5. Whataboutism (あれはどうなんだ)
A:犬を守らなければいけない。
B:じゃあ猫はどうなんだ。猫は無視するのか。
これは著名な詭弁であろう。ある論点に対して別のものを引っ張り出し「あれはどうなんだ」と言い出すことをWhataboutismという。訳すなら「あれはどうなんだ主義」とでもいうべきだろうか。
この詭弁は前に取り上げた「ニュアンス無視族」の詭弁に似ている。違うのは、例のように「AがダメならBはどうなんだ」のAとBが適切に似通っていてもなお詭弁であるという点である。
確かに、犬の保護を訴えるのであれば、猫も大事にしなければ一貫性がないように見える。仮に、Aが犬の尊重を謳う一方で猫を虐待していれば、重大な矛盾であるといえるだろう。犬と猫を同一視するのは、動物と植物を混同するニュアンスの無視とは違い適切である。
だがここに、人間はあらゆる物事を知ることはできないという一般的な原理が立ちはだかる。犬を守ろうとしている人が、それ以外のあらゆる動物について知ることはできないし、発信することもまたできない。これは個人の態度云々の問題ではなく、物理的な限界である。この地球には哺乳類だけでも約6000種いるのだから当然である。
故に、ある議論に対してよく似た別の話題を持ち出して「あれはどうなんだ」とやることには何の意味もない。たとえ相手が「あれ」について知らず言及もしていなかったしても、それはしょせん人間の資源と能力の限界という誰にでもあることを明らかにするだけに過ぎない。それはその人の態度や資質の問題を明らかにするものではない。
言行不一致を指摘したいのであれば、まず明らかに矛盾している「言及」を探すべきである。犬を守れという人が猫について発言していなくても大した問題ではないが、猫を殺せと発言していれば重大な矛盾であることは論を待たない。
また、もう少し微妙な不一致にはなるが、明らかに知れ渡っている問題について沈黙を貫くのも問題だとみなせるだろう。猫の虐待が社会中で盛り上がっているときに、犬を守ろうと言っている人がそのことに一切言及しないことには一定の疑いがある。
もっとも、詭弁屋が「あれはどうなんだ」というとき、その相手は「あれ」についてすでに発言していることのほうが多い。その場の論理すらまともに扱えない人々が、その問題に注意を払っている人間すら知らない稀な事例を知っているということはまずないからである。
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