る巨体が、重力加速度に従った自由落下の比ではない、ロケットブースターで撃ち出されたかのようなスピードで薙ぎ払われる。

 体長と移動距離から算出される平均速度は優に秒速300mを超え、尾などの末端部に至っては音速を軽々と突破して光速の1万分の1にまで達し、大気との摩擦熱が炎の波と化して一帯を地獄に変える。

 私たちが乗るS.D.ロンリネスもこれまでにない全速力で戦域からの離脱を図っているが、まるで安心できる状況ではなかった。ゴマの妨害で威力を削がれていたとはいえ、あの奏星弓セニキス=ミラオリスの一射にすら耐え抜いた改造クラシックカーの装甲が、火花を散らしながら歪みを大きくしていく。


「ゴマアアアァァァァァ!!」


「OOoooooooAAaaaaaaaaaAAAaaaaa!!」


 端的に言って、陸王ゼドゲウスの強さは異常だった。

 全長約600m、頭頂高並びに胴直径約180m、推定体重600万t以上。規格外の巨躯はただ駆動させるだけでも膨大なエネルギーを必要とし、そしてそれに準じたパワーの存在を保証する。

 また、これほどの巨体に成長して尚、ゼドゲウスはイグノゲウスの特徴である高い敏捷性を失っておらず、桁外れの筋力とが鈍重の2文字とはまるで無縁の動作を可能としていた。


「計器類が悉くイカレてやがりますねぇ! 電波レーダーはさておき、重力子モニターまで!? ハハハハハハッ!! あの図体であの挙動、単に筋力だけで実現しているとは思っていませんでしたが―――恐るべきは陸王ゼドゲウス!! 魔法で重力と慣性を捻じ曲げて……いや、を小刻みに改変しているのか!」


「くうかっ……はぁ!? 何よそれ!? う、宇宙船に使われてるワープ航法ですら、まだ発展途上の技術だって聞いたけど……!」


「ゼドゲウスにまつわる古い伝説によれば、アニマルバースに存在するすべての陸地はあいつの支配下にあるそうだ。"陸王"であるゼドゲウスが居る場所、望んで現れる場所、そして王の威光が届くすべての場所が逆説的に『陸』になる……この銀河のどこに逃げたって、あいつのフィールドに引き摺り込まれるってわけだな!」


「無茶苦茶じゃないそんなのーっ!!」


 単体戦力においてアニマルバース最強―――その看板に、一切の欺瞞も誇張もない。戦いの神が行うすべての攻撃は、災害と化して世界に降り注ぐ。

 ゴマは防戦一方だ。時たまヒレでゼドゲウスの甲殻を打ち据えているようだが、無双の陸王は蚊に刺されたほどの痛痒も感じていないようだった。

 尤も、アレと仮にも戦闘の形式を取り繕えている時点で、歴史に残る偉業を達成していることに疑いはない。


「こなくそぁア……!」


 低く唸ったゴマの全身が一瞬の閃光に包まれる。

 次に目をやった時、ゴマは地上100mほどの位置にまで飛び上がっていた。あの速度、重力歪曲による飛翔や魔力のジェット噴射ではない。まさに瞬間移動―――原理は判然としないが、恐らく一種の空間転移テレポーテーションだ。

 100m程度の高さなどゼドゲウスが鎌首をもたげただけで届いてしまう距離だが、その隙とさえ言えないわずかな時間が重要だった。ゴマがゴマフライザーを構える。


〈Standby. GOMA,SHACHIMITSU,GREASE―――Combination!〉


「唸れ白波ッ、北海の鼬風―――!」


〈Get Ready?〉


「ゴマモルフォーゼ!!」


 猛吹雪が去来する。それを纏ったゴマは、極低温の結晶体へと変じ、


〈Gomaph-Lize!! A ferocious maelstrom slashes through the ocean! PRIMITIVE PALE!!〉


