無双、ゼドゲウス
王冠に花束を、天使にラプソディを その1
第11銀河に生息する『イグノゲウス』という動物がいる。
イグノゲウスはアニマルバース全体でも珍しい恒温性爬虫類の仲間、ドラゴン科地竜属の一種である。
その起源は先史文明種族・ヤルダモの飛来と『けもの』の誕生より以前に遡り、アニマルバースの原生生物として広く存在を知られている。
ドラゴン科の過半は進化の過程で空を飛ぶための翼を得た種族だが、地竜属は元はドラゴン科全体の始祖にあたる系統であり、翼を獲得する以前の原始的な種が多い。
一方、日夜変化していく環境に適応した結果として、完全な陸生へと先祖返りした種も存在し、イグノゲウスは後者に該当する。
縦に長い体躯、短い四肢、トカゲとワニの中間のような頭部、鋭利な棘状に変化した独特の鱗を主な特徴とする。また、背中には過去に翼だった部位が退化・変形した体温調節用の放熱皮膜を持つ。
その名は彼らの母星の古代言語で『鎧の牙』を意味し、性質は極めて獰猛。身に纏う高密度の筋肉によって、短い四肢で這いずるような所作からは想像もつかない素早さで動くことができ、恐るべき咬合力で同じ竜種の鱗すら食い破る。非常に高い身体能力と凶暴性から、アニマルバースで最も危険な肉食獣とも称される動物だ。
そして、彼らイグノゲウスの頂点に立つ群れの長―――七星の最強種にして、三柱の古き王の一角。
曰く、それはすべての陸を統べる大地の神であり、あらゆる自然の恵みを喰らい尽くして憚らない。だが同時に、その身体から溢れ出る生命力は、かの者が通り過ぎた土地にまた新たな命を育むという。
曰く、それは太古に栄えたヤルダモたちの支配にも屈さず、最後まで対等な関係を保った竜の英雄である。
曰く、それはただ己の五体だけを頼みとして、修羅の軍勢たるイグノゲウスの一族を制し、王座に君臨し続ける無双の
すべての命よ、みな須らく平伏せよ。畏れたまえ、かの者の名は―――――。
――――――――――――――――――――――――――――――
(『不敗』。『不敗』か)
なるほど、グリス・ナヌラーク・ポラベラム―――彼もまた、"無敗の貴公子"という称号を賜るに相応しい男だった。
実際のところ、本来『七星の最強種』同士の実力はほぼ完全に伯仲している。
ゼドゲウスは王ではあっても政治家や指揮官にはなれない。彼はすべてのイグノゲウスの長ではあるが、手勢に何かを命じて強制することは無い――己が不興を買った者を暴力で制裁することを除けば――し、計画や作戦に基づいて組織だった行動を取らせることも無い。個体として隔絶した強者であるゼドゲウスはそもそも、目の前の餌を追い回して狩ることの他に、頭脳を駆使して物事を考えるという行為に価値を見出さないからだ。
同様に、ゼドゲウスは戦士であっても武闘家では有り得ない。身体の頑強さや単純な速力で圧倒していても、技巧の極致たる阿修羅神刀斎鯱光を打倒することは簡単ではないだろう。数多の戦場を生き抜いてきた阿修羅神刀斎は、自分より強く大きい敵との戦い方を知り尽くしているからだ。
つまりアニマルバースのけものたちは、個々の能力では精強かつ凶暴な原生生物には勝てずとも、知恵と協調の力で彼らに対抗しているのだ。
しかし、そういった事実を弁えた上でも、ゴマは認めざるを得なかった。
自分がこれまで倒して来た2頭の最強種ですら、この怪物に比べれば手緩い存在であったのだと。
「OoooooOOOOOOooOOoooooOOOooooooooooooo―――!!」
地平全土を飛び越えて、銀河の彼方まで響き渡らんばかりの
咆哮―――単なる絶叫が、しかし遍く世界を揺さぶり、乱発する共振現象が地殻ごと周囲一帯を粉砕する。もしもゴマに耳のような感覚器があったなら――あざらしの聴覚は主に全身の微細な毛に依存しているため、奇跡的に直接の影響を免れていた――、間違いなく鼓膜が破壊されて永遠に戻らなかっただろう。
やがて破滅を告げる鬨が鳴り止んだ後、そこに立っていられたのは、1体の小動物と1柱の王だけだった。
「―――あなたの伝説を、聞いたことがある」
そう呟いた
ゴマの前にひとつの光景が広がっていた。地竜らしい土と森の色をした鱗が連なり、どこまでもどこまでも続く長大な壁を作り出している。
