第5章 相手をうんざりさせる

はじめに 応答コストの無限増大

 いよいよカタログの最後に踏みこむ。ここまでくると、やはりもう詭弁ではない。前の章では相手の印象を操作し悪魔化する手法と取り上げたが、ここではより基本的な手法として、相手の応答コストを増大させ「うんざり」させる手法を取り上げる。


 冒頭で、詭弁屋が目指すのは「議論」に勝利したというポーズをとることであると言った。そのために一番簡単なのは、相手から「議論」を降りてもらうことだ。彼らの世界では「議論」を降りることがすでに降参することと同義として扱われているし、何より相手がいなくなればそのあとは言いたい放題、何を言おうが反論されることがないので都合がいい。


 そういうわけで、彼らはあの手この手で議論相手の応答コストを引き上げようと試みる。注目してほしいのは、この手法が「自分は簡単に、相手は手間がかかる」ように組み上げられているという点である。


 応答コストが増大することの何が問題なのかという意見もあるかもしれない。「議論」をするのであれば、言葉を尽くすのは当然であるという主張である。だが、ここで重要なのは、応答コストの増大が必ず不均衡な形で起こっているということだ。これらの手法は必ず、詭弁屋が最小のコストで、誠実な討論相手のコストを最大化するようにできている。


 この不均衡こそ問題なのである。議論は本来、対等な者同士のやり取りであるべきだ。不均衡が生じるのはフェアではない。一方に言葉を尽くすことを求めるのであれば、もう一方もそれ相応に言葉を尽くすべきである。


 もちろん、詭弁屋はこのようなフェアネスなど理解しないので、議論のあるべき姿も理解していない。そもそも、これはあくまで括弧なしの本来の議論のあるべき姿であって、詭弁屋が行っている括弧つきの「議論」とは違う。


 括弧つきの「議論」では、それっぽく振る舞うことこそが重要なのであり、議論におけるあるべき姿やフェアネスは全く重んじられない。いわばゲームのルールが違うのである。


 しかし応答コストの不均衡にこそ、むしろ相手に付け入る隙があるとも言える。ここから先の手法はすべて、例を見るとよくわかるのだが、あまりにも馬鹿っぽい。応答コストの不均衡を狙うのであれば、詭弁屋の側は基本的に言葉足らずにならざるを得ないからである。相手の応答を引き出すために自分が言葉を尽くしては本末転倒である。


 そのことに気づきさえすれば、あとは簡単である。ただ相手が馬鹿だと強調すればいいのである。


 もっとも、その罵り言葉を詭弁屋たちが理解するという保証はないが……。

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