4. トーン・ポリシングと丁寧な罵倒
A:犬を殴るなと言ってもわからない馬鹿が。
B:Aは乱暴な人間だ。こちらが丁寧に応じているのに罵倒するなんて。
トーン・ポリシングはすでに著名な概念だろうから、説明は不要だろう。正当な怒りの感情をやり玉にあげ、相手を乱暴な人間であるかのように言いつのる詭弁である。もちろん、いままさに犬を殴っている人間にキレてもなんら不当ではない。
B:馬鹿が、死ね。
A:そんな暴言を吐くな。
B:そんなことを言うのはトーン・ポリシングだ。
トーン・ポリシングの変形として、罵倒への批判をトーン・ポリシング扱いするというものがある。これはBが意図してやっているというより、正当な怒りと不当な怒りの区別がついておらず、ただ最近覚えた言葉を使っているだけである。
トーン・ポリシングか否かを区別するのは、その怒りが正当かどうかである。これはケースバイケースと言わざるを得ないが、動物を虐待するような人間や差別主義者に中指を立てるのは、たいていの場合正当な怒りである。
A:Bはとんでもないウソつき野郎だ。大概にしろ。
B:Aは本当のことを決して言わない人間ですね。そろそろその態度を改めるべきでしょう。
慣れた詭弁屋は、単にトーン・ポリシングという概念を振り回すだけのことはしない。彼らがむしろ好んで使うのは、例に挙げたような丁寧な罵倒とでも言うべき言葉である。
例ではAとBがそれぞれ相手に言葉を投げかけている。ぱっと見、Aのほうが荒い言葉を使っているように見える。だが中身を見ると、言っていることには大差がない。つまり、両方ともそれなりに罵倒である。
Bの発言で注目すべき点は、Bが表面上は丁寧な言葉を使い、さも罵倒していないかのように見せかけているという点である。実際には罵倒にもかかわらず、この丁寧な罵倒は周囲に対し、自分は丁寧に応じているという間違った印象を与えることができる。
この丁寧な罵倒は、SNS上における「議論」で特に威力を発揮する。運営が未熟なSNSは、アカウントの制限や凍結を表面上の言葉遣いだけで判断することが多い。ゆえに、中身は同じことを言っていたとしても、実際に凍結される可能性が高いのはBよりもAであるという事態が頻発する。
誠実なものは、その誠実さから、相手の不誠実に対し順当に怒りを覚える。怒りを覚えれば言葉遣いも荒くなりがちになる。一方、詭弁屋は不誠実なので怒りを覚えるということが、少なくとも不誠実に対してはない。ゆえに、相手の罵倒も馬耳東風で「表面上は」丁寧な言葉遣いを維持する。
その結果、AのみがSNS運営に目を付けられ、アカウント制限の憂き目にあう。実際には不誠実なのはBのほうなのに、そちらは無視される。そうしてアカウントが凍結されると、Bは自分が正しかったと喧伝するのである。
このような問題を解決するためには、そもそものSNS運営の仕組みから変えていくほかない。差別主義者に「死ね」というのは言葉は荒いが正当な怒りである。一方、差別主義者が外国にルーツのあるものに「出ていけ」と言うのは、言葉は荒くないかもしれないがただの差別であり、止められるべきである。このように中身に注目して裁定しない限り、姑息な言い回しを生み出し続ける詭弁屋を止めることはできない。
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