「勇敢にして慈悲深き真の王。竜の英雄。かつて銀河を支配した太古の公主たち、全知なるヤルダモでさえ、あなたを隷属させることはついぞ叶わなかった」
壁には、太く巨大な棘が何本も突き立っていて、恒星の光をオーロラの如き虹色に照り返していた。それは体表に付着した砂礫、鉱石、ガスなどの物質が、数々の死闘の中で砕け、混ざり、溶け合った結果として生まれる輝きだ。
如何なる環境をも踏破した偉大な戦士だけが纏うことを許される、極彩色の光の鎧。
「あなたは……そう、初めての感覚だった……。生まれながらに力ある者として生きてきた、どんなに強い敵にも、どれほど実力ある同胞にも勝てるという自負があった。―――その僕が、あなたの生き様を知って、羨んだ。初めて他者に……憧れた……」
都合4対8個の眼球、神秘の種族たるドラゴンにしても異形の顔貌は、先刻までとは打って変わって静穏を保っている。
深く呼吸する度に大気が空間を出入りして暴風が巻き起こったが、不敗の陸王は確かに沈黙を選んだ。理性という機能を持たず、恐らくは今後もそのような概念を必要とすることもないであろう究極の頂点捕食者が、この小さなあざらしの囀りに耳を傾けている。
「事ここに至っては疑う余地もないが、あえて問いたい」
王は、小さな鼻息ひとつを以て鷹揚に頷いた。
縦長の胴体と比して短い四肢は、もはや増大に増大を重ねた自重を支えるには適さず退化しつつあった。だがそれでも尚、かの者がわずかに身動ぐごとに周囲を薙ぎ払い、大地に深刻な裂傷を生む。
「僕を―――僕たちあざらしを、あなたの敵と認められるのか。竜の英雄、すべての陸の王。万古不易なるゼドゲウスよ」
常勝の英雄王が、
「HaLLLLrrrrrrrrr……」
小さき叛逆者が、
「ならば」
最強種との連戦。精神的な重圧は如何ともしがたいが、グリスを討って力を吸収したことから、スタミナそれ自体は回復しつつある。
ゴマは笑った――変わらず見かけ上の口腔の無きままに。尚、読者諸兄もそろそろ慣れてきていると思うので、次回からはこの注釈も省略させていただく――。ともかく、それは地獄の底から這い出てきた亡者を彷彿とさせる、狂喜に満ちた凄絶な笑みであった。
「―――ならば殺すぞ、ゼドゲウスウウウゥゥゥゥゥゥゥッ!!」
「GLroLLGgaGaaaaaAAaaaAAAaaaaaaaa―――――!!」
――――――――――――――――――――――――――――――
暗幕、暗転。白と黒の帯。
途切れ途切れの意識は、差し込む光が目に痛いと訴えている。
銃声、砲声、閃光と爆風。鉄と火の臭い。
アニマルバースでの目覚めを待つまでもなく、私の世界は私が生まれた時からそうだった。
天まで届く柱。空に浮かぶ大地。森林、荒野。そこで蠢く数多の命。
約定の日、すべては灰燼に帰した。現れた災厄は瞬く間に世界を埋め尽くし、私たちは底の無い絶望へと追いやられた。
抵抗が続いた。終端の見え透いた長い長い欺瞞が。
多くの人が傷つき、ただ無為に死んでいった。私たちは疲れ切り、迫り来る滅びを遠ざける術を何一つ持たなかった。
私の頭上で、白い巨人が跪いている。
それは数々の砲や剣で武装し、同時にひどく姿形を損なっていた。表皮が焼け焦げ、身体の内側を剥き出しにしたそれは恐ろしい形相をしていたが、私は不思議と怖いとは思わなかった。
足が痛かった。へたり込む私の手を取り、優しく立ち上がらせてくれたのは、頭上の巨人と似た白い髪の少年だ。女の子と見紛うような愛らしい顔立ちをしていて、貴族風の小洒落た外套を纏っている。ただ、その表情だけはいつになく真剣だった。
息を切らせて走る。走る。
背後までやってきた災厄から一歩でも遠く、一秒でも早く、逃れるために。まだ抗うために。
天然の洞窟を利用、拡張して作られたその施設の構造は複雑だったが、幸い私たちの手元には詳しい地図があった。ここの存在が奴らに嗅ぎつけられたのはついさっきなので、壊滅の憂き目に遭ってもいない。
博士のIDがまだ生きていて助かった。あらゆるタッチパネルに職員カードを叩きつけ、電子ロックを最上位のアクセス権限ですり抜ける。後ろから聞こえるあいつらの足音が少しずつ大きくなっていく。
目的の部屋に辿り着いた。
私たちを出迎えたのは無数のインジケータ、無数のコンテナ、無数の配管、無数の歯車、無数のタンク、そして一対のデバイスとコンソール。
