3. 「明らかにできない」特性に乗じる

A:このような被害の告発があった。

B:それは嘘だ。その告発をしたCはかつても虚偽を言っていた。


 これはネットであまり目にする機会があるタイプの詭弁ではないと思う。だがこれに類する性質を持つ詭弁はわりあい容易に使われうるし、今後の社会でも重要な要素を持つ可能性がある。なにより、私自身が目にしたことのある事例としてここに挙げておこう。


 数年前からのムーブメントで#metooという、性被害を告白するものがある。説明は不要だろう。#metooに限らないが、この手の告白や告発は、それ自体慎重に扱われなければならない。


 具体的には、告白をしたものが誰で、どんな内容であったかという点は軽々に明らかにすべきものではない。告白したものが望まない限り、加害者を明らかにして罰することすら保留をつけて動かなければならない。そういう類のものである。


 それは裏を返せば、#metooのような告白はその場限りの聞きっぱなしだからこそ可能であり、そのような状況での告白でも吐き出すことで被害者の心を幾分か軽くする機能があるということを意味している。


 ともかく、性被害の告白にせよ、それ以外の被害の話にせよ、物事には軽々しく公にできない種類の話があるということは押さえておくべきだ。同時に、詳細は明らかにできない場合であっても、告白があったことそれ自体は明らかにされることがあるし、その場にいた人によって否応なく共有されることもあるだろう。


 詭弁屋は、このような微妙な立場につけ込むことを得意としている。


 具体的にはBのように、告発をした者を取り上げ、その者が別の場面で悪いことをしたと述べたり、告発それ自体が嘘であると述べたりするのである。


 問題は、そもそもこの例において、告白をした者がCであるかどうかすら定かではなく、Aもそれを明らかにできる立場ではないということだ。AはBに反論したくとも、Cが告白したかどうかすら明言できず、ましてや告白の内容を細かく明らかにして擁護することは到底叶わないので、Bの主張に黙りこくるしかない。


 Aの態度は、告白を聞いた者の振る舞いとして実に妥当な、誠意あるものである。Aの対応には何の問題もない。だが、誠実さは詭弁屋にとって何の役にも立たない。沈黙を肯定と勝手にとらえ、「勝利宣言」をすることになるのである。


 この詭弁は、単に詭弁屋が個人への悪評をばら撒くという以上に、告白とそれを保護するルールを破壊するという点でも極めて醜悪かつ有害なものである。Aが仮にBへ反論しようとすれば、それが善意からくるものであっても、告白を保護するルールを踏み抜かざるを得ない。そうなれば、それをしたAの動機にかかわりなく、告白をする者はその後安心して告白をすることができなくなる。


 このような詭弁を防ぐためには、この詭弁を振るうことそれ自体がとんでもない悪行であると再三繰り返さなければならない。もちろん詭弁屋とその取り巻きは理解しないだろうが。

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