第1章 「議論」の前提と下準備
前提1 「議論」が目指すのは「論破」である
まず、第1章では「議論」の前提について説明していく。そして、その前提に基づいて彼らが行う、「議論」の下準備も明らかにしていく。
もっとも、ここでいう「議論」は通常の、有益な議論とは異なる。なので、本論では通常の議論と区別するために、無益な詭弁だらけのものを括弧つきで「議論」と表現する。
ではまず、本節では「議論」の目的を整理しよう。
はじめに書いたように、通常の議論の目的は、異なる意見をぶつけ合うことで互いの議論を深化させ、ときに新しい視点を得ることである。意見は反対意見に応じることで、より隙のない洗練されたものになる。
だが、「議論」の目的は違う。この目的はただひとつ、相手を「論破」することである。
勘のいい読者なら、「論破」にも括弧がついていることに気づいただろう。もちろん、ここでいう「論破」は辞書的な意味ではない。
論破とは通常、論理的に相手の矛盾を突き、誤りを明らかにすること、あるいはネガティブな側面を強調するならば言い負かすことを指す。だが、後に説明するように「議論」が論理によって成り立っていない以上、「論破」もやはり論理的に相手の矛盾を云々などということを意味しない。
「論破」とは、とにかく様々な方法を用い、勝ったと宣言できる状態を作り上げることである。
換言すれば、「議論」が最終的に目指すものは勝利宣言に他ならない。議論の中身はともかく、勝利宣言できればそれでよい。
なぜ、そのような外形的な勝利宣言を目指すのか。それは、詭弁屋(ここではこれ以降、「議論」での勝利を志向するものをこう呼ぶ)が「議論」を通じて、他者からの承認を得ることを目的としているからである。彼らはフォロワー数やRT数でそれを得、場合によっては有料のメルマガなんかを配信して金に換える。
もっとも、なぜそんなことをするのかと私に問われても困る。詭弁を吐き続けた先にある承認など、人間性を質に入れるにしては安い対価であるように見える。まっとうに勉強して専門性を身に着けたうえで発信し、それによって承認を得るほうが確実でいいと思うのだが……単に、微かな勤勉性に見合わない巨大な功名心があるせいかもしれない。
ともあれ、「議論」の目標が「論破」という名の言い負かしと勝利宣言にあることは理解してもらいたい。この時点で、詭弁屋をまともに相手取ることの無益さがわかろうというものである。
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