施設内部の隔壁は逐次閉鎖してきたが、あまり時間稼ぎにはならないだろう。詳細を詰めている暇は無かった。議論している余地も。
すべての事情は把握している。私は彼にこそ逃げて欲しいと願った。
だが、彼は固辞した。『僕の■■■■■■■はまだ動く、このためにEドライヴ用の遮蔽シートなんてものを積み込んで来たんだ。奴らの熱源探知も完璧じゃないからね』などと言う。相変わらず、こんな時ばかり用意が良くて辟易する。
私は強硬に反対したが、最後は彼の腕力には敵わなかった。鳩尾を押さえて蹲る私を、1秒前と普段の態度からは想像もつかないような優しさで抱き起こし、カプセルへ放り込んで安置する。
シールドが降りる寸前、聞こえるか聞こえないかという距離で彼が呟く。
その横顔は確かに笑っていた。寂しそうに、名残惜しそうに、悔しそうに―――誇らしそうに。
「今までありがとう。さようなら、僕の―――――」
もう届かない手を伸ばし、彼の名前を叫ぼうとしたところで、声が出ないことに気付いた。
荒い呼吸を繰り返す度、全身に激痛が走る。痛みが迸った箇所から、身体の感覚が戻っていく。
くるりくるりと視界が空転し、世界の焼ける音が迫ってくる。
――――――――――――――――――――――――――――――
「―――――……っ!!」
がは、ごほ、と咳をした勢いで跳ね起きた。途端に背骨に電流が走って、たまらず再び倒れ込む。
叩きつけられそうになる私の上半身を受け止める手があった。服越しなのでわかりにくいが、乾いてごつごつした手だった。
「おきた! リンおきた!」
明滅していた視野が徐々に安定してきた。
私の腰の辺りで飛び跳ねているのは、薄黄色のゴムボールに目と口を描いて手足を生やしたような謎の生物、坂本。
「危なかったですね。ピヨさんの羽根があっても即死では助かりませんから」
「全くだぜ。しかし、そう考えると案外丈夫なんだな、リン?」
私の背中を支え、ゆっくりと寝かせる手の持ち主はカメレオンの獣人ウーノだ。その横で『やれやれ』といった顔……顔? をしているのは、殺し屋にして不死鳥のピヨ。
痛みやら困惑やらでふらふらする頭に過労を強いて、断絶した記憶を限界まで辿る。
確か私たちは、『壊乱』の最強種グリス・ナヌラーク・ポラベラムを倒したゴマと合流して、そうしたら次の瞬間に見知らぬ土地に居て……地震があって、それから、何か巨大な生き物が―――。
「う……。そうだ、ゴマは……私たち、一体……」
「あぁ、全員どうにか無事だぜ。今はゴマが戦ってる」
「戦ってる? ……何と?」
「知りたいか? そうだな、俺も一生に一度くらい拝んでみたいとは思ってたよ。でもよ……こんな近くで見る羽目になるとは思ってなかった。もう一生ゴメンだ」
ピヨの口数がいつになく多い。まぁピヨはゴマたちと同じく騒ぐのが好きなので珍しくもないが、しかしそれにしても要領を得ない返事だった。まるで答えになっていないではないか。
断続的な地震は今も続いている。恐らくゴマと、件の何者かの戦いの余波だろう。あいつの近くに居るとしょっちゅうなので慣れてしまった。
疼痛を堪え、頑張って上体を起こした。全身各所に包帯や治療パッドが宛がわれていることにようやく気がつく。状況はうっすら想像していたよりずっと悪いようだった―――車窓から、外の様子を窺う。
「実はさ、『七星の最強種』って言葉が出来たのは、ほんのここ10年くらいでの話なんだ。ヤルダモが遺した神の武器とその担い手、なんていうのは都市伝説か陰謀論者の与太話でしかなくて、ほとんどのけものは信じちゃいなかった。何故なら」
超高速で飛翔する影があった。白い矮躯、反して横溢する黄金色の闘気。縦横無尽に、自由に、力強く。悪夢の魔王、アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフ。
そして、常人の私には目で追うのもやっとなその速度に追随する、彼より何千何万倍も巨大な影があった。
頭を強く打って遠近感とか速度の感覚に狂いが生じたのかと思ったが、どうもそうではないらしいことが、
「アニマルバース最強の生物はゼドゲウスだと、みんな知っていたからだ」
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