ポップ・ポップ・サテライト その5
―――――シンキシス星系υ星『クトビェル』・シロクマ=シャチ連邦共和国首都『フラノグラト』
フラノグラト=ベリドア刑務所。またの名をベリドア監獄。
ここは重大な犯罪を実行した凶悪犯や、恐るべき謀略を企てた政治犯、銀河に波乱を巻き起こさんとした思想犯などを収容するための施設である。無用な混乱と恐慌を避けるべく、勤める看守たちにすら全容を知らされていないほどのおぞましい所業の数々を為し、極刑ですら生温いと判断された異常者と巨悪が巣食う、魔窟にして秩序の檻。
そして、そんな誰も故を知らぬ受刑者の存在から、『時の為政者らにとって邪魔なけものを鎖に繋いでいるのではないか』との都市伝説がまことしやかに囁かれる秘密の坩堝でもある。
「面会だ。出ろ」
受刑者の一頭、痩せた壮年のシロクマの女が部屋を発った。
名前をベアッカといい、かつては不当に私腹を肥やす権力者を特に狙い、邪に搾取された貧者らへ施しを為す義賊の長だった。拠点としていた鉱山街から発掘されたある品が原因で、共和国軍部の本格介入を招き、率いていた盗賊団を壊滅させられるまでは。
その表情は、ベリドア監獄に収監されている多くの罪人の半分と同様、砂漠のように虚ろで深海のように沈鬱なものだ。
「―――……お久しぶりです、ベアッカ」
座った椅子と強化ガラスの向こう、喪服じみた漆黒のスーツに身を包んだオスシロクマが居る。
彼の左手には
「そうだね。……にしても、相変わらず『頭領』とは呼んでくれないのかい。一番の下っ端の癖に」
「悪い冗談はやめてください。俺まで死刑になっちまったら、俺を逃がしてくれたクマガスさんたちの遺志が無駄になる」
ベアッカにも事情はわかっている。彼女は誰よりも彼とその仲間たちの気持ちを理解しているが、つい無駄な皮肉を口にしたくなるのだ。
今では唯一、彼と話している時だけ、ベアッカの口と心は軽くなる。
「今日は……政府との交渉には、あまり進展がなくって。それとは別に、1つだけ報告があって来やした」
彼の台詞の前半部分を聞いて、てっきり己の死刑執行の期日が決まったとばかり思っていたベアッカは、ほんの少しだけ眉根を上げた。
心当たりは全くない。盗賊団の元・構成員たちは、眼前の彼を除いてみな死亡したか、既に極刑に処されたと他ならぬ彼から聞いている。蹂躙された鉱山街のその後についても、適当な再開発の手が伸びて、普通の住宅地に変えられつつあることをベアッカは知っている。
悲痛な面持ちで押し黙り、貴重な面会時間を浪費する彼に痺れを切らして、結論を急ぐよう促そうとした瞬間、
「グリスさんが、亡くなりました」
津波が起きた。
そう錯覚するほどの感情の嵐が、とうに枯れ果て凪いでいたはずのベアッカの精神にもたらされた。
ベアッカは、鼻先を上げて天を仰ぎ、数度かぶりを振った。やがて顔を俯けた後、監督官が面会時間が残り3分を切ったと告げるまでそうしていた。
「…………。……、死因は」
顔の前で手を組み、そこに頭を預けたベアッカが、囁くような声で言った。
沈黙が破られたその時、面会者はもはや必死の形相だった。次々と溢れ出る感情を無理やりに堰き止め、涙で鼻を詰まらせながら、努めて冷静に話をしようとする。
「あざらし、です。バロライテへの駐留中に……ボンゴマファミリーのボスが…例の超級個体が、カチコミをかけて来たって……っ。狙いは、あの方の持つ神器でした。奮戦も虚しく、最後は……最後は、それより先に奪われていたシャチ氏族の神器で、首をブッた切られて……! し、死体は……ボロボロで! 首が切り離されてなけりゃ……誰だったかも、わかんなかった、と……!」
すべてを聞き終えて―――ベアッカは、静かに目を閉じていた。
面会終了1分前を告げられ、ベアッカは机から腕を下ろし、真っ直ぐに面会者を見据えた。
