銀河はそれを愛と呼ぶのか その5

 ジャーリス・アバウォッキとの決闘を制した後、ゴマがどこかへと飛び去って3日が過ぎた。


 昼夜を問わず聞こえていた"銀河随一の繁華街"の喧騒は、しかしそれまでが嘘だったかのように失われてしまった。

 七星の最強種、ウサギ氏族の英雄。聖騎士ジャーリス・アバウォッキ公爵の死が、この賑やかで移り気な惑星の全土を、哀悼の意で沈黙させている。


 あれからすぐ、ジャーリスの遺体は回収され、国葬の準備が始まった。

 ラビメクト聖教の『聖女』だというウサギの獣人が、ボロボロの亡骸に縋りついたままずっと大声で泣いていたのが印象的だった。

 決闘の最中、あれほど口々に騒いでいたウサギ氏族の皆も、悲嘆に暮れる彼女を見て何も言えなくなった。誰もが啜り泣き、その場で静かに崩れ落ちていた。

 あるいは、あの聖女様は、彼らの大きすぎる悲しみを一身に引き受けるために、誰よりも深く長く涙していたのかも知れない。


 けれど、私は―――それまで無敵だったはずの最強種・ジャーリスの葬儀が、奇妙なほど手際よく進められたことの方が驚いた。

 関係者の全員が、特別薄情だったようには見えない。みんなが悲しみ、動揺していて……でも、次の日の午前中には、亡骸の入った棺を葬送するパレードが行われていた。

 私はその様子をテレビ中継で――尋常な決闘の結果とはいえ、ゴマ=ゴマフの仲間である私たちが、どんな顔をして出向けるものか――見ていた。

 行列に参加した民衆たちは、口々に感謝と労いと惜別の言葉を口にし、白い花びらがいつまでもいつまでも空に舞っている。


 私は既に、ゴマの行く末を見届けることを決めている。あいつの最期は私以外の誰にも渡さない。

 だから私は、あの忌々しいあざらしの仲間になったつもりはないけれど、ゴマと敵対する人々にも肩入れしようとも思っていない。―――少なくとも、今はまだ。

 最優の聖騎士アバウォッキ公の死を悼む気持ちはあっても、七星の最強種ジャーリスを殺したゴマを憎もうとは思わない。

 私の憎しみは私のものだ。他の誰かの分まで背負えるほど、私は強い人間じゃない。


 ……それでも、思うところはある。

 孤高の竜王ゼドゲウスはともかくとして、これまでゴマが倒してきた最強種たちも、こんな風に見送られていったのだろうか。

 いや、戦闘種族『あざらし』の脅威が第11銀河アニマルバースを席巻し始めて以来、どれだけこのような光景が繰り返されてきたのだろうか。


 これほどの惨劇を積み上げて、ゴマあいつは一体、どこへ向かっているんだろう?




――――――――――――――――――――――――――――――




 ジャーリス・アバウォッキの国葬から7日後、ラビメクトの空から月が消えた。


 衛星ルミアンダナゴン。

 地上の神殿に遣わされているではなく、神獣アルミラージの真の玉体が住まうとされる聖なる星である。


 それが、ただの一夜にして完全に崩壊し、砕かれた破片は流星となって地上へ降り注いだ。

 主星ラビメクトの約4分の1といわれる極大の質量は、しかし大半が宇宙空間に放逐され、また隕石として落下してきた部分もほとんどは空気中で燃え尽きた。


 それでもなお少なからぬ被害が生じ、ウサギ氏族の高官たちがこの異常事態の対処に奔走する最中、ラビメクト聖教の聖王カドゥラス・ハルパーズ・ラビメクトもまた慌ただしく働くこととなった。

 聖なる星、ルミアンダナゴンの消滅。『最も不吉なる7つの予言』どころか、正統も異端もひっくるめて、ラビメクト聖教の歴史上どのような書物や記録にも、該当する事態は記述されていない。


