銀河はそれを愛と呼ぶのか その3
大ウサギ民国に代々受け継がれる宝剣「マルミアヴォーパル」は、「青薔薇の鎧」と並ぶウサギ氏族伝来の神器だ。
遥か昔、大地には巨大な鉄の山が聳え立ち、長くウサギたちの道行きを阻んでいたという。
そこに降臨した神獣アルミラージが、その鋭い角と牙で鉄山を掘り崩し、広い大地を切り拓いた。
ウサギたちはこれに感謝し、砕かれた鉄をもって様々な祭具を作り、アルミラージへと奉納した。
マルミアヴォーパルは、そのようにして作られた祭具のひとつ。またアルミラージを守護するための武装であり、神の力の代行者だけが振るうことを許される聖剣でもある。
刃は神鉄、柄はアルミラージの剥がれ落ちた牙の欠片から作られており、使い手には比類なき剛力の加護を与え、その切れ味は天地万物を両断する。
七星の最強種、"静謐"のジャーリス・アバウォッキ公爵という最高の使い手を得た今、それらの伝説はもはや伝説ではない。
ジャーリスが振るうマルミアヴォーパルの剣光には神威が宿り、一刀の下に岩山の峰をも落とす。
この動乱の時代、ウサギ氏族もまた戦争とは無縁でいられなかったが、ジャーリスは常に完璧に祖国を護り切ってきた。それはジャーリス自身の素養に、マルミアヴォーパルと青薔薇の鎧という究極の武具が組み合わさった確かな結果だった。
宝剣マルミアヴォーパルに断てないものは無い。
次元の歪曲によって一切の通常兵器を受け付けない空間断層シールドすら、マルミアヴォーパルは容易く破壊してのける。
如何なる最新科学の産物も、真の神の奇跡を前にしては全くの無力だ。
だから―――――それは、まさしく異常だった。
「くっくっく」
わざとらしい、芝居がかった笑い声。
白皙の魔王、アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフ。
「……ッ!? な……」
「今……何かしたか?」
何かした、どころではない。
宝剣マルミアヴォーパル。万物を切り裂く神の刃。
ジャーリス・アバウォッキ。ウサギの最強種。
必殺の武装、十全の使い手、究極の剣術、満身の一撃。
超進化生命体あざらしと言えど、今の斬撃を受けて立っていられる存在など、この銀河に存在するはずがない。
それは、当の本獣であるゴマ=ゴマフ以外、彼の仲間でさえ想像していなかった光景だった。
「っ……、この……!」
その場で最も早く混乱から復帰したジャーリスが、すぐさま剣を引き戻す。
直後、もう一撃。再び異常な金属音。あまりに硬すぎる手応え。ゴマの白い毛皮には、傷一つ付いていない。
(―――格が)
関係者席から見守るリンは、率直にそう思った。
三度、斬撃。金属音。ゴマはダメージを負うどころか、中空に浮遊したまま
ジャーリスもまた諦めない。剣を振るう両腕が霞むように閃き、暴風雨じみた怒涛の攻勢が続く。普通のけものであれば、否、たとえ同格の最強種であっても、決して無傷では済まない破壊力の嵐。
(立っている
"静謐"のジャーリスといえば
神威の宝剣と最凶の妖刀という方向性の違いこそあれ、その性能は星団斬りの剣聖、阿修羅神刀斎の「
―――だというのに、斬れない。
神獣の加護をその身に降ろす奇跡、神聖術による
常獣であれば、防御どころか余波だけで全身が衝撃波に削り取られる死の輪舞。
それに何十発と直撃されて一切無傷ということは、七星の最強種の基準からしてもまともなことではない。
「お……おい……、あれ……」
「……斬られてるよな。どう見ても」
「何をやって……いや、何が起きてるんだ?」
「嘘でしょ」
「ジャーリス!! どうしちまったんだッ、そんなあざらし1匹に! 早く殺せッ!! 殺しちまえ!」
悪い方向に冷たくなっていくジャーリスの頭の中とは対照的に、会場の狂熱は混乱と共に大きく増していった。
斬れない。最優の聖騎士ジャーリスが、最強の宝剣マルミアヴォーパルを幾度となく叩きつけて尚、このあざらしを斬れない。