やつれて往時の美貌は見る影もなく、目の下に浮かんだ隈はこれまでで一番濃かったが、その表情には少しの曇りもなかった。笑みこそ見せていないものの、双眸に覇気とも呼べるような力が湛えられている。
「ありがとう、クマール。よく報せてくれたね」
「頭領……! お、俺、俺は」
「頭領はダメだ。自分で言ったんだろうに。……あんた、今のは見逃してやってくれよ」
強面の監督官は、ただ黙して頷いた。
「もういいよ、それじゃあまたね。あんたもご苦労様―――戻ろうか」
「……ベアッカ!! お疲れ様っしたッ、また来ます!」
くるりと背を向けたベアッカからは、返答も反応もなかった。クマールの嗚咽を背に、女は鋼鉄の監獄へと帰還していく。
その足取りは軽やかならずとも非常に確かで、ベアッカが収監以来初めて見せる、かつて稀代の盗賊として銀河を横行闊歩していた頃の歩き方だった。
1ヶ月後、ベリドア監獄からの脱走者が1名あった。
如何なる方法を用いたのか、彼女は収監室の通気口を通って外へ出た。部屋の天井までに足場や支えとなる物品はなく、通気口それ自体も鉄格子で厳重に封じられているにも関わらずである。
ただちに捜索隊が発足するも、脱走からほどなくして、彼女はフラノグラト郊外の墓地にて遺体となって発見された。
検死解剖によって違法薬物の
尚、この事件と直接の関係があるかは不明だが、遺体のもう一方の手には3本の白い花があったという。
――――――――――――――――――――――――――――――
「うひょ~、さすがだなゴマ。あの馬鹿でかい光の柱をブッた切っちまうなんてよ」
「せやろせやろー。もっと褒めてー」
「ゴマフライザーの力で、新たな形態を獲得していましたね。解析させてもらってもよろしいですか、ボス?」
「サカモトにもかしてー」
「はっはっは愛い奴らよ、よいよい存分に見るがいい。でも危ないから坂本には貸さない」
「けち!」
「代わりに君にはこのバームクーヘンをあげよう」
「わぁい、ゆるした」
戦闘を終えたゴマと合流した。
色々あったが、今回に限っては素直に助けられたと思う。あの空から降ってきた光の柱―――奏星弓セニキス=ミラオリスの担い手、グリス・ナヌラーク・ポラベラムが仕掛けたと思しき攻撃は、明らかにこの地上全土を巻き込んでの破壊行動だった。
「…………。……あの………、その……さ」
―――認めてしまうのは甚だ遺憾だし、実際アイツとしては自分の身を守るためにやっただけなんだろうけど、最低限の筋は通したい。
多分、こういう時にちゃんとこう言えないと、私は私であることが出来なくなる。そうなったらきっと、私はゴマやあのギャングどもと同じ、欲望のまま無軌道に振る舞う怪物に堕ちてしまう。
それはなんというか……リボーヌを殺したコイツに頭を下げるより、もっと深刻で最悪なことだから。
「? なに?」
「いや……。―――……助けてくれて、ありがとう。そんだけ」
一瞬、私を除くボンゴマ全員が、鳩がレーザーガンを食ったような顔をした。
案の定気まずくなり、私は咄嗟に顔を逸らした。背を向けた後ろから、何やらひそひそと話す声が聞こえる。
「あーっ、もう……! 知らないっ!」
なるべく早くここを離れよう。次の星に行って、新しい最強種と戦う準備が始まれば、この変な空気からも逃れられる。
S.D.ロンリネスの後部座席に乗り込み、窓枠に頬杖を突いて外を眺める。眺めると言っても、あんまり見ていて気分の良いものではないけれど。
あの明らかにヤバげな光の柱は、ゴマの放った必殺技で威力を相殺されて尚、無数の細かい熱線と化して地上に降り注いでいる。次の星うんぬんとかを抜きにしても、一度安全な場所に逃げた方がよさそうだ。
あちこちで上がる火の手に眉を顰め、ぴょこぴょこと歩いて(ゴマに限っては、這いずって?)くるゴマたちの様子を窺う。遠くに見える街から視線を外し、連中の方へ振り返ると、