 そして、カドゥラスとハルパーズの一族だけが、恐らくはその一大事の正体を知っている。第7の予言に示された、最後の聖戦がついに始まったのだ。

 神獣アルミラージと"恐ろしきもの"、つまりはアリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフが戦い、神の軍勢が勝利することで、ウサギ氏族は永遠の楽園へと導かれる。


 カドゥラスは歓喜に震えていた。ジャーリスの尊い犠牲により、大切な一羽娘レティシアを失うことなく、最後の予言は現実のものとなった。

 これより始まる聖戦ではジャーリス1羽の比ではない犠牲が生じるかも知れないが、もはや些細なことだ。ゴマ=ゴマフを打ち破り、アルミラージの威光が地上を覆った暁には、それらすべてが報われる。


 予言を発したアルミラージ自身は既に関知しているところだろうが、あくまで念のため、カドゥラスは神殿に向かった。聖戦の始まりを知らせるべく。

 聖油で満たされた燭台に火を灯し、暗い地下空間を照らしていく。階段。柱。聖王の瞳と掌にだけ反応する、巨大な石造りの扉。

 重々しい扉が、超自然の神なる力によってゆっくりと開いていく間に、居住まいを正す。拝謁の間に足を踏み入れた。


「やぁ。遅かったね」




――――――――――――――――――――――――――――――




 有り得ぬはずの声。

 ラビメクト聖教本部の最奥、神獣アルミラージとの拝謁の間には、聖王の位を持つウサギしか入ることが出来ない。

 もしも不適格な者が侵入を試みれば、それは即座に神の怒りの雷に打たれ、原子レベルにまで分解される。


「―――――……な、ぜ」


 卵型の胴体。小さな4枚のヒレ。灰色の鼻と、暗黒の瞳。

 あざらしの王、アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフ。


「どうして……お前が、ここに」


「見ればわかるでしょ?」


 言って、ゴマ=ゴマフはぺしぺしと地面を叩いた。

 いや、地面ではない。魔王が居座っているのは、何か巨大な物体の上だ。

 血が流れている。虹色の光沢を持った、生白い、あるいは銀色の、ぬめりのある液体が。

 その源は……4本の足と、丸っこい胴体と、艶やかな毛並みと、額に1本の角を持った―――。


「……な、あ」


 理解できない。

 目の前に存在する現実が、まるで現実として受け止められない。


「ジャーリスがね。くれなかったんだ、天獄鎧『ネサルフェリオ』。もしくは『青薔薇の鎧』」


 ゴマ=ゴマフは懐から、何か小さくて細長いものを取り出した。

 六角柱型の結晶体。色は、透き通るような空の色。やや薄く明るい純粋な青。


「考えてみれば、最初から妙だと気づくべきだった。『矛盾』って言葉の由来は知ってるよね? 最強の矛と最強の盾は同時に存在できない。でもそれは、矛も盾もであるという前提を意図的に無視している」


 有り得ない。

 有り得ない。有り得ない。有り得ない、有り得ない、有り得ない。

 こんなことは、あってはならない。


「最強の矛は、最強の盾を貫くことができるかも知れない。けれど、たとえ盾が壊れたとしても、その使い手にまで傷が及んでいなければ、それは充分に盾の機能を果たしたことになる。―――僕の鵜羽麒麟村宗ヤルルカーンと、ジャーリスの青薔薇の鎧ネサルフェリオだってそうだ。七星神器セブンス・クェイサーは本来すべて同格。たとえヤルルカーンがネサルフェリオの守りを切り裂けたとしても、同時にこっちの刃も砕けていたはず。けど、もしも……もしもあの時点で、ネサルフェリオが本来の性能を発揮できていなかったとすれば―――」


 ゴマ=ゴマフは滔々と語る。

 私の耳にそれは届かない。


「あいつは、ネサルフェリオのではあっても、正統なじゃなかった。ジャーリス・アバウォッキの魂は、ネサルフェリオと適合なんかしちゃいない。あいつの方が……神器の理を捻じ伏せて、自分の意志に従わせてたんだ」


