7. 専門用語の収奪

B:「性的搾取」などという造語を使わないでほしい


 ここまでの詭弁は統計と数字にかかわっていた。ここからは用語と論文に関連する詭弁である。

 専門用語の収奪は、総じて専門用語の不適切な扱いを指す。これには大きく分けて3つのパターンが存在している。


 1つは、上の例のように実際に存在する用語を、あたかも出鱈目なジャーゴンであるかのように扱うという振る舞いである。

 例では「性的搾取」という言葉をあげている。これはフェミニズムがやり玉にあがるときよく聞く話である。が、GoogleスカラーやCiNiiで検索すればわかるように、これは一般的な用語である。


 一般的な用語をジャーゴンのように扱うのは、悪魔化の手法である。相手を無根拠に、信頼できない人間であるかのように印象づける。同時に、自分が専門用語を知らない不勉強を覆い隠す。


B:それは首相へのヘイトスピーチですよ。


 2つ目は、専門用語を不適切に用いることである。これは以前説明した「概念の無限拡大」に近い。もちろん小さくする方向にも使えるし、全く異なる意味で使ってしまうこともできる。


 すでに説明したように、こうすることで専門用語の信頼性を破壊し、その用語を使うことそれ自体が信頼できないことであるかのように振る舞えるのである。


B:その症状は「新型うつ」ですね。


 最後の例は、詭弁屋ではあまり見ないかもしれない。これは、本来その概念を指し示す用語があるのにもかかわらず、それを無視して自分で全く新しい用語を作ってしまう振る舞いである。


 例で挙げているのは、一時期よく聞かれた「新型うつ」という言葉だ。実のところ、学術的な場面で使われた事例はほぼなく、あったとしても「世間で言われる『新型うつ』とは一体なんなんだ」という視点に限られている。


 この振る舞いが問題なのは、議論において重要な「積み重ね」をリセットし、ゲームをもう一度始めることで議論を都合のいい方向へ誘導すると同時に、相手の応答コストを増大させるからだ。


 例で挙げた「新型うつ」は、非定形型のうつ病、つまりざっくり言うと「ステレオタイプ的なうつ病っぽさがあまりないうつ病」であるとか、治療のために軽度のうつ病へ積極的に診断をつけようとしたから新しいうつ病に見えただけではないかなどと考えられている。つまり、「新型うつ病」は特に「新型」ではない。


 これまでの議論に立脚すれば、このようにすんなり答えが出るのだが、「これまでの議論に立脚する」という行為それ自体が、怠惰な者にとって耐えがたい。そのため、1から新しい言葉を作ってしまうのである。新しい概念であれば、先行研究との整合性は考えなくてもいいし、自説に不都合なところも無視できる。


 こういう言葉の使い方をするのは、アカデミズムにいながらにして世間での短期的な名声を望む、メディアで適当なことを放言するタイプの学者に多い。新しい概念を生み出せば「パイオニア」としての評価が得られるし、キャッチーな言葉は自分を売り出すのにも便利である。


 もちろん、このような言葉には全く妥当性がなく、そこを出発する議論はすべて「個人的な感想」の域を出ないのだが。

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