ネットで「議論」に勝つ方法:詭弁のカタログ
新橋九段
はじめに
非常に面倒で、決して誇ることではないのだが、私はネット上で様々な「議論」を戦わせてきた。
別に議論がしたいわけではなかった。ただ、筆者は一応犯罪学者の末席を汚す者である立場上、特に犯罪に関する明らかに誤った主張には、それは違うと指摘せざるを得ない事情があった。職業倫理である。それがいつの間にか、訳のわからない反応とともに「議論」に巻き込まれていった。
不思議なことだが、ネットで議論をしたがる人ほど、議論の俎上にあげた分野について驚くほど無知である。そういう事情があるから、彼らとの「議論」に限って言えば、私は完勝を収めてきたといっても過言ではあるまい。
誇れるものではない。ハイハイを始めたばかりの赤ん坊に徒競走で勝って喜ぶ者はいない。
私に議論を吹っかけてきた人々の大半は、私に反論されると同じ事を繰り返し、意味不明な発言に終始し、根拠のないことを断言し、ついにはただの罵倒に至る。「客観的に」見れば、そういう人間が議論の勝者として扱われることはまずない。議論にいちいち勝敗を持ち込むという行為それ自体が、さほど意味がないことであるというのはこの際さておくが。
しかし、彼らの反応を見る限り、彼らは自分こそが議論の勝利者と信じて疑っていないらしい。これは奇妙で信じがたいことだ。大学生のレポートであれば落第するような主張を繰り返し、挙句意思疎通を放棄しているにもかかわらず、どうやって議論に勝とうというのだろうが。サッカーをしているのに、ボールを手で抱えてコートをひた走り、あらぬところでトライを決めているようなものである。
はなはだ不思議な気持ちとともに、私はそういう彼らとのやり取りを進めるうち、あることに気づいた。
それは、我々が一般的に考える議論と、彼らの考える「議論」がずいぶん違ったものになっているということだ。
さっきも書いたように、通常、議論において勝ち負けを決めること自体があまり意味のないことである。議論とは主張を交換し、誤りは正し、意見をぶつけ合うことでそれぞれの考えを前進させる行為である。
そのような前提に立てば、根拠もないことを延々と繰り返したり、罵倒に走るという振る舞いは全く効果がないどころか、人間性を疑わせ、その人物が議論の参加に値しないことを決定づけるだけである。これは勝敗以前の人間性の問題だろう。
しかし、彼らの考える「議論」はそうではない。彼らにとって「議論」は周囲の人間から賛辞を得、目立ち、あわよくばメディアに取り上げられ金を儲ける機会を得るための踏み台に過ぎない。
実際に、彼らの戦略はおおむね功を奏している。ある「論客」は商業誌に記事を書き、あるものはイベントを主催し、あるものはメディアにインタビューされて顔を売り、金を得るのである。
そのような彼らの振る舞いは、議論の前提を破壊し、本来真剣に考えられるべき問題を「茶番」に貶め、社会を後退させるものである。このような振る舞いは許されるべきではないが、厄介なことに、このような「議論」を行うものの数は相当多い。多いからこそ、彼らの戦術が成功し、マネタイズできるともいえる。
しかし、希望はある。
それは、彼らの振る舞いがたいてい決まりきったパターンであり、独創性に欠けるという点である。まぁ大抵の場合、彼らは「論破に便利な言い方」を経験的に会得しているに過ぎず、それを延々と繰り返しているだけである。
つまりそのことは、一度パターンを書き出してしまえば、あとはそれらに当てはめるだけで彼らの振る舞いを分解し、戦術を無効化できるということを意味する。
であれば、私のやることは1つである。
これは、私の長年の経験から収集した、詭弁のカタログである。詭弁のカタログと言っても、彼らの「議論」を支えるのは論じ方だけにとどまらない。故に、前提から環境づくりに至るまで、彼らを支えるあらゆる「詭弁的なもの」を収集することを試みた。
この作業をもって、彼らの「議論」に付き合わされた無益な時間を有益なものに転換し、供養したい。南無阿弥陀仏。
ネットの議論に巻き込まれた者であれば誰でも、「なんとなくおかしいと思うがはっきり言葉にできない」気持ち悪い主張に出会ったことがあるだろう。私もそうだ。それは大抵の場合、詭弁の技術が使われており、論理的に崩壊しているにもかかわらずそうとは悟らせないように工夫されているから「なんとなくおかしいと思うがはっきり言葉にできない」のである。
だが、これを読めば、おおむねそのような詭弁の正体がわかるはずである。実際には、本論で取り上げた詭弁は大抵、複数が組み合わされて使用されていることも多く、本論で紹介するようにきれいさっぱり切り分けられるものではない。しかし、詭弁の骨子を知っておけば、その気持ち悪さを言語化することができるし、相手の欺瞞を見抜くこともできるはずだ。
なお、ネット上の議論とは言ったが、本稿では特に断りのない場合、Twitter上での議論を想定したものであることを念頭に置いてほしい。
本論では第1章で、まず詭弁の基礎をなす前提と下準備について取り上げる。この前提を理解しなければ、彼らの詭弁の意味を理解するのは困難だろう。
第2章では論理を破壊するタイプの詭弁を、第3章では統計や研究の知見を破壊するタイプの詭弁を取り上げる。これらはそれぞれ、言葉や概念が本来指し示すものをずらし、捻じ曲げることで共通理解の上で成り立つ意思疎通ツールである言葉を破壊し、その場の議論だけではなく社会そのものを滅茶苦茶にするものである。
続く第4章では議論相手を悪魔化する手法を取り上げる。いわゆる印象操作全般がここに含まれる。第5章では相手をうんざりさせることで議論から降ろす手法を取り上げる。これらは狭義の意味での詭弁ではないが、碌でもない「議論」の手法なので取り上げた。
本論では、主に詭弁の意図とその効果を解説する。とはいえ、中でも何度か述べるように、詭弁屋が意図的にこれらの詭弁を使っているとは限らない。むしろ非意図的に、なんとなく不誠実な振る舞いをした結果、ここに登場する詭弁のかたちとなった可能性のほうが高いかもしれない。とはいえ、それはどうでもいいことである。故意だろうが事故だろうが、詭弁の罪深さに変わりはない。
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