3. 概念の無限拡大

B:いまは何でもセクハラにされてしまう。女性と少し話しただけでセクハラ、近づいただけでセクハラだ。


 これはわかりやすい例である。だが、これがどういう機能を持つかはなかなか意識されないと思う。


 Bの誤りは、明らかにセクハラになりえないものをセクハラの枠に収めようとしている点である。女性と話すことも近づくこともそれ自体はセクハラではない。内容や振る舞いに問題があればハラスメントとして扱われるだけである。だがBはそのことを無視し――つまりニュアンスの無視を応用して――まるで問題ない行動までハラスメントになるかのように言っている。


 このような詭弁は、概念の本来の意味と信頼性を毀損し、その概念を用いる行為それ自体が非論理的で信用ならないものであるかのように印象付ける機能がある。


 例えば仮に、本当に女性と話したり近づいたりしただけでセクハラになるとしよう。当然これでは、日常生活に支障をきたす。であれば、セクハラという概念がそもそもおかしいのではないかと思うのは当然である――仮定がおかしいという点に目をつむればだが。


 概念というのは本来、極めて便利な道具である。例えばセクハラという概念が存在する以前は、女性に対するいやがらせだが犯罪とまでは言えないという行為を一言で指し示す言葉はなかった。だがセクハラという概念が輸入されたことで人々の理解を促進し、問題を共有することが容易になった。


 第一、「女性に対するいやがらせだが犯罪とまでは言えないという行為」とわざわざ言わずに「セクハラ」の4字で示せるようになるだけで便利である。


 このような道具の信頼性を詭弁によって毀損することは、相手の応答コストを増大させうんざりさせるのに一役買う。セクハラという概念が使えなくなれば、相手は再び「女性に対するいやがらせだが犯罪とまでは言えないという行為」と言わなければならなくなる。


 同時に、議論の中核を占める概念の信頼性を毀損することは、その概念を議論の主題に挙げようとする人それ自体を愚かな人物であると悪魔化することにも繋がる。悪魔化についてはのちに取り上げるが、要するに根拠なく相手が信用できないと強弁するのに便利であるということだ。そうなれば、そもそもその概念自体を取り上げた議論が不可能になってしまう。極めて悪質な詭弁と言えるだろう。

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