4. ここが中世であるかのように振る舞う (人権の無視)

A:いくら犯罪者だからと言って、死刑にするのは権利の侵害ではないか。

B:なぜ人を殺してはいけないのですか?


 この詭弁は基礎的な知識の欠如という点において、やはりSealioningによく似ている。違うのは、以下の例のように質問形態をとらない場合もあるという点と、詭弁屋本人が人権を無視していいと確信している節があるという点である。


A:子供を殴るのは権利の侵害だ。

B:子供を殴ってはいけないという暗黙の了解を疑うべきだ。


 近代社会は、全ての人には生まれながらに権利があるという前提で組み立てられている。人権はあくまで架空の概念だが、よくできた概念だし全ての人に利益があるので、それを前提として社会を作ろうということになっている。日本も例外ではない。


 このような背景がある以上、人権の存在は「地球は太陽の周りを回っている」のと同じような確固たる事実として扱われるべきである。

 だが詭弁屋は、そもそも権利意識が皆無なので、平気でこの原則を無視する。


 厄介なのは、概念や専門用語を粗雑に扱う詭弁同様、人権という概念を改めて説明するのが困難であるという点である。我々は人権を当たり前のように理解しているが、その存在を根拠を持って示せと言われると難しい。法哲学の専門家でないと無理ではないだろうか。


 そういう困難がある以上、詭弁屋が「人権があるという証拠がない」と言えば、実際にそうなるという構造が出来上がる。はたから見ると詭弁屋がただ間抜けなことを言っているだけなのだが、彼らの取り巻きはそうは思わないのでそれで十分なのである。


 また、普段議論の俎上にあげられる物事の多くは、実のところこの人権を前提としている。フェミニズムから表現の自由、死刑制度に政治制度の在り方など、全てが「あらゆる人が平等である」ことを出発点としており、言外の土台としている。


 これを否定することは、すなわち議論の前提を崩壊させることである。フェミニズムの議論をしているときに、相手が「そもそもなんで男女が平等じゃないとだめなの?」と言い出したら、うんざりすること間違いなしである。


 次の節で扱うように、詭弁屋の一部は当たり前を疑うことが賢い者の振る舞いであると信じている。それ自体は間違いではない。ただ、彼らは愚かなので適切な「懐疑」を働かせることができないのである。

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