蒼褪めた思考で、ジャーリスは徐々に直感する。マルミアヴォーパルの切れ味には疑う余地もない。神聖術で強化された自分の筋力と感覚も完全に機能している。種族あざらしの肉体は確かに頑強だが、ジャーリスとマルミアヴォーパルの組み合わせを上回るほどではない。それは過去にあざらし防衛戦に出撃した経験が証明している。
「ンン~ン。良い攻撃だァ……。阿修羅神刀斎と並ぶ剣才というのも、あながち誇張じゃないかも知れないねぇ」
だというのに。
ジャーリスは岩山、あるいは戦艦を切り裂いたことがある。その自分をして理解不能な「硬さ」。不条理なまでの防御性能。
それは、実際に―――不条理そのもの、なのだろう。
今日まで無数のけものを殺し、先の戦役では銀河全土を蹂躪し、そして3体もの最強種を破ってきた、あまりにも理不尽な「力」の権化。
生物としての基本性能が、世界に拠って立つ一個の存在としての重みが、宇宙に対して使用できる権利の
ラビメクト聖教のいち僧籍者としては極めて不信心だが、ジャーリスはまさに神という単語を脳裏に思い浮かべた。
世俗の言葉では「
「けど、弱い」
ゴマの小さな双眸がジャーリスの視線と重なる。広大な宇宙の暗黒を凝縮したかのような、2粒の闇の光。
挑発に構わず、ジャーリスが次の剣撃を放とうとした瞬間、ゴマの姿が視界から掻き消えた。
「
神聖術で強化された五感と経験に基づく直感により、背後へと移動したゴマの気配を察知する。
すかさず振り返って斬撃を見舞う―――寸前で、またもゴマの姿が消失し、ジャーリスの身体を四方からの衝撃波が貫いた。
「がッ……は……!?」
「
残心の構え。ゴマは既に攻撃を行った後だ。
ジャーリスの感覚を完全に欺いて、刹那の内におよそ64回の拳打―――それまでにジャーリスがゴマへと放った斬撃と、全く同じだけの回数の反撃。
「
「おのれ……!」
「火の如く」
「ぐぁあああああぁぁぁぁぁぁ!?」
苦し紛れに振るわれた宝剣をひらりと回避し、懐へと潜り込んで、ともすれば「柔らかい」とさえ形容されそうな掌底の一撃。
と同時に、ゴマのヒレが触れた箇所から、猛烈な魔力の放射が迸った。ゴマの宣言通り、深紅の爆炎として顕現したそれが、鎧に包まれたジャーリスの全身を激しく焼く。
「ぁあ……ああああああああ……!! ……ぐ、うぅぅッ……!」
しかし、ジャーリスは倒れない。
青薔薇の鎧。またの名を天獄鎧・ネサルフェリオ。
マルミアヴォーパルと由来を同じくする神の防具は、頑強さのみならず強い癒しの魔力を備え、装着者からあらゆる傷と毒を遠ざける。
「……ッ、……! この―――」
ジャーリスは膝を屈しなかった。宝剣の柄を握り直す。
神聖術と青薔薇の鎧、2種類の治癒の力によって、ジャーリスは無尽蔵とも言えるほどの
「化け物め……!!」
打ち込まれる一撃の鋭さは、戦闘開始時と比べても全く鈍っていない。
「動かざること山の如し」
そして、それがもたらす結果も、最初の一撃と何も変わらない。
甲高い金属音。重すぎる手応え。埃ひとつ落ちない、白亜の獣皮。
「……知り難きこと、陰の如く―――」
「おおおぉぉぉぉぉッ!!」
聖騎士が吠えた。裂帛の気勢と共に、再び神速の連撃が魔王へと叩きつけられる。
ゴマは防がない。防ぐ必要が無い。ジャーリスの剣はこれまで戦ってきたどの最強種にも劣らない、まさしく銀河の頂点に相応しい破壊力を有していたが、ゴマはもはやその程度で命を脅かされるレベルを脱していた。
「シャチ……、シロクマ……」
『SHACHIMITSU,GREASE』
現世とは異なる次元、ある種の亜空間―――ゴマ=ゴマフの
度重なる激戦の末、新たな領域に到達したゴマは、自らの神器に対するさらなる理解を得た。
これまでは戦闘中に
「あざらし」
『Standby,GOMA! ―――Super Combo!』
「逆巻け渦潮、極圏の六花」
『Get Ready?』
星団斬り、阿修羅神刀斎鯱光。
絶対の一、ゴマ=ゴマフと―――蒼炎の天使、セラ。
4体の最強種、あるいはそれに匹敵する超越者の力が、今ひとつとなる。