 魔王の、否、そんな御伽噺の住人より遥かに"恐ろしいもの"の視線が、私に問いかけているようだった。

 有り得ない? 、と―――――。


「まったく、とんだ食わせ物だったよ。ふざけやがってあの野郎―――僕に殺される寸前で、ネサルフェリオの所有権を放棄しやがった! 本来の持ち主に鎧を返したんだッ、それも僕にさえ気配を追えないよう細工した上で!」


「そ―――それが……。それと、これに、何の関係が……」


「4日かけてラビメクト中を探し回った。それでもわかんなかったから、を潰すことにした。結局は無駄骨だったけどね」


 大本。

 神鉄より作られた青薔薇の鎧の、基になった存在と呼べるもの。


 勝利は予言に定められていた。神託の予言は常に正しく、故にウサギ氏族は幾度となく破局を退け、今日の日までずっと繁栄を謳歌してきた。

 永遠の王、全能の神、栄光の主。万物の創造者にして絶対の存在。完全なる秩序そのものであり、あらゆる邪悪を滅する正義。宇宙全土が頭を垂れるべき、至高の天秤にして生命の羅針盤。

 あやまつつはずがない。神が過つはずはない。神が過つことなど有り得ない。


 私が予言を覆した。

 ハルパーズの一族の中で、第63代聖王カドゥラス=ラビメクトだけが、予言に示された滅びの原因レティシアの死を、根本からにしようと試みた。

 滅びに立ち向かうのではなく、最初から戦うことを諦めていた。


 予言は、ついに成就しなかった。

 神獣アルミラージを、魔王ゴマ=ゴマフと、聖王カドゥラスわたしが殺した。


「―――あ……。あぁ……、あ、あ、ああぁぁぁ……」


 1週間前に死んだあれのことを、唐突に思い出した。

 ジャーリス・アバウォッキ。レティシアの生贄として創られた、私の、私たちの、もう1羽の娘。


「あぁ……あぁ、あぁ! 神よ!! 神よ!! 何ということを……。わた、私がっ、私が間違っていた! 神よ……ジャーリス、すまない、許せっ……。許してくれ……許してくれぇ……!」


 そうだ。私は間違っていた。神の予言の裏をかき、自分ならもっとと驕っていた。

 すべて予言の通りに事を進めるべきだった。これは神への背信であり、代々予言を伝えてきた祖霊への裏切りであり、何よりジャーリスというひとつの命に対する冒涜だった。

 私の代をもって神の世は終わる。これほど罪深い、恐ろしいことがあるだろうか。どのような罰を受ければ、これだけの大罪を償うことが出来るのか。

 無理だ。私、私には、



 ―――いいえ、聖下。破滅の運命に対して、あなたは必死に抗ったのです。きっと、誰よりも真剣に。



 有り得ぬ声を聞いたような気がして、顔を上げた。

 そこには怪訝な表情のゴマ=ゴマフしか居ない。右ヒレには、空色の結晶体が握られている。


「……ジャーリス。お前なのか?」


 ―――私は、過去の聖獣たちとは違う。

 神聖術の腕前は立場相応のものと自負しているが、それでも、古の聖者たちが見せたと伝わる数々の奇跡には到底及ばない。

 だが、もしもこれが奇跡だというのなら、一体どんな皮肉だろう。

 信仰に応え、獣智を超えた御業を賜る神獣アルミラージは、既に死したというのに。



 私は、レティシア猊下にお仕えできて幸せでした。あの方のために最後まで戦えたことは、私の誇りです。だから……だから、どうか。



 レティシア。

 私とレゥフィンの、愛の象徴。世界で最も大切な、私たちの娘。

 ウサギ氏族最優の聖騎士、我らが七星の最強種が、命を懸けて守ろうとしたもの。



 どうか、ご自身を恨まぬよう。この世に生んでくれて、ありがとうございました。―――お父さん。



 そうだ。

 私は。




――――――――――――――――――――――――――――――




 カドゥラス・ハルパーズ・ラビメクトは、凡獣だった。

 ハルパーズの一族に生を受け、ラビメクト聖教の信徒すべての規範たる聖王となるべく教育され、事実そのようになった。

 誰よりも神獣アルミラージを信仰していながら、俗世との折り合いをつけることにも手慣れていた。清濁併せ吞んで現実に生き、それでいてなお善良たらんとする、まさに聖王の座に相応しい獣格者だった。