 コンビネーション・ゴマフライズ『プリミティブ・ペイル』。

 シャチとシロクマのパワーを宿した、氷海を支配する凶悪無比の渦潮。零子刀『ヤルルカーン』と奏星弓『セニキス=ミラオリス』の力を備えた武神の姿だ。


「修羅の魔剣よ、光の神弓よ! 並みの敵なら食い飽きただろうが、竜殺しドラゴンスレイヤーの栄誉とあらば……どうだ!!」


 中空でヤルルカーンを振り被ったゴマの背後に、無数の燃え盛る矢が形成される。グリス戦でも使っていた闘気の弾丸に、セニキス=ミラオリスの星光を加えた『付与魔弾エンチャント・バレット』といったところか。

 降り注ぐ光の矢と同時、魔剣より繰り出される空間断裂の一閃。


「Gu……!?」


 無敵にも思えたゼドゲウスの甲殻に、明らかに見てわかる傷が入った。

 神器ふたつの波状攻撃を受けても"傷"で済む生命力には呆れる他ないが、確かにダメージが通った。ゴマの持つ手札が効果を示した。


「……GuLLLLLlalaaaaa!!」


 ゼドゲウスは再び、渾身の咆哮を以て応える。

 ドラゴン・ブレスなどという洗練された能力ではない。ただ憤怒と殺意を込めて放たれた吐息が、超振動による破壊と魔力による精神の侵食の両面から敵対者に襲いかかる。

 まさしく、王の戦い。その嘶きひとつ、呼吸ひとつが大量殺戮兵器と化す、他の何者にも到達し得ない暴威の極致だ。


「吼えろっ、鵜羽麒麟村宗ヤルルカーン!!」


 対するゴマの右手から、蒼い雷鳴が迸った。

 ヤルルカーンが持つ絶対切断の権能は、何も攻撃にのみ力を発揮するわけではない。ゴマフライザーによって阿修羅神刀斎の記憶と統合され、猛る戦鬼の魂を受け継いだが故に、これを振るうゴマはかの剣聖の妙技を借り受けることが可能となる。

 理不尽と理不尽。極大の破壊、対、絶対の斬撃。結果は、


「OooooOOOoooooo!?」


 陸王に手向かう不遜の輩を幾度となく誅してきた轟音の大砲が、確かに断ち割られた。

 形あるものを斬り殺すこと、その一事にかけては欠片ほどの妥協も許さぬ剣の神が、王の鬨というひとつの現象を"死"へと導いた。内包されていた威力は霧散し、後には虎視眈々と追撃を狙うゴマの姿だけが残る。

 青天の霹靂。ゼドゲウスにとっては、何百年ぶりの出来事だっただろうか?


「逃しはしない……!」


〈Over Boost! PRIMITIVE PALE―――〉


「獲った―――『無道むどう鯱斬りしゃちぎり』!!」


 臨界出力を発揮したゴマフライザーからのエネルギー供給を受けて、神速の稲妻が駆け抜ける。

 額の正中へ一太刀。返す刀で左目を割り、大きく踏み込んで喉元に一撃、再び宙へと舞い上がって右の前足を斬り下ろす。胸先に渾身の突きを差し込み、円柱型の胴体を螺旋を描くようにして抉りながら後方へ抜け、振り返って駄目押しの空中回転斬りを叩き込む。


「砕けろ」


 脱兎の如く跳び退ったゴマの腕から放たれるのは、氷雪によって象られた1本の矢。それは尾の傷口に着弾するとたちまち膨れ上がり、ゼドゲウスの全身へと極低温の冷気を走らせて―――。


〈Brinicle Dead End!!〉


 生じた大小無数の氷柱が、陸王の血肉を内側から食い破り、凍える爆風と化して炸裂した。

 無双を謳われる英雄が悲鳴を上げ、手傷に悶え苦しむ。一際強烈な振動を伴い、ゼドゲウスはその巨躯を横たえる。呼吸は先刻までと比べて明らかに浅い。

 最悪の魔王は、ついにアニマルバースに並ぶ者無き英雄をも打ち破ろうとしていた。




――――――――――――――――――――――――――――――




 陸王ゼドゲウスは、生まれた時から驚異的な存在だった。

 高い膂力を特徴とするイグノゲウスの一族の中でも、さらに著しく発達した筋肉を有し、代償として底無しの食欲に支配された、暴虐の申し子だった。

 第11銀河に文明が興るずっと前から、彼は戦い続けていた。食わねば飢え、威を示さねば疎まれ、戦わねば死ぬ。そうするしか生きていく方法を知らなかった。


 そんなゼドゲウスの生涯の転機となったのは、やはり先史文明種族・ヤルダモの第11銀河飛来だった。

 ヤルダモたちは第11銀河に現れた時点で、種族の内外にいくつかの問題を抱えており―――今はゼドゲウスが持つ神器、永劫核えいごうかく『ヘトラキサキドル・ゼペルトリンデ』の処遇についてもそうだった。


