1. ニュアンスの無視

A:私は、基本的には哺乳類は胎生だと考えている。

B:彼は卵を産むカモノハシの存在を知らない無知だ。


 ここからの解説では、まず上のように例文を示してから話を進める。通常、Aが誠実な論者でそれに応答するBが詭弁屋である。わかりやすさを優先して、最初に挙げる例はできるだけ極端な、馬鹿馬鹿しく見えるものを扱うことにする。


 トップバッターは、ニュアンスの無視である。この手法はネットの議論で特によく見られるものだと思う。

 では例文を見てほしい。AとBのやり取りはどこがおかしいだろうか。どの解説でも、トレーニングのためにもまず自分で考えてから読み進めてみてほしい。


 さて、例文のおかしなところがわかっただろうか。ここではBが、Aの発言にある「基本的には」を無視し、Aが例外的に卵を産むカモノハシを考慮していないと決めつけているのがおかしい。


 「基本的には」という言葉には通常、例外の存在が念頭にある。つまり、「基本的には」というときには、例外はあり得るがまぁたいていは、というニュアンスが伴うと考えるべきである。でなければわざわざそんな言葉を用いる意味がない。


 ネット、特にTwitterでの議論は文字数に制約があり、自明と思われる要素は省かれやすい。だが省いたときに誤解を招く可能性もある。そのため、言葉の表現に自身の主張の細かい点を、はっきりと述べる余地はなくても匂わせるという手法はよく取られる。


 こういう言い方はほかにもある。例えば


A:私はその法案には、「原則として」反対だ


 といえば、例外はあるのかもしれない。あるいは、かなり強固に反対していたとしても、賛成に変化する条件があるのかもしれないと予想すべきだ。


A:彼のしたことは間違っている「とは」思う「けど……」。


 あるいは上のように言えば、何か含むところはあるのかもしれない。


 もちろん、それだけではその人の含むところは判然としない。故に、重要だと思えば深掘りすべきである。そうせぬままに決めつけるのは避けるべきだ。


 だが、その曖昧さは詭弁屋にとってかっこうの狙い目となる。都合のいいことに、この言い方は自分の都合に合わせて例外に焦点を合わせることも、原則に合わせることも可能である。


 例えば、最初の例文ではカモノハシという例外に焦点を当てた。だが二番目の例に対しては、原則に焦点を当ててこう返すことも可能である。


A:私はその法案には、「原則として」反対だ。

B:この法案に真っ向から反対するなんてどうかしている。


 重要なのは、Bが勝手に「真っ向から」という修飾語を足して、Aの立場を改竄しているという点である。Aの余地ある態度から勝手に余地を消し去り、完全な敵であるかのように演出することもまたニュアンスの無視である。


 逆に、例外に焦点を当てれば


A:私はその法案には、「原則として」反対だ。

B:この法案に議論の余地を見出すなんてどうかしている。


 と返すこともできる。ここではAの主要な態度が「反対」であることを無視し、含みを持たせたことをピックアップしてAの態度を改竄している。


 人は通常、なかなか100%こうだと態度を決めきれるわけではない。まして社会は複雑である。ある状況でこうと考えていたことが、別の状況であれば180度変わるということだってありうる。誠実な論者はそのことをきちんと把握し、言葉の中にその曖昧さを正直に残す。だが詭弁屋は言い切ることが大事なので、相手の立場も勝手に断言するのである。

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