1. 統計がないことと証拠がないことの混同

A:カラスの大半が黒く、白いカラスは稀である。

B:Aの主張を裏付ける統計はない。故にAの主張は嘘である。


 直前で「詭弁屋は統計を使う」と書いておいていきなり矛盾することを言うようだが、彼らの主張の中で最も多いのがこの手のものである。つまり、統計が存在しないことを証拠がないことと混同するという詭弁である。


 もちろん、統計だけがエビデンスではない。例えば上の事例では、わざわざ黒いカラスをカウントせずとも、カラスのDNAなどから、通常カラスが黒い体毛を持つことなどがわかるだろう(多分ね。生物学者じゃないから知らないが)。だが、彼らは数字を神格化するあまり、それがなければ証拠が存在しないかのように扱いがちである。


A:女性は就職活動においてセクハラを経験していることが多い。

B:Aの主張を裏付ける統計はない。故に嘘だ。


 この詭弁は、上の例のように、特に差別問題といった、マジョリティに関心がない問題を扱うときに威力を発揮する。というのも、信頼性のある統計データをまとめるにはそれ相応の資源が必要であり、その資源をどうやって使うかを決めているのはほかでもないマジョリティであるからだ。組織のトップの大半が男性であることを考えれば、女性問題の理解に役立つ統計がとられにくいことも理解できよう。


 こうして、マジョリティが興味を持たない分野の統計は取られにくくなる。そして詭弁屋は、その状況を利用して差別が存在しないかのように振る舞うのである。


 また、扱う問題によってはそもそも統計的なデータを収集しがたい場合もある。例えば、痴漢冤罪がどれほどあるかという統計はまず収集不能であろう。犯人に聞けば絶対に冤罪だというし、被害者は自分が被害を受けたことは確信を持っているだろうが、「誰がそれをしたか」まではなかなか証明できないからである。冤罪の性質を考えれば、裁判の結果を用いて冤罪の件数を云々するのは愚か極まる。


 この詭弁を打破するためには、統計以外の証拠を持ち出す必要がある。だが、詭弁屋は次節で述べる詭弁―統計の神格化を組み合わせることで、統計以外のエビデンスの価値を無にしようとする。


 そのため、重要なのは、そもそもマジョリティが興味を持たない、あるいは「些細である」と軽視しがちな問題において、マイノリティが問題提起をしているにもかかわらず「統計がないから問題が存在しない」という態度をとること自体が不誠実であると明示することだ。つまり、証拠の有無ではなく、相手の態度に問題を変えるというのは1つの手である。


 もっとも、詭弁屋は不勉強と相場が決まっているから、彼らが「統計がない」と言っても信じてはいけない。どこかからひょっこり出てくることも往々にしてある。

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