9. 些末な指摘による研究の無効化
A:私の主張はこの研究が裏付けている。
B:その研究は実験室の人工的な場面設定で行ったものなので、現実社会には適応できない。エビデンスにはならない。
当たり前だが、完璧な研究など存在しない。研究者は研究の欠点を見つけ、それを改善する研究を行うことで新たな研究を行う。こう考えると、学問の発展も研究者の食い扶持も不完全な研究によって支えられていると言えるかもしれない。
それはさておくにしても、この世に完全なものなどないことは真理である。では、不完全な研究には価値がないのか。無論そうではない。不完全な研究は不完全ながらに、我々に現実の一側面を知らせてくれる。
例えば先の例に出てきた実験室実験である。実験室で人工的に作られた状況が現実社会と乖離しやすいのは事実だ。激辛ソースを大量にかけることを「攻撃行動」と言われてもあまりしっくりこないかもしれない。それは果たして暴力だろうか、と思うのも無理はない。
だが一方で、全く乖離してしまうわけでもない。実験室の状況は単純化されているとはいえ、社会を反映するように作られるからだ。攻撃の重要な要素の1つは、乱暴な方法で相手を害することにあるわけだから、激辛ソースも100%ではないにせよある程度は暴力を反映している。つまり実験室で行われた実験は、ある程度保留はありつつも、現実社会を理解するのに役立つのである。
それぞれの研究結果をどの程度信頼していいか、それはケースバイケースとしか言いようがない。研究の限界は常に、研究手法に依存する。研究手法を細かく見ない限り、その判断はできない。
だが、詭弁屋とその支持者はこのような曖昧な言い方を好まない。ゆえに、完璧だから絶対に信用できるか、不完全だから絶対に信用できないという二分法に持ち込むのである。それが先の例のBによく表れている。
この詭弁は、相手のエビデンスを簡単に排除するのにも役立つ。実験室で行われた実験なら例のような主張によって無条件で完全に排除する。統計なら? 相関は因果関係じゃないので排除。サンプルサイズが小さければ排除。外国の事例なら日本ではないので排除。回答者のうち少しでも性別が偏っていれば、それは母集団を代表していないので排除、という調子だ。
もちろん、このような態度は自分のエビデンスには適用されない。先に述べたように、自分の示す論文は読んですらいないが、彼らには完璧な研究として扱われるのである。完璧だから絶対に信用できるor不完全だから絶対に信用できないの二分法を採用する限り、彼らは自分の研究は完璧であるという非現実的な主張に拘泥するほかない。
このような態度は、到底科学的とは言えない。学問に対する姿勢とは呼べない。しかし詭弁屋は、別にアカデミズムの世界で承認を得たいわけではなく、ただ漠然と学術的であるという空気をまといたいだけなので、彼らにとってはこれで十分なのだ。
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