下準備その1 味方となる聴衆を集める
勝利を承認されることが大事であると述べた。そのためにまず大事なのは、勝利を承認されやすい環境を作ることである。
これはサッカーや野球の試合に例えてみればわかりやすい。誰しも、アウェーよりはホームでの試合のほうが戦いやすさを感じるだろう。ホームにも敵チームのサポーターは訪れるとはいえ、数は少ない。万雷の拍手の元でパフォーマンスをするほうが、精神的に優位に立てる。
加えて、自身の支持者は、自身の振る舞いを都合よく解釈してくれるという利点もある。社会心理学的に言えば内集団びいきということである。際どいプレーは必ず、相手チームに非があるように理解される。応援歌が大音量で流れるなか、いやあのプレーはこちらに非があるのではないかと考えられるほど見上げた精神の持ち主はそうはいないのである。
議論においても、当然のことならが、この非合理的なひいきは詭弁屋にとって極めて都合よく作用する。とりわけTwitterにおいては、フォローやRTといった機能を利用し、自身の支持者が繋がりあって小さくゆるやかなコミュニティのようなものが出来上がる。このコミュニティ内では、指導者たる詭弁屋の理論がぼんやりと崇拝され、現実からかけ離れた幻想が共有されている。
このようなコミュニティの極端な例が、ネット右翼と呼ばれる人々であろう。彼らは「在日特権」などという、すでに否定されて久しいデマをいまでも真に受けている。多くの人々が彼らのデマの誤りを指摘し続けはや十年ほどが経とうとしているにもかかわらずである。
このように強固な支持者は、詭弁屋にとって極めて都合がいい。早い話が、何を言ってもその通りですと言ってくれる味方が大勢できることになるからだ。故に、ネットの空間を自身の支持者で埋め、ホームを作り上げるのは詭弁屋たちにとって極めて重要な下準備となる。
では、どのように支持者を集めればいいのだろうか。実のところ、最初から、あるいは常に詭弁屋として振る舞っても支持者集めはさほどうまくいかない。人間は基本馬鹿だが、一方で常に限定的な理性も働かせている存在だからである。いきなり何も準備がないところに詭弁を並べ立てれば、論理の破綻が露呈する可能性は低くない。
そのため、支持者を集めたい詭弁屋は、常識人としての側面を持ち振る舞うという戦略を利用する。つまり、百人が百人その通りであると思うことを散発的に発信し続け、人々から「この人の言うことは信用できる」という印象を買うのである。
例えば、他人の流したデマをデマだと指摘するのはわかりやすい手であろう。災害のような非常事態に有用な情報を拡散したりするのも手である。あるいは、他人が呟いたもっともらしい発言をパクり、言葉を変えて自分の意見として流すという手もある。
ともあれ、大事なのは他人から正しいことをいう人だと思われ、フォローされることである。
そうして一旦「信用できる人」になれば、あとはやりたい放題である。「信用できる人」の言うことは信用できるので、論理的破綻はあっさりと見逃されることになるからだ。多少疑問符が付くことがあろうとも、ときおり「信用できる人」としての振る舞いを挟み込んで印象を更新すれば、彼らはずっと自身を信用してくれる。
そんな単純なことで、人が論理を見誤るかと疑問に思うかもしれない。だが、社会心理学ではヒューリスティックスの分野で、あまりにも大雑把な人間の判断メカニズムが研究され、明らかになっている。
何より、これを読んでいるあなた自身が、そのような判断をしたことがないと言い切れるだろうか。「この人が言っているし」という理由で信用したことがない人間はいまい。
あなたがこの文章の内容を信じているのも、同じ理由ではないだろうか。
もちろん、このような判断は常に問題があるわけではない。人の発言すべてを精査するのは不可能だからである。とはいえ、明らかな詭弁にくらいは気づかなければならない。
それに気づけず、まんまと詭弁屋を信用してしまった人たちには、彼らの承認欲求の糧となってネット世界を生きる人生が待っている。このような人々は大半の場合、不注意から彼らを信じてしまった人たちであると信じたいのはやまやまだが、少なくとも私の観測範囲ではそうではない。むしろ、自分にとって心地のいいことを言ってくれる人を選び進んで騙されに行っている節すらある。
まぁ、実際のところは不明である。だが、このような詭弁屋の支持者の中で最も愚劣な類は、詭弁屋の議論を観戦し、趨勢が決したと判断したところで自らも議論の相手にちょっかいをかけ、あるいは詭弁屋に同調するようなコメントを寄せることで、自らの承認欲求をも満たそうと動く。そういう、自らが先陣を切って行動を起こすことすらできないが「議論」の勝利という美酒のおこぼれはもらいたいという腑抜けもいることは指摘しておこう。
このような腑抜けはまた、詭弁屋が「信用できる人」を振る舞うのに便利な道具ともなる。このような支持者が、勝手に議論の相手にちょっかいをかけ、相手を疲弊させてくれるのなら、自身は議論に躍起になり汚い言葉を使う姿を晒すリスクを負わずに、相手を「論破」することができるからである。
いわゆる「ファンネル」である。
こうしてみると、詭弁屋は自身が詭弁屋として成立するために支持者を集める一方で、支持者もまた自身の尊大な承認欲求を満たすために率先して彼らの手先になるという共依存関係があるとも見て取れるだろう。
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