 それでも、カドゥラス・ハルパーズは凡獣だった。

 当たり前の善性と、当たり前の苦悩と、当たり前の愛を持った、当たり前のウサギだった。


 神は正しい。

 神は絶対だ。

 神の言葉は、絶対に正しい。

 神は正義だ。善の究極だ。完全なる光だ。


 ならば。

 我らにもそのように生きろと、光の陣営に属する者として、相応しくあれと申されるのであれば。


 誰よりも愛しい娘を、楽園創造の悲願のために、差し出せというのは―――――。




 堪え難い現実、絶対なる神への疑義。

 それは、罪だ。完全にして至高の存在たる神を疑うことなどあってはならない。


 信仰と愛、疑念、畏怖、後悔、絶望。

 あらゆる感情の坩堝の中で、男の精神は砕け散り、振り切れた意識が狂気と化して噴出した。


 最後の神託の預言者、ミーレス・ハルパーズは、1000年越しに真の殉教者となったのだ。




――――――――――――――――――――――――――――――




「遍くすべての同胞、ラビメクトの神の僕たる皆様。こんにちは。


 本日は皆様に、重大な事実をお知らせしなければなりません。

 それは、今日まで我々が信仰を捧げてきた天の主、神獣角の兎アルミラージについてです。


 アルミラージは、すべてのウサギの創造者であり、大ウサギ民国創生の時より我々と共にあった、偉大なる王でした。

 しかしこの度、アルミラージは決して、我らが真に頭を垂れるべき存在ではないということがわかりました。


 確かに、アルミラージもまた、我々にとって偉大な存在であることに変わりはありません。我々が賜ってきた数多の恩寵に対し、尽きせぬ感謝を忘れるべきではないでしょう。

 ですが、アルミラージはもはや唯一の天意ではなく、私たちが真に崇め奉るべき至高の御方は別にあらせられると言わざるを得ません。


 かの方の御名こそは、畏れ多くも―――アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフ。

 絶対の一、白き王。無間の光を以て万物万象に救いをもたらす、宇宙最高の新たなる神獣でございます。


 我々は認めねばなりません。

 皆様が愛してくださった聖騎士、ジャーリス・アバウォッキは死にました。何故でしょうか?

 それは、ゴマ=ゴマフ様が与え賜う至高の死こそが、我らにとって唯一無二の救済であるからに他なりません。


 魂を肉体から解き放ち、あざらしの光にて精神を焼き、すべての業罪を浄化し、新たな次元へと旅立ちましょう。

 問題ありません。すべては順調です。決して恐れないでください―――永遠の門は常に、我らの目の前に開かれています。

 この現世という大いなる輪の向こう側にこそ、第7の予言に示されたウサギ氏族の楽園があるのです。


 我々の方針は変更されました。我々はこれより、既知のウサギ氏族すべてを根絶します。

 いま『生命』と呼ばれている紛い物の実存を打ち破り、すべてのウサギ氏族を楽園へと導きます。


 大丈夫。怖がらないで。死ぬ時間が来ただけです」


 そして、聖王は一本の短剣を取り出し、自らの心臓を突き刺した。




――――――――――――――――――――――――――――――




「―――――……、……。…………、……こじれた」


「こじれたな」


「こじれたね」


「こじれましたね」


「いやいやいやいやいや!!」


 こじれたの一言で済ませていい事態ではないだろ、これは───!


