8. 検証が面倒なエビデンスの提示
B:根拠となる論文はこれです。英語ですが。
これは最も単純に、相手の応答コストを増大させることができる手段である。検証に時間を要するエビデンスを提示することで、相手に労力をかけさせるのが目的である。
別に、英語論文をエビデンスとすることそれ自体が問題なのではない。問題は、彼らがこのような論文を全くと言っていいほど自分で読んでいないということである。日本語を適切に扱えない人々が、外国語で書かれた学術論文を読めると信頼できるだろうか。
すでに述べたが、酷いときには著者の名前すら確認していないのである。
この手のコスト増大はもっと他にも例がある。例えば、
B:証拠はハーバード大学のジャクソンが行った研究です。
B:カナダの政府機関が調査しています。
これは論文にたどり着くまでに必要な情報を少ししか出さない例である。ハーバード大学にジャクソンが何人いると思っているのだろうか。
それでもまだ、論文であればGoogleが力を貸してくれて、何とか探せることも多い。だが、どこそこの政府機関が調査したとかになると探し出すのはほぼ困難である。その分野の専門家でなければ難しいだろう。
B:これが証拠です。(ダウンロードできない論文)
最近はオープンアクセス、つまり誰でも読むことのできる論文も増えている。だが、全てがそうではない。中には購入しないと読むことができない論文もまだある。
なぜ彼らは、そういう読むことのできない論文を堂々とエビデンスにしてしまえるのだろうか。もちろん、読んでないからである。あるいは、アブストラクトだけとか、別の論文で引用されているだけの状態でもエビデンスになると勘違いをしているのである。
この詭弁を打ち破るのは、実はたやすい。誠実な論者が読むことのできない論文を、不誠実な詭弁屋が読めているわけがないので、単に読んでいないと指摘すればいいのである。購入が必要な論文を読んでいないのは確実だろう。あるいは、私はかつて、詭弁屋がエビデンスとした論文の原典を探し、それがアメリカの大学図書館にのみ存在することを突き止めたことがあるが、こういうものを彼らが読んでいるとは到底思えない。
面倒なのは、彼らが論文の中身を一切気にしない人々であるため、読んでいないという指摘が何ら意味をなさないということである。中身がどうでもいいなら、読んでるかどうかもまたどうでもいいのである。
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