「スゴイツヨイ・ゴマモルフォーゼッ―――!!」
『Gomaphick-Lize!!』
瞬間、四季が暴走した。
冬が来る。周囲の温度が低下し、瞬時の凍結、大気を構成する分子の収縮。ただそこにある地面すらもが、平常な分子構成を失う。
その場所が、大ウサギ民国の最新鋭技術によって建造された、あらゆる衝撃、気温、気圧の変化に耐え得る国立競技場でなければ、街一つの環境が永遠に変貌していただろう。
『
ゴマフィックライズ・スーパーコンボ、「アトロシアス・ペイル」。
極大の冷気、まさに吹雪そのものを空間中に巻き起こしながら、海を支配する悪魔が降り立った。
水の抵抗を限りなく漸減する、鋭利な曲線のヒレ。歌舞伎の隈取りを思わせる、流線型の、複雑精緻な紋様。
"星斬"と"壊乱"の最強種の力を宿すその姿は、しかし零子刀「ヤルルカーン」と奏星弓「セニキス=ミラオリス」という2つの神器を伴っていない。
『
―――――否。
胸、腹と背、尾。都合3対の流麗なヒレは、しかし酷く歪んでおり、獰悪極まりない
全身から噴き出す冷気は一見無秩序なようでいて、確かに一定の指向性を有しており、直線上における強い突進力をゴマに与えていた。
獲物を引き裂く刃と、自らを「矢」として射出する冷気噴射。ヤルルカーンとセニキス=ミラオリス、2つの神器の力をより直接的に融合させた新形態。
「動くこと―――雷霆の如し! 風・林・火・山・陰・雷! カアアァッ!!」
そして、比喩ではなく、空間が断裂した。
術で鋭敏化されたジャーリスの感覚は、そのとき起こった現象をはっきり捉えていた。
斬撃が起こる。ゴマは無手だが、放たれる手刀の一閃は、ともすればマルミアヴォーパルすら上回る圧倒的な切れ味を誇っている。
真っ直ぐに対象を両断する唐竹割りがひとつ。
初太刀への対処を封じ、広範囲を巻き込む円状の薙ぎがひとつ。
その両方を回避し得る位置取りへの離脱―――をさらに狩る、横方向への払いがひとつ。
極めて巧みな組み立てだが、決して見切れないほどではない。
一の太刀は力の流れを逸らし、二の太刀は足捌きですり抜け、三の太刀を着実に受け止める。
ジャーリスの剣術とマルミアヴォーパルの強度であれば、問題なく防ぐことができる。
「な」
―――そうして放たれた3発の斬撃が、極微の差も無く一切同時に襲いかかって来ない限りは。
初撃にマルミアヴォーパルの刃を合わせた瞬間、残る2つの軌跡が既にジャーリスを貫いていた。
それだけではない。マルミアヴォーパルから異様な手応えが返ってきた。自身に突き刺さった2本の刀傷についても、かつて感じたことの無い激痛が、ジャーリスの全神経を食い破ろうとしていた。
「これにて九つ。阿修羅神刀斎、敗れたり」
一の太刀を完全に受け流したはずのマルミアヴォーパルが、半ばから折れ砕けていた。
続く双撃が青薔薇の鎧の護りを貫徹し、肩口と腰元をばっくりと裂いている。乱雑に引き千切られた内臓から、膨大な鮮血が零れ落ちた。
「あ……が―――」
七星の神器。ジャーリスが纏う
如何に絶対切断の魔剣・ヤルルカーンといえど、ネサルフェリオの防御を一撃で破壊することは困難だ。
ゴマ=ゴマフの異常なまでの戦闘力を加味しても、根本的に道理に合わない。最強種と神器との完全な組み合わせとはそういうもので、だからこそアニマルバースの均衡は保たれていた。
故に、ゴマが使った技の要諦はシンプルだ。
鯱光の技巧とグリスの膂力―――神速のさらに先、超神速の剣術。
かつてかの剣聖が「自分の剣からは時の流れすら逃れられはしない」と称した通り、アトロシアス・ペイルの
3通りの打ち込みを3度、以て9つの斬撃を一呼吸の内に。シロクマの怪力にて放たれた魔剣が因果律の整合性を破壊し、次元は歪み可能性が分裂する。
1つの斬撃を防いでも、そこに内包されたもう2つの斬撃が、全くの同時に、全く同じ箇所を抉っている。そして、同質の攻撃が、3方向から既に叩き込まれている。