"永劫核"の二つ名の通り、ヘトラキサキドル・ゼペルトリンデは正真正銘の第一種永久機関である。

 古くは"黄金の果実"、"万能の聖杯"、"願望器"とも呼ばれた聖遺物であり、外部から一切の干渉を受けずとも独りでに超物理学的量子カズムタイトを生み出し続ける、原理も由来も不明のオーパーツ。ヤルダモが過去に侵略した星系から持ち出された至高の宝物であると同時に、それが流れ着いたあらゆる文明圏で血みどろの争奪戦が繰り返されてきた最悪の呪物。

 無尽蔵のエネルギー供給を可能とする神の宝玉は、ヤルダモの深宇宙の逃避行に大いに役立った。しかし、第11銀河に定着した後の彼らにとっては、無用な動乱の原因となりかねない頭痛の種でもあったのだ。


 やがて、最後にヘトラキサキドル・ゼペルトリンデを手に入れた一派は、これを狂える邪竜・ゼドゲウスに与えることで、その底無しの飢えを満たせるのではないかと考えた。

 果たしてその試みは成功裏に達せられ、ゼドゲウスが必要以上に食物を摂ろうとすることはなくなった。ヤルダモは戦力ではなく叡智によってゼドゲウスと友誼を交わし、かつての邪竜は大地を統べる陸王へと変わった。

 すなわちゼドゲウスにとって、永劫核によって支えられている自らの命こそは、何物にも代えがたい彼らとの親愛の証に他ならない。




 痛み―――――肉、骨、内臓。

 切断と凍結。同時に引き起こされた別種の破壊が、己が全身を引き裂こうとしている。胴も四肢も満足に動かせず、むしろ無理に駆動させようとした箇所から砕けて千切れる始末だ。


 致命傷、。多少の痛みはあっても、死の予感は未だ遠い。

 この程度の窮地など、星の数ほど経験している。そこから一度たりとも勝ちを捨てず、必ず生きて帰り、どんな脅威にも逆襲してきた。故にこそ今の自分がある。群れの長、大地の王としての自分が。


 とはいえ、長じる者の責務ノブレス・オブリージュなどという概念を体得しているわけでもない。

 ゼドゲウスの生涯は、糧を喰らうことと敵を殺すこと。そのふたつに誰よりも真剣であっただけだ。

 我が眼前に立ちはだかり、あまりにも鮮烈で衝撃的な傷を負わせた者。あの白く小さき獣も、きっと同じ。


 ―――勝たねばならぬ。

 挑まねばならぬ。そうでなければ、1000年の無敵に倦んだ我が目を醒まさせてくれたかの者に示しがつかない。

 これほど強く太く育った自分が、あのような矮小な獣に負けるはずが無い、などという繊細ナイーヴな考え方は捨てろ。

 あざらし―――今は亡き古き友ヤルダモたちが遺した最後の創造物。十の神器をも超える窮極の一。

 彼らの存在そのものが、既に自分たちは対等などではないのだと告げている。そこには確かな殺意と悪意がある。王たるこの身を弑さんとする叛逆の意志が。


 それが、今度こそ彼らと決着をつけられるという事実が、嬉しくて仕方がなかった。


 今こそ再び全力の、否、狩りを。

 この身が得た運命のすべてを懸けて、あの敵を打ち破るための力を!!