「……え?」
ゴマたちは奇妙な場所にいた。
ついさっきまで、ここはバロライテの街の郊外にある山林地帯だったはずだ。
それが今や、森も山も存在しない平地になっており、西側に見えていた街は綺麗さっぱり消失している。正確には、風景の中に林のようなものだけはまだ認められるが、広大な原野の各所にまばらに木が生えているだけとなっているのだ。
というかそもそも、バロライテの今の時刻は夕暮れ直後だ。頭上には煌々と輝く恒星が浮かんでおり、雲一つない青空を照らし出している。バロライテの1日は旧第11銀河基準暦法で約30時間、こんなにも早く夜が明けることなど有り得ない。
「な……に、これ」
ゴマたちもこの現象に心当たりがないらしく、すっかりあたふたしている。
急いで降車しようとしたが、辛うじて冷静さを保っているらしいウーノに手の仕草で制された。
そういえばこの改造クラシックカーは下手な装甲車よりも頑丈なので、不慮の事態に遭った時はとりあえず車内に逃げ込むことも選択肢に入るのだ。
「よ、よくわかんないけど早く!! 乗って逃げよう!」
あたふたぴょこぴょこしながらモタモタ近付いてくる馬鹿どもを受け入れるべく、ドアを開けて手招きする。……あんなに遠い位置に居ただろうか?
一向に距離が縮まないものの、必死に走っていることはわかるゴマたち。じれったくなってS.D.ロンリネスを飛び出し、合流すべく走り出そうとして―――。
「……マジかよ。早くもボスラッシュ?」
「おーい……!! 何やってんのあんたたち、行くよ……ッ!?」
轟。
地面が揺れる。大気が震える。周囲に広がる原野から鳥が羽ばたき、獣が走り始める。
彼らはみな一様に同じ方向へ去っていく。それはこの地震がやってきているのと反対の側であり、まるで地平線の彼方から迫る『何か』から逃げているようだった。
しかし、発せられる振動は逃げる暇もないほどに強まっていく。遠くで岩盤のようなものが捲れ上がっているのが見えた。それに弾き飛ばされた動物の悲鳴が聞こえてくる。
「―――動、物? ……獣人じゃなくて…?」
刹那、500m先の地面が爆発した。
膨大な土と岩と礫を撒き散らしながら、『何か』が私たちの眼前へと躍り出る。
最初は影であり、長く分厚いその体躯が恒星の光を遮って、私たちの周辺だけが夜に戻ってしまったみたいだった。
次に見えたのは、眼だ。私を縦に10人並べてもまだ足りない、途轍もない大きさの眼球が、私たちを一斉に睨めつけた。
圧倒的強者、絶対的捕食者に捉えられたことを予期させる、恐怖。然して、その瞬間に感じた"死"の気配の濃度は、UFO戦艦がゴマトピアに現れた時よりも……グリスが放った光の柱を見た時とさえ比較にならない。
跳躍、なのだろうか。たっぷり30秒以上もかけて、『何か』は私たちの頭上を通過していった。
「うわぁっ!?」
やがて立っていられないほどの衝撃が訪れ、巻き起こる砂塵の嵐からたまらず顔を庇う。
そうしている間にも地震は続き―――否、規格外の巨躯とそれに見合う超重量を備えた『何か』が身動ぎする度に、下敷きとなる地殻が狂乱して悲鳴を上げているのだ。
突如として起こった事態に、わずかでも真っ当な反応を示すことが叶ったのは、この場でアリュゾホート・マグサリナス・ゴマ=ゴマフただ1匹だった。
彼は、今まで見たこともないような表情をしていた。恐らくは私一人だけではなく、彼の仲間であるボンゴマファミリーも、彼の暴威を知るすべての獣人たちも見たことのない顔だっただろう。
「……"陸王"、ゼドゲウス―――――」
己が名を呼ばれたその蛇は、銀河の果てまで木霊するが如き咆哮で以て応えた。
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