「ご……ゴマ、聖王に何か言ったの……!?」


「何も言ってないよぅ!! あのオッサンが勝手に頭バグっただけだって!」


「なんてこった……。この間のゼドゲウスといい、またとんでもないニュースになっちまうぜ、ゴマ」


「嬉しくな〜い!!」


「だから言ってる場合か!」


 大変なことになってしまった。

 正確に言うとアニマルバースは既にゴマ=ゴマフこのクソ野郎のせいで大変なことになっているのだが、この度の所業は群を抜いている。

 何せゴマは―――神を、殺してしまったのだから。


 大ウサギ民国は宗教国家だ。

 ウサギ氏族が言うところの『神』というのが、もっと形而上的で――あえて悪い言い方をするなら、実在しないもので――、何か漠然とした存在であればまだよかった。それはそれで恐ろしい話にはなってしまうが、聖王の一派がただ唐突に発狂したというだけで済む。

 だが、このアニマルバースにおいて、神は実在する―――超越種『上位者ハイパービーイング』という形で。

 特にウサギ氏族の場合、上位者『角の兎アルミラージ』の存在は、ラビメクト聖教を通じて民衆すべての生活、文化、思想の奥底に根付いている。

 今回ゴマが行った"神殺し"は、連綿と紡がれてきた歴史ある巨大な文明の根源を、完膚なきまでに破壊したに等しい。


 ピヨがホテルの部屋のカーテンをわずかに開け、外の様子を窺った。

 そこには、白銀の鎧を纏う騎士と、漆黒の法衣に身を包んだ僧が列をなして闊歩している。教皇庁直属の戦力、神聖騎士団が動き始めていた。

 惑星中にリアルタイム中継された、ウサギ氏族の歴史に残るであろう惨劇―――聖王の自決のせいで民衆はパニックを起こしつつあるが、これはまだきっと序の口だ。

 ゴマトピア、オルシカーラ、バロライテ、そして陸王ゼドゲウスの"領地"での経験から、私も少しはその手の勘が働くようになってきている。惑星ラビメクトの全土を、死と破壊の気配が覆い尽くそうとしていた。


「……やっぱり駄目だよ、こんなの! 私たちで止めなきゃ……!」


「フゥン……ハァ?」


「何すっとぼけてんの!? 元はと言えば全部あんたのせいでしょ!!」


「いや、それはそうなんだけどさぁ……。さすがの僕でもどうしようもないって、これ」


「言い訳なら―――」


「そもそも」


 私が二の句を継ごうとしたところをセラが遮った。

 セラは決して無口ではないが、基本的には私やゴマが話しかけない限り、自分から何かを喋ろうとはしない。

 その彼女が、わざわざ口を挟んだ。私たちは一斉に押し黙った。


「上位者と一口に言ってもその性質は様々ですが、多くの上位者は『信仰』や『存在の承認』を力の拠り所としています。文明の基盤に組み込まれているほど強力な信仰を持つ上位者───神格であれば、物理的な肉体の1つや2つを破壊されたところで完全消滅はしないはず」


「そうなの? 僕、前回の戦役で結構な数の上位者を仕留めてるけど……」


「それはマスターとあざらしの皆様が、彼らを信仰する文明ごと銀河中の種族を殲滅して回ったからでしょう」


「せやった」


 こいつ……、いけしゃあしゃあと……。


「何だよ、それじゃあアルミラージは死んでないってことか?」


「肯定します。霊媒である物理端末を破壊された以上、形而下現実への影響力はいくらか減じるものかと思われますが」


「要するに僕には責任無いってことだね! ヨシ!」


「全然ヨシじゃないわよ!!」


「リン……」


 白ごま野郎が可哀想なものを見る目で私を見た。

 見かけの上では眉毛も口も無いくせに異様に表情豊かだ。むかつく。


「あのね、元はと言えば僕のせいだっていうのはご尤もだ。そしてそんな君には体の良い言い訳にしか聞こえないことを承知で、あえて弁解させてもらうけれど」


「わかってるならっ」


「わかってるとも。わかってないのは君の方だ。───アニマルバースは弱肉強食の世界だって、ずっと言ってるよね? 高度に文明化したけものたちが武力をもって衝突するにはそれ相応の理由があるけど、に必然性なんてものは無いのさ」


「……、!」


「この宇宙の歴史には意義や正解があって、僕らは一生の内にやっておくべきTo Doトゥ・ドゥリストを消化すれば満点評価で命を終えられる、みたいな考え方は大いに間違っている。世界は常にんだよ。そこに道義的責任とか、物語的整合性とか、文学的美しさを求めるなんて愚の骨頂だ」


「それは」


 ……それ、は。


「だいいち、万物流転は世の習いでしょ。シャチ氏族はペンギン氏族やサカナ氏族、それに僕たちあざらしを弾圧してたし、ライオン氏族は銀河中の星系を片っ端から侵略して平定してる。オオカミ氏族は種の平等が叫ばれる現代でも、草食のけものを襲って食い殺すことがあるし……。こいつらウサギ氏族だって、急速な発展の裏で、どれだけの経済的弱者を踏みつけにして来たか知れたもんじゃない。僕らだけが殊更文句を言われる筋合いは無いんじゃないかな」


 そんなのって。

 ……それでは、まるで……私たちの誰もが、生まれながらに罪を背負っているとでも───。


 呼吸が荒くなっていたことを自覚して、ゆっくりと目を閉じる。

 息を整える。頭の中はまだイマイチ整理がついていないが、何度目かの深呼吸で峠は越したように思う。

 決心して顔を上げた。言う。


「─────それでも。あんたは間違ってる」


 白皙の魔王は、何も答えなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――




 父が死んだ。

 信徒たちに説法を行う時と同じ──実際、一種の説法ではあったのだが──明朗ながらも慈愛に満ちた穏やかな声音で、この世すべてを冒涜して穢すような文言を吐き散らしながら、自ら心臓を突いて果てた。


 ……昨今でこそ確執があったが、そのようなことを差し引いても、充分以上の敬愛に値するウサギだった。

 己を生み育ててくれた父母に感謝し敬わぬ子が、この銀河に何匹と居るだろうか?


 よっぽど何もかも投げ出してしまいたい気分だったが、最愛のけものを狂気の淵で失い、自らもまた狂おしいほどの悲嘆に溺れるお母様を放ってはおけなかった。

 下衆な考えだが、自分より余裕の無いけものを見ていると、自分はまだ正気だということが確認できて安心する。

 聖王カドゥラス直属、ラビメクト聖教の盾にして剣たる神聖騎士団は、他ならぬ聖王の遺言に従い、早くも『あざらし派』の巣窟と成り果てていた。

 信頼できるたった数名の部下と共に、何日も逃げ続ける羽目になった。

 神聖騎士団による"現世救済"───無辜の民衆たちの虐殺は、今も続いている。


「───ジャーリス」


 アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフは、あれから一度も現れていない。

 方々から漏れ聞こえてくるニュースによれば、既にこの星系を離れたらしい。青薔薇の鎧───天獄鎧ネサルフェリオの回収は諦めたようだった。

 尤も、ゴマ=ゴマフは鎧の力の源である神獣アルミラージを下している。鎧の素材である神鉄か、それに匹敵する成果を代わりに持ち帰ったのだろう。


「大丈夫、です。私は……大丈夫」


 では翻って、現在、青薔薇の鎧は誰の手にあるのか?

 それは敗北によって最強種の資格を失ったジャーリスではなく、もうこの星を去ったゴマ=ゴマフでもない。


「……、……あぁ。死してなお私と共にあり、私を守ってくださるのね。私の騎士様」


 青い聖布があしらわれた、白銀の軽鎧。これが今の私の法衣。

 傍らに立てかけてあった旗を手に取る。その先端には、宝剣マルミアヴォーパルの折れた切先を鍛ち直した刃が取り付けられており、さながら大槍の如き様相を呈していた。


「─────この鎧と旗に誓いましょう。必ずや、すべての狂えるウサギたちの凶気を鎮め、祖国に平穏を取り戻すと」


 私を取り巻く世界は、決定的に変わってしまった。

 それでも、私にはまだ出来ることがある。立ち上がる理由がここにある。

 最優の聖騎士の足跡をなぞるように。ぴんと背筋を伸ばし、しっかと大地を踏みしめて、私は天幕の外に出た。

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