――――――――――――――――――――――――――――――




 ゴマの怒濤の攻勢によって、ゼドゲウスの動きが止まった。すかさずウーノがS.D.ロンリネスのアクセルを踏み抜き、私たちはどうにか戦場から距離を取ることに成功した。

 ……あの無双の陸王を相手に、一体どこに安全圏があるというのか。


「やったか!?」


「それ言っちゃ駄目な奴!! 特に外野は!」


 最悪なことに坂本は空気を読まなかった。さしものピヨとウーノすら絶句している。

 応急修理のため停車したS.D.ロンリネスから飛び出す。遠方に横たわる山脈の如き巨体と、その上に滞空する冷気を纏った小動物。


 変化は劇的で、迅速だった。


 鼓動が聞こえる。空間を超越して、自らの意識を持つ生命体すべての認知に。

 宇宙全土が白黒に暗転したかのような衝撃だった。物理的な威力は露ほどもなく、しかしただそれだけでこちらの心臓を握り潰さんとしてくるほどの、圧倒的なプレッシャー。


「……ピンチからの覚醒そういうのって、主人公ぼくの特権じゃないの?」


 ゴマがぼそりと呟いた瞬間、ゼドゲウスに突き刺さっていた無数の氷柱が一斉に砕け散った。

 カズムタイトの粒子が渦を巻く。ゴマが発するそれよりも、さらに数段濃密で鮮やかな黄金の闘気。凍結していたはずの傷口から血液が沸騰し、光の奔流と化して噴出している。土と森の風合いを呈していた大地の王の肉体が、目にも眩しい金色に燃え盛っている。それはあたかも、風に揺れる畑の麦の穂の如く。


「OoooooOOoooooooo………!!」


 陸王を構成していた質量が収縮する。

 全身の細胞が分解と再構築を繰り返して、新たな形態を出力しようとしている。永劫核ヘトラキサキドル・ゼペルトリンデがもたらす無限の魔力が、大いなる生命の理に反する暴挙を可能とする。

 ゼドゲウスが思い描く、より強いゼドゲウスおのれ。かつてイグノゲウス彼らの先祖は、背に携えた翼で大空を駆ける飛竜だった。華麗に宙を舞い、縦横無尽の機動から神速の一撃を放つゴマに追い縋るには、地竜の身の重さは枷となる。

 胴体が引き絞られ、四肢が肥大し、背鰭が延伸する。鋸じみた牙が並ぶ顎門あぎとのみをそのままに、頭骨はより鋭く洗練された流線型を得る。放射状に広がる竜角が形作った鬣は、真に無双の王者だけが戴くことを許される冠だ。


「Qooooooooooo―――――」


 周囲一帯の気温が明らかに上昇していく。陸王の、ついさっきまで陸王であった者の纏う計測不能のエネルギーが、火炎とも雷撃ともつかぬ未知の破壊現象と化して天地を焼く。

 がしゅ、という異音が聞こえた。ゼドゲウスが息を整える音。一飲みで辺りの大気を奪い尽くし、真空を生み出しかねない深く長い吸気。


「クソがっ……!!」


 静観に徹していたゴマが動いた。ただし、攻撃を加えに向かったのではない。

 変化を続けるゼドゲウスの正面を避け、大きく迂回して私たちの居る位置へと急いでくる。


「何を!?」


「みんなは逃げて。24時間以内に通過した座標はシステムがすべて記憶してる、ワープドライブでバロライテまで戻るんだ。これくらいの故障だったら、僕の魔力をいくらか預ければ保つはず。……僕があいつを倒すまで、様子を見に行こうなんて絶対に思わないこと」


「……ゴマ」


 ―――――あれ。

 何だか、こんな光景を、つい最近にも見たような。


「ウーノ。後はよろしく」


「はい、ボス。ご武運を」


 とても硬い声だった。ゴマだけでなく、ウーノの方も。そんな短いやり取りがあって、S.D.ロンリネスは再び走り出した。

 車窓から見える外の景色が歪み、虹色の線となって後ろへ流れ始める。ワープドライブ前後に立ち現れる浮遊感。

 それだけでは、ない。……変な気分だ。あれほど憎く、恐ろしく、心の底から死を願っていた悪魔。リボーヌの仇。アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフの背中に、思わず手を伸ばそうとする自分が居た。


「―――ゴォオオオオマアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!!」


 猛々しく吼える獣の後姿を見つめながら、私たちは星の海を渡った。

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