第3章 統計と研究を曲解する
はじめに (個人的に)最も許しがたい詭弁
第2章は言葉や論理の上での詭弁を扱った。続く第3章では、数字や論文を扱った詭弁を取り上げていく。
この章は、ほかの章に比べて特に力が入っていることだろう。それは私の専門分野であり、同時に最も許しがたいタイプの詭弁であるからだ。
前の章で、言葉や論理の詭弁がそれらを破壊すると書いた。数字や論文を使った詭弁も同様である。彼らが面白半分に学問を扱えば、学問そのものへの不信を生みかねない。「○○学」の看板で荒唐無稽が垂れ流されれば、その学問を専門としないものには見抜きがたい。そうなれば、「○○学」全体を疑ってかからなければならなくなる。
なにより、このような詭弁は長年の専門的訓練を受けた者たちへの冒涜である。医師免許もないのに手術室へ入り、メスを手にする権利があると嘯くようなものである。専門家でなければ学問を論じてはいけないわけではない。だが、誤りを口にして憚らないのであれば、追放されなければならない。
ここで扱う詭弁は主に2種類ある。1つは統計数字に関するものだ。数字の差や専門用語の曲解によって、彼らは自説に根拠があるかのように振る舞う。そして実のところ、詭弁屋でなくともミスが多いのがこの分野である。研究者ですら間違っているといわれるほどだ。この詭弁を知ることは、ネットの議論を超えて役に立つだろう。
もう1つは研究論文を扱う詭弁である。
なんとなく、相手が論文を出して来たらそこで決着。というような風潮がないだろうか。実際には、詭弁屋は論文著者すら見ていない。私は相手が「誰それの論文だ」と出してきたものが全然違う著者の手によるものだったということを経験している。
当然、中身など読んでもない。だからこそ、論文というエビデンスが出てきたときは、むしろ彼らの不誠実さを明らかにする好機でもある。その分野にあまり明るくなくとも、ポイントを押さえれば「その論文がエビデンスとして妥当か」どうかをざっくりと判断するくらいはできるようになる。
このタイプの詭弁は、すべて見かけ倒しである。だから、中身を丁寧に検討すれば突き崩すことは容易である。問題は、その検討に時間がかかり、デマを流す側はその間に何度も別のデマを流すことが可能であるという点だ。また、時間がかかるということは相手をうんざりさせ、議論から降ろすことができるということでもある。
もっとも、専門家にでたらめな論文を示すようなことがあれば、それが彼らの最後になるが。
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