1. 否定された主張の繰り返し

B:犬は爬虫類である。

A:いや、犬は哺乳類だ。

B:しかし犬は卵を産む。


 相手をうんざりさせる類の手法で最も多いのが、一度否定された主張を何度も繰り返すというものである。これをやられると、相手は壊れたテープレコーダーと会話している気分になり、「議論」からの離脱率が一気に跳ね上がる。


 普通の議論であれば、新たな根拠が登場する場合を除いて、一度否定された主張が復活することはない。そのような繰り返しには何の意味もないからである。とはいえ、「議論」であれば話は別だ。


 「議論」は勝利のポーズを希求する。そのために必要なのは、「議論」が続いているかのような見かけである。そのため、同じような主張の繰り返しでも、やり取りが続いているような見かけを作り出せるのであれば役に立つのである。詭弁屋にとっては、だが。


 もちろん、まったく同じ文言を繰り返せば流石にバレるので、例のように詭弁屋は少しずつ言葉を変えて、さも新しいことを言っているかのように装う。むろんそれは装いに過ぎない。上に挙げた例では、Bは言葉を変えているものの、それは結局Aが「犬は哺乳類だ」と否定したことに含まれる内容でしかない。


 誠実な討論相手は、このような繰り返しを「相手がこちらの主張を理解していない」ためであると受け取る。そのため、さらに言葉を尽くして説明を試みるのだが、相手は理解していないのではなく理解する気がないのであるから、無駄な努力に終わる。こうして、誠実な討論相手ばかりが一方的に疲弊するのである。


 このような不毛なやり取りは、ネットの「議論」の特性をよく利用している。ネットの「議論」を眺める者が、その「議論」の流れを最初から最後まで丁寧に追うことはまずなく、ぱっと目に入ったところからのやり取りだけを見るという特性である。普通、同じことを繰り返していれば間抜けに映るが、「議論」が断片的にしか見られないというのであれば、そもそも同じことを繰り返していると認識されない。同じことを繰り返していると認識されないのであれば、この詭弁の最大のデメリットである「アホっぽい」という部分が消滅し、詭弁屋はやりたい放題になる。


 さらにこの手法が優れて (?) いるのは、「嘘を100回言えば真実になる」ということも同時に実行できる点にある。否定された主張でも何度も繰り返せば、まるで傾聴に値する主張であるかのように見える。堂々と主張することで、否定されたこと自体もなかったかのように振る舞うことができるのである。


 しかし、詭弁屋自身がここまで述べたような意図を持ってこの手法を使っているかどうかは非常に怪しい。単に自分の主張が否定されたことを気付いていないだけという可能性のほうが高そうだ。

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