―――回避も防御も不可能な、神域の必殺剣。阿修羅神刀斎とは異なる術理によって到達した、ゴマだけの絶対切断。
「ごはっ……、っ、……くぅ……!」
「……とはいえ……。確か、ネサルフェリオの能力は、自らと装着者の自動修復だったよね。さすがに頑丈だな」
ジャーリスは、その生来の肉体強度と、神器・青薔薇の鎧の魔力によって、死の9連撃からどうにか生き残った。
それはジャーリスの他のどんなけものにも成し得ないことで、彼が七星の最強種に列せられる確かな理由だった。
ゴマを前にしては、ただそれだけのことだ。
『
「だったら」
「がふッ!?」
ゴマはおもむろにゴマフィックライズを解除した。
そのまま素手でジャーリスを殴りつけ、地面に転がす。
「ごめんね。死ぬまで殺すから、それが嫌なら早く諦めて?」
彼にとってはもはやウサギの最強種との勝負は決していて、残っているのは神器を回収するための作業でしかなかった。
かつてないダメージを早急に回復させようと、青薔薇の鎧が斬断されたジャーリスの肉体を繋ぎ止めようとする。癒しの力を示す若草色の光。
その上から、ゴマの拳が振り下ろされた。小さな鉄槌が心臓付近を直撃し、ジャーリスの肋骨がすべて粉砕される。
若草色の光。ジャーリスの潰れた胴体が逆再生のように膨らみ、続くゴマの頭突きで再び平らに
若草色の光。魔王は聖騎士の胸元を掴み上げ、地面に向かって叩きつけた。元に戻りかかっていた骨格が歪む。
若草色の光、が立ち昇るよりも早く、ゴマがジャーリスを放り投げた。全身鎧を身に着けた兵士が冗談のように宙へ浮き、競技場の壁面へと激突して放射状のヒビを刻む。
若草色の光。辛うじて修復された右手がマルミアヴォーパルの柄を握り直し、次の瞬間には力を失った。砲撃じみた跳び蹴りの着弾。折れた宝剣が地面に落ちる。
若草色の光。ゴマがジャーリスの長い耳を無造作に引き千切り、怪訝そうな顔をして、すぐに頭蓋骨へと持ち替えた。競技場全体を揺らす衝撃が断続する。
若草色の光。引きずる音。最新のカーボンナノチューブで造られた壁面が、ジャーリスの顔面の皮と肉を削ぎ落としていく。
「あっ……あぁ……、あぁぁぁぁぁ……」
「そんな」
「ジャーリス!! 立ってジャーリス!!」
「もうやめろ! こんなの……こんなの、名誉ある騎士の決闘じゃない!」
「負けるなジャーリスッ!! 戦えェエ!!」
「ゴマ=ゴマフうぅぅ!! お前に誇りは無いのかあァ!!」
若草色の光。粉砕骨折。若草色の光。内臓破裂。若草色の光。左腕切断。若草色の光。全身打撲と内出血。若草色の光。骨折。若草色の光。頭蓋骨陥没。若草色の光。骨折と内臓破裂、脊髄損傷。
若草色の光、死、若草色の光、死、若草色の光、死、若草色の光、死、若草色の光、死―――――。
「―――さて。楽しかったけど、ここまでだ」
この蹂躙劇の始め、ゴマは死ぬまで殺すと宣言した。
青薔薇の鎧は、全体に走った無数の亀裂の隙間から、未だなお若草色の光を捻出し続けていた。光は薔薇の
「終わりにしようか」
ウサギの最強種が有する青藍の鎧とは対照的な、赤黒い火球がゴマの両手に灯った。それは1秒ごとにずんずんと膨れ上がっていき、たちまち競技場の上空すべてを覆い隠すまでに成長した。
邪なる神が世に与え賜う、まさしく破壊と混沌の化身。絶望そのもの。宇宙を焼き尽くす燎原の火。
アリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフというあざらしを象徴するが如き、終局の一撃。
最後の瞬間、ゴマは己の魔力を用いて、眼下のけものたちを守る防壁を生成せねばならなかった。
有象無象の生き死になどはどうでもよいが、競技場に集ったウサギ氏族たちは、この決闘の見届け獣だ。ましてや、彼自身の仲間もその場に居るとなれば尚のこと。
七星の最強種、"静謐"のジャーリス・アバウォッキ公爵などという者への興味は、とうの昔に失われていた。
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