第2章 言葉と論理の法則を破壊する

はじめに 最も簡便な詭弁

 さてここからはお待ちかね、詭弁の技術を1つずつ取り上げて丁寧に破壊していくコーナーである。最初に取り上げるのは、ある意味では詭弁の花形である「言葉の破壊」である。


 前章で、詭弁屋が目指すところの1つは勝者としての振る舞いであると述べた。そのために重要なのが、議論が成立しているという「ふり」である。言葉のやり取りがいつまでも続いているという「見かけ」は、支持者に議論の成立が続いていると誤解させ、自他が同程度に渡り合っていると勘違いさせるのに有効である。


 そのために重要な手法となるのが、言葉の破壊である。通常、会話というのは相手の発言に応じた返答しなければならないものである。故に、相手に応じれば自分に不都合な発言をするしかないとき、人は言葉を濁し黙りこくるほかなくなるということもある。が、言葉を破壊すればそのようなことはなくなる。相手に応じなくてよくなれば、一方的に自分の好きなことをまくしたてられるからだ。そうすれば、議論が続いているという「見かけ」を維持するのはたやすい。


 同時に、支離滅裂で意味不明な言葉の羅列は、議論相手の応答コストを極大化し、うんざりさせるのにも一役買う。会話不能と相手が順当に理解して議論から遠ざかったとしても、勝利宣言には充分である。


 このような言葉の破壊は、最も簡便だが最も悪影響のある手法といえる。最悪なのは、この手法が破壊するのが、論理や言語法則といった、自明であるはずなのにもかかわらず目に見えず判然としないものであるという点である。


 例えば、我々はふつう、おはようございますと言われれば朝の挨拶であると認識する。そう認識しないものはどこかおかしい人間であるとさえみなされるだろう。だが、どうしてそう認識するのかという理由を、根拠を用いて論じられる人物はまずいまい。常識を改めて説明するのは困難で、コストのかかる行為である。


 詭弁屋はこの特徴を狙う。おはようございますというフレーズが朝の挨拶ではないと強弁し、支持者もそうだそうだと囃し立てる。こうなったとき、誠実な論者は自分の真意を彼らに説明することも、自身の正当性を周囲に示すことも極めて困難で回りくどい状況に置かれる。だが放置すれば、言っていないことをあたかも言ったかのように流布され、名誉を毀損される。


 つまり、発言が真意とは明らかに異なる取られ方をしても、それが誤りだと説明するのは難しい。もちろん、常識的には明らかに異なる取り方をするほうがどうかしているのだが、そのような常識が通じる相手ならそもそも明らかに異なる取り方などしないのである。


 当然、おはようございますを朝の挨拶とみなさないような事例は極端で分かりやすい。だが、このような詭弁が巧妙な場合、なまじ常識と習慣に依拠しているために、論理の破壊とすり替えが行われたと周囲も気づかないという場合が起こりうる。


 かくして、詭弁屋は誰にも気づかれることなく、しれっと相手の主張を捻じ曲げ自分の都合のいい方向へ話を誘導することが可能になるのである。

 そういう事態を避けるためにも、言語の破壊は最も注意を払って対処しなければならない